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過剰診断をめぐる考察:福島の子どもたちの甲状腺がん訴訟

2022年5月21日の報道特集で、福島の甲状腺がんの子供たちが東電を相手に訴訟を起こしたことが報じられていた。この問題は難しい。本ブログは経済ネタが主だが、この問題はツイッターでは字数が限られ過ぎていて論じるのが難しいので、本ブログで論じてみたい。

「過剰診断」という言葉は、一般的には正確にイメージされていないことの方が多いと思われる。医師であっても結構怪しい理解の人は少なくない。過剰診断は「誤診」ではなく、正真正銘の「がん」である。「過剰診断」とは、「病理学的には確かに『がん』と診断できるにもかかわらず、増大速度がきわめて緩徐なため、そのがんで死亡することがない(あるいは、死亡することも症状がでることもない)がん」のことである。「がんの増大よりも、他の疾患や事故で『死亡』に至る方が早かった」場合も、同様の事例とも考えることができる。

これらの人たちは、結果的に「がんと診断されることも、がんの治療をすることも必要なかった」ということになる。実際に「がんの診断をされた後に、急に心筋梗塞や脳出血などで亡くなる」方は日本全国で見れば大勢いるので、「過剰診断」はゼロにはならない。だが、あまりに多い場合に問題になるわけである。

ある例が「過剰診断なのかどうか」を、診断時点で知ることは不可能である。その人がそのがんで死んだら「過剰診断ではなかった」と言える。治療しなかった人がそのがんで死ななかったら「過剰診断だった」ということが言える。しかし、最も多いであろう「治療して、そのがんで死ななかった」人は「治療が奏功したのか、過剰診断だっただけのか」は永遠に不明である。

このような「過剰診断」が多い臓器があることは、すでに医学上の常識であり、「前立腺がん」や「甲状腺がん」がそれに当たる。「甲状腺がん」については、かつて韓国で甲状腺がんに対する超音波(エコー)検診が行われ、以前に比して数十倍の患者が発見され治療されたが、死亡率減少にはほとんど寄与しなかったことが判明している。

患者さんが「あなたは『がん』です」と言われて、何も治療しないことは難しく、特に「(手術などの)明確な治療法が存在する」場合には更に難しい。医師側からも「何もしない方が良い」と勧めることは困難である(ただし、がんの標準的治療を否定して、何もしないことやトンデモ治療法を勧めるトンデモ医師は世の中に散見される。彼らのせいで命を失った患者さんは数多い)。

医師側で言えば、仮に過剰診断の可能性が結構あると思っても、万一何らかのトラブルが起きた場合に、「がんだったのに、適切な治療法を提示されなかったせいで・・・・」と訴えられれば、今の裁判所の医療知識レベルとその乏しい医療知識で判断してしまうという倫理レベルでは、医師側が敗訴する確率が高いだろう。学会のガイドラインで明確に「治療はすべきでない」とでも書かれていないと、「治療しない」という選択肢は選びにくい。少なくとも患者さんやご家族に、「治療すること、およびその方法」を選択肢として提示せざるを得ない。

提示された患者さんと御家族は、悩むことになる。「手術すれば99%助かるが、わずかな生命リスクと、合併症が残る可能性が若干ある。手術しなくても大丈夫かもしれないが、後で進行したり生命に危険が及ぶかについては絶対大丈夫とは言い切れない」と言われることになる。これが高齢者であれば、本人の意向とか残りの寿命とかを考えた選択もできるが、子どもたちだったりすれば、親の選択は苦渋に満ちたものになる。

肺や肝臓などの体の内部にある臓器だと、針を刺して診断を確定することにも出血などの合併症のリスクがそれなりにあるので、そのリスクをタテに「様子を見る」ことがしやすいが、甲状腺は病変が皮膚に近いところにあって、確定診断が容易でかつリスクが少ないため、「確定診断しない」という選択肢も採りにくい。そして、ひとたび甲状腺がんと診断されたら、それが結果的に過剰診断のがんであろうと命を失うがんであろうとその時点で区別することはできないし、その後もほぼ永遠に知ることができないのだから、結局、通常の甲状腺がんと同じような苦しみを受けることになるのだ。

福島での甲状腺がん検診の話に戻ろう。被ばく線量やチェルノブイリとの差異などの話は、他に多くの書籍や論文も出ているので触れない。私は個人的には「福島の子どもたちの甲状腺がんは、過剰診断であるものが多い(全部ではない)」と考えているが、「だから原発事故と因果関係はない」とは考えていない。「原発事故のせいで甲状腺がんができたのではない」としても「原発事故のせいで甲状腺がんの診断をされる羽目になった」ことは紛れもない事実であり、「原発事故がなかったら、『過剰診断で見つかった甲状腺がん』のほとんどは発見されなかった」はずなのだ。

再度述べる。「福島の子供たちの甲状腺がんは過剰診断だから、原発事故のせいでがんになったわけではない」ことは真実だったとしても、それでもなお、「福島の子供たちやその家族が甲状腺がんで苦しんでいるのは原発事故のせいである」ことは事実なのである。「原発が事故を起こしたこと」に国や東電の過失が100%無かったのならまだしも、原発が事故を起こしたことは、長い目で見れば必然でさえあるとしか言えないほどの証拠が積みあがっている現在、少なくとも「不作為」により事故を起こした、国、東電、そして「安全神話」のもとで目を瞑ってきた我々すべての国民に、その責任があることは明白である。したがって、国や東電は「原発事故とがん発生との因果関係」ではなく「原発事故とがん診断を受けた国民の苦しみとの因果関係」を考えるべきであり、後者であれば、国や東電に賠償責任があるに決まっているのだ。裁判所の医学的能力には若干の不安もあるが、ぜひそこにフォーカスした裁判を行うことを期待したい。

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