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牛が拓く牧場
今朝、実家の母が突然、
「昨日の夜、急に牛が拓く牧場を思い出して」
と言った。
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19歳のときに、北海道の斉藤牧場の「牛が拓く牧場」を読み、「これこそが理にかなっている」と思ったそうだ。
父と母は日本大学の農学部畜産学科で出会った。
母はもともと文系だったが、浪人時代に獣医を志して理転した。
時は受験戦争時代。第一希望の獣医学科は叶わず、第二希望の畜産学科に入った。
大学内に牧場があり、牛の世話もしていた。
「牛を拓く牧場」を読んでいた頃、夏休みに北海道の十勝の酪農家のところで一か月ホームステイもしていた。
2歳上の父は、農業サークルと研究室の先輩だった。
父は、動物の研究者を目指して東京大学の大学院に進学した。
その頃に、姉がうまれた。
学生結婚だったので貧乏だったそうだ。
父は日本学術振興会の特別研究員に採択され、奨励費で家族を養った。
1996年8月、私が生まれた。
その頃は千葉県習志野市の母の実家の近くのアパートにいた。
阪神淡路大震災から2年ほど経った頃。
東京大学で博士号を取得し、職探しをしていた父は兵庫医科大学か、埼玉県和光市の理化学研究所での職の紹介をうけた。
両親ともに関東出身で、実家も埼玉と千葉。
小さい子どももいたので関西に行くかかなり迷ったそうだが、
その後のキャリアも含めて決心し
1歳と3歳の私と姉を連れて、
身寄りの全く無い兵庫県西宮市に赴任した。
当時は震災の傷跡も残っており、アパートの前の公園には仮設住宅があった。
私は震災の翌年に生まれた。
幼稚園の先生や友達のお母さんなど、ほとんどが震災を経験していた。
姉の同級生はまさに震災の最中に被災地で生まれた。
そんなこともあり、地震の話を聞かされ育ったこともあって、
幼稚園の頃から、父親が買ってくれた学研の「地球」の図鑑の
地震や火山のページをよく眺めていた。
そして、父が研究者ということもあり
地震の研究に憧れて神戸大学理学部惑星学科に進学した。
両親ともに農学部出身だったので、
私が地球のことに関心があるのを「親子で興味が違うんだな」と思っていたそうだが、
突然大学院を出て、長崎の森川放牧畜産に関わりはじめ、
血は侮れないというか、
不思議な縁を感じていたそうだ。
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私の家系にも「牛」の血が流れていたみたいだ。
畜産と地球がつながること
「牛が拓く牧場」
母は今になって色々つながりはじめたのが嬉しそうだった。
両親が関西に来ていなかったら
私の今は無かったと思う。
そして父の行きつけの居酒屋さん
喜多屋さんは、奥様が西海市西彼町出身だった。
人生は面白い🤣
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