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国の借金が過去最高?(1)

2022年5月10日のNHKニュースで、「国債残高、つまり『国の借金』が、過去最高を6年連続で更新しました」と報じていました。この報道で、「ますます日本の財政はヤバいな」と感じた視聴者は、全国に数百万人はいたと思います。
 
そうですよね。我々の感覚では、「借金がドンドン増え続ける」って、恐怖以外の何物でもないですよね。「借金が過去最高を更新」と言われたら普通の人はビビります。しかし、ちょっと待ってください。生まれてこの方、「借金が過去最高」という報道は良く耳にしますが、「借金が減った」とかは、あまり聞いたことが無い気がします。調べてみましょう。
 
図は財務省ホームページに掲載されているもので、長期債務残高のうちの大部分を占めている「普通国債」の残高の推移です。

普通国債 残高の推移

これを見ると、6年連続どころか、昭和45年ごろから「ずーーーーっと増え続けて」いますね。これって、毎年「過去最高を更新」し続けている、ってことですね。こういう図を見ると、「過去最高を更新する方が普通なんじゃないか」という気がしませんか?
 
「いやいや、そんなことはない。増え続けている事こそが問題なのだ」と答える方もいると思います。はい、あなたは真面目な方だと思います。かつての私も含め、多くの日本人は、そこそこ真面目なので、やはりそう考えますよね。「借金が増える」と言われたら、「取り立てが・・」「暴力団が・・」「逮捕されたら・・」「夜逃げ・・」「一家心中・・」みたいなイメージに直結しますよね。

これって、「国債」が「返さなければならない借金」ならば、まさにそうなのだと思います。「はあっ? 『返さなければならない借金』って、借金は返すのが当たり前じゃないか。返さなくて良い借金など聞いたことがないぞ!」 はい、そうですね。「民間同士の借金」は「必ず返さなければならない」です。(実は多くの企業は、借金は借り換えしながら設備投資したりして、「返済」を第一に考えているわけではない場合もありますが、何かあって「返せ」と言われた時には返さなければなりません)

「通貨を使っている立場」の人や企業や自治体は、確かにそのようなルールで動いているので、どこかから金を調達して支払う必要があります。しかし、「通貨を作っている立場」であればどうでしょうか。極端な話、「返せ」と言われたら「作って返せばよい」だけで「どこかから調達しなければならない」なんてことはないわけです。逆に、皆それがわかっているので、「返せ」とか言わないでしょう。これが「通貨を作っている立場=政府・中央銀行」と「通貨を使っている立場=民間」の根本的な違いになります。
 
「いやぁ。そうは言っても、やっぱり『国債』は『借用書』じゃないの?」はい、確かに会計上は「負債」に計上されますので、「ある種の借用書」という事もできます。しかし、そもそも「通貨を作っている立場=通貨の発行者」から考えると、「通貨」というものは「負債として発行される」のです。
 
「はあ? 何言ってるの? 『お金が負債』だって? お金は『資産』じゃないの?」 はい、確かに「我々が持っているお金」は「我々にとっては資産」です。しかし、それは同時に「中央銀行にとっては負債」なのです。嘘だと思うなら、日銀のホームページを見てみましょう。

図は2021年9月のものですが、このように、日銀のバランスシート(貸借対照表)上で、「発行銀行券(紙幣)」は「負債」に計上されています(「純資産」というのは、別のものです)。「通貨は、通貨発行者の『負債』として発行される」ことは、「まぎれもない真実」なのです。
 
このように、日本銀行券は日銀の「借用書」なわけですが、日本銀行に1万円札を持っていって「返せ」と言うと、「代わりの1万円札と交換してくれる」だけです。誰もそんな馬鹿なことはしないわけです。(ただし、昔、金本位制があったころは「紙幣を持っていけば、金と交換する義務があった」ので、今の状況とはだいぶ異なります)
 
