NIKI HOLOS ハーブと惑星の関係②〜ケルト宇宙とハーブ〜
紀元前900年ごろに現れた、ヨーロッパの主要都市や河川にその名を残したケルト人。文字を持たなかったために記録がなく、西はアイルランド、東はトルコにまでおよぶ広範囲に居住していた古代ヨーロッパ屈指の一大民族でありながら、その実像については今だに論争が続いています。古代ケルト人は国家を建立せず、小さい民族の単位で行動しヨーロッパをどんどん南下していきました。
最盛期には南フランスの辺りまでケルト民族が繁栄していたそうです。彼らが同民族であるという証はケルト語を話すということと、身体的特徴と武器や装飾品、土器などによって区別するほかