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経済観・財政観で共通理解に立ててない人々と、理解し合うにはどうしたら良いのか?(1)

これまで多くの人たちと「日本経済・日本政府の財政」について、ツイッターを中心に多くの議論を重ねてきました。議論の相手は、著名な政治家や学者もいましたし、無名あるいは匿名の言論人もいました。残念ながら議論の結果、より高いレベルに到達することは稀で、多くはその域に達しなかったのが現実です。
 
そのようなことを続ける中で、日々の、あるいは過去の経済指標(円安円高、株安株高など)で議論しても、全く時間の無駄であると理解せざるを得ませんでした。その理由は、日々の経済事象は、多くの不確定要素を含んだ経済事象の複合的結果で起きているので、どうにでも理屈が付けられるからです。
 
なにせ、日本がデフレに突入した1998年に起きたこと、デフレ突入の原因についてすら、今もって全く違う言説(消費増税/アジア金融危機)がそれぞれ主張され、その決着は、本人たちにとっては明白であっても、議論の相手を説得しきれていないのが実情なのです。

それでも、何とか「相互理解」に立てるようにしないと、日本は変われず、子どもたちの世代に、より貧困化した日本を残すことになってしまいます。どうにかして、理解してもらう必要があります。 

そのため私は「日々の経済事象の議論は無駄」と結論づけ、もっと「公理的なレベル=個々の考えによるものではなく、皆が納得するレベル」で共通理解を図りたいと考えました。

そのために、まず、【国内のお金は、程度の差はあれ、どこの国でもいつの時代でも、増えている】ということを、誰でも理解できる【共通の理解】にしたいと考えました。

ここが共通理解にならないとその先はないのですが、これは調べれば判りますし、これが判れば次へ進めます。

実務上なら、次の問題は「どの程度増やすべきか?」なのですが、「本質」を理解するためには、そこではなく「では、増やす時、どうやって増やすのか?」を考えることが重要です。

多くの国民は、何となく「通貨は、日銀が刷って増やしてる」と思っています。残念ながら、国会議員の多くもそのレベルです。だから彼らは、「金融政策」と「財政政策」の区別すらつかないでいるのです。
でも違うのです。日銀は「お金を刷れるが、市中に配れない。流通通貨を増やせない」のです。

日銀が実施している金融政策とは「民間銀行が貸しやすくする・貸しにくくする」政策です。そのために日銀が日々実施していることは「お金と『等価のもの(国債など)』とを、『時に損しながら』交換することによって、金利をコントロールする」ことなのです。

では「お金を増やす」のはどうやっているのか? 方法は2つあります。
一つ目は「民間銀行が民間企業に貸す時に、お金は増える」。
これは「A銀行はB企業から借用書を貰い、代わりに『A銀行内のB企業の口座』に同額の預金残高を書き込む」もので、「信用創造」という仕組みですが、説明が少し複雑になるので、詳細は別稿で述べます。
ここでは、「民銀による貸出で流通通貨は増えるが、景気の波が大きくなる(好景気で貸出が増え、不景気で回収が増える)方向で変化するため、景気の変動が激しくなるだけで、流通通貨を安定して増やすことはできない」ことのみを指摘しておきます。

では、どうしたら安定して流通通貨を増やせるのでしょうか?
それが「二つ目の方法」で「政府が国債を発行し、民銀を経由し、最終的に日銀で通貨に換わる」ことによって増やす方法です。しかし、そう言うと、「それは財政ファイナンスで、禁じ手だ」と脊髄反射的に反論する人がいるのですが、ここは落ち着いて考えてほしいと思います。

「中央銀行制」を採用している国では、日本も含め「財政ファイナンス=中央銀行による国債の直接引き受け」を禁じている国が多いです。しかし、上述した「間接的な引き受け」を禁じている国があったら教えてほしいと思います。あるはずがありません。

なぜなら「中央銀行制」下では、政府は通貨を発行できませんので、通貨を増やすには「国債を発行して中銀で通貨に換える」しかないのです。ですから、どこの国でもそうしているのです。そもそも「中央銀行制」というのは、そういう仕組みなのです。この方法を「政府による信用創造」「信用創造の第2の経路」と言う人もいます。

さて、話を戻しますが、政府が「Δ(デルタ)X円」分だけ通貨を増やそうとするとしましょう。その際に政府は「ΔX円分の国債」を発行します。それが民銀を経由し、日銀でΔX円分の「円」に換わり、流通通貨が「ΔX円」増えるのです。現実として、このやり方で、これまでも通貨は増えてきたし、今後も増えるのです。

このようにして、通貨はこれまでの間に何千倍にも増えてきているのです。ΔXは毎年存在し、通貨に換わっています。ですから、貴方や私の財布の中の1万円札も千円札も、いつ国債から通貨に換わったかは判りませんが、元をたどれば皆「国債」なのです。

このように「自国通貨建て国債」は「返すべき借金」ではなく、「中央銀行制下の国では、単なる通貨発行のためのツール」なのです。残念ながら日本では、この事実を、政治家も経済学者も評論家もほとんどが理解していません。日本のように、「自国通貨建て国債を返そうとしている国」など世界中にありません。たまたま収入が多い時に、その分償還する程度です。

もし「自国通貨建ての国債を返す=償還する」ことをした場合に何が起きるかは、本Noteの別の記事に記述しましたので、そちらを参照してください。

国債残高を減らす行為は、「デマンドプルインフレ」が酷い時期なら良いが、日本のように「デフレ」「コストプッシュインフレ」「スタグフレ」状態での実施は自殺行為です。

そして、「プライマリバランスの黒字化」は「国債を償還する」つまり「流通通貨を減らす政策」であり、デフレやスタグフレ下では、需要も供給力も更に毀損する、きわめてバカげた政策なのです。

どうでしょう。
「円安円高」「株安株高」「日銀の利上げとマーケットの反応」などで共通理解に達するのはきわめて難しいと思いますが、本Noteでここまで書いたことは、単なる「事実」でしかありません。「どう考えるか」ではなく「どうなっているのか」なのです。調べるのは、いろんな指標に当たったりしなければならないので面倒ですが、調べれば誰でも同じ結論に達することができます。

この議論に疑問を抱いたなら、ぜひ御自分で調べてみてほしいと思います。「人に教えられたことは信用できないが、自分で調べた事は信用できる」のですから。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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