「紙幣が日本銀行の負債であることはわかった。でも、それと政府の発行する国債と、何の関係があるんだ?」 はい、これが「おおあり」なのです。昔、中央銀行制がなかったころは、その時点のその地域の政府(王政だったら王様、など)が通貨を発行していました。時代が進んで中央銀行制が主流になってくると、通貨発行のメカニズムが少し複雑になったのです。(中央銀行制が主流になった理由には、ここでは立ち入りません。世界の主流も日本も中央銀行制なので、それを前提に話を進めます)
 
さて、「円を発行しているのはどこか?」と聞いたら、普通「日本銀行」だと思いますよね。確かに日本銀行は「円」を「印刷する=作る」事はできるのですが、「国民からモノやサービスを買って、その分支出する」ことはできないのです。せいぜいが、日銀職員の給料とか、日銀で使う机や椅子の購入程度で、日銀で扱っているお金の1万分の1にもなりません。じゃあ、主に何をやっているのか、というと、「等価値の債券(多くは国債)と円を交換」しているだけなのです。しかも、その交換は「日銀ネットと呼ばれる、政府・日銀・民間銀行等しか参加できないほぼ閉じた系」の中で行われているので、世の中に円が増えるわけではないのです。その「交換」によって世の中の「金利」を調節しているので、重要な役割ではあるのですが、「世の中の金を直接増やしたり減らしたりしているわけではない」のです(これが「金融政策」と呼ばれるもので、ニュースで良く聞く「金融緩和」もその一つです)。ですから、日銀だけでは、世の中のお金はさっぱり増えないのです。
 
でも、もう何百年もの間、世の中のお金は増え続けていますよね。明治からだけでも、昔は1円札とかあったのが、今や一番少額の紙幣が千円札ですし、どこの国でも長い目で見れば、お金は増え続けています。良い悪いの問題ではなく、貨幣経済とはそのようなものなのです。もし仮に日本だけがお金を増やさなければ、当然他の国から買い叩かれることになるわけです。
 
日銀が世の中のお金を直接増やせないなら、増やしているのは誰でしょうか? 私でしょうか? いやいや、私が増やしたら「偽札作り」でブタ箱行きです。そうです。日本政府が増やしてきたし、今も増やしているのです。でも「日銀は円を刷れるけど、日本政府は円を刷れない」ですよね。どうやって「円」を増やしてきたのでしょうか?
 
実はそこに「国債」が出てくるのです。昔は、王様や政府が通貨を直接発行していました。中央銀行制になってからは、政府は国債を発行し、巡り巡って中央銀行で通貨に換わる、というプロセスで、世の中の通貨を増やしているのです。具体的には、以下のような流れとなります。
 
政府は国債を民間銀行に売ります(必ず売れるのか? という疑問には、長くなるので(2)で答えます)。その時に「円」を手に入れます。銀行は国債を保有することになります。銀行は国債を「資産」として保有し続けるか、「円」に換えたい時には日銀に売ります。銀行が日銀に売れば、結局のところ、政府は国債を発行して「円」を手に入れ、銀行は変化なし(実際には、金利などで少し儲けていますが)、日銀は「円」を発行して国債を手に入れます。
 
これは結局、「財政ファイナンスと呼ばれているものと同じ」なのですが、日本に限らず、どこの国の政府と中央銀行も、通常の業務として行っていることです。だから、「財政ファイナンスは、違法だし、禁じ手だ」とか言うのは、実はメチャクチャナンセンスなのです。とりあえず「直接はやらないと決めた」というだけで、実質的にはやっている、というより、それこそが重要な業務の一つなのです。
 
では、流通する円を増やした結果どうなるか、というと、その分だけ「国債発行残高」が増えるわけです。つまり「国債発行残高」は「政府による通貨発行残高」でしかないのです。「国債残高を増やさない」ことは「通貨を増やさない」ことであり、独立した国家がそうする意味は全くありません。

再度述べます。政府は円を発行できません。国債を発行して円に換えることしかできません。それが中央銀行制です。その時には必ず国債発行残高が増えます。国債発行残高を増やさないと言うことは、政府が通貨を発行しないということです。「通貨を発行しない政府」、そんな馬鹿な政府はあり得ません。

では逆に「国債を返す=償還する」ことを考えてみます。国債を返すためには、政府が国債を買い戻さなければなりません。買い戻すためには「円」が必要です。政府が「円」を調達する方法は「国債発行」ですが、今の仮定下では、国債発行しては「国債償還」ができません。仕方が無いので、他に「円」を調達する方法としては、「国民から税などで徴収」するしかありません。

したがって、国債を償還するには、「税などで国民から円を吸い上げ、その円で国債を民間銀行などから買う」以外ありません。購入した国債は「政府発行の借用書」のようなものですので、発行者である政府の手元に戻ってきた場合には「ただの紙」になり、時代劇で見るように「破り捨てる」のみです。

結果として、「国債を償還する」ということは、「税などで国民から金を吸い上げて、その金で国債を買い、買った国債は破棄する」ことになります。損したのは国民です。しかも、誰も得していません。「国債発行残高が減った」というだけで、良いことは何もないどころか、国民の資産が減ったのです。

何と言うことでしょう。誰もが「良いこと」と考える「借金を返す」ということが、「政府」が行った場合には、とんでもない「害悪」になってしまうのです。これらの仕組みを良く考えもせずに「借金を積み上げすぎ」とか「借金を返さねば」などと妄言を撒き散らしている評論家や識者と呼ばれる人たちは、ぜひ一から考え直してほしいものです。

要は、「国債発行残高」は確かに「政府の負債」ですが、前述したように、そもそも「通貨」とは「負債として発行される」ものです。したがって、「国債発行残高」を「返すべきもの」と考えることは、国家財政の仕組みからは、全くナンセンスなのです。

いかがでしょうか? 狐につままれた感じを受けた人もいると思います。私も初めて聞いた時には、全く理解できませんでした。でも、日銀のバランスシートで日銀券が負債に計上されていること、など、事実を勉強していけば、少しずつですが、真実に近づくことができます。陰謀論と勘違いしないでほしいですが、多くの人が知ることで、「積みあがった国債発行残高」の悪夢を消すことができます。「ああ、これまでの間に、通貨をこれだけ発行したのね」という一言で済みます。それは過去のものであり、今問題になるものではないのです。国債は満期が来たら借り換えるものです。利息も国債発行して賄うものです。どこの国も実際にそうやっているのです。「国債発行残高」の恐怖から解放されれば、必要なところに必要なだけの政府支出・財政措置を講じることができます。
 
「何でもできる」とは言いませんが、相当なことができるでしょう。かつての民主党が公約として掲げたにも関わらず財源が見つけられず十分に実施できなかった公約なども、すべて満額出せます。高等教育の全て無償化も可能です。最低賃金1500円(中小企業には補助金で対応)や地方交付税交付金の大幅アップも可能です。医療・介護・教育・保育・年金などへの予算ももっと増額でき、国民の負担は減ります。脱炭素や環境保全などへの投資や技術開発にも多くの予算が付けられます。そのような政策を実行できれば、国民は今よりも暮らしやすく豊かになり、政府の支持率は高く維持できるはずです。国民の多くが生活への不安が減れば、ヘイトや差別にも良い影響を与えるでしょう。
 
現在、日本は、国民生活も社会も、大変酷い状況になりつつあります。正しいことが通らず、嘘がまかり通る状態です。これを変えるためには、今投票所に来ていない人たちに、投票所へ来て投票してもらえる政策・公約を組み上げる必要があります。そのためには、この「国家財政の仕組み」を理解する必要があります。一番知ってほしいのは野党の政治家の皆さんですが、政治家は非常に忙しく、全く新しい考えを咀嚼し理解する余裕がない人も多いでしょう。その政治家を変えるためには、選挙民の皆さんの多くが真実・事実を知って、彼らに教えて行くしかありません。日本のこれからの社会を、子どもたちが生活していく社会を、少しでも豊かで善きものにするために、私たちは学ばなければなりません。
 
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(引き続き(2)で「銀行が国債を買わなかったらどうするのか?」という質問にお答えしたいと思います)


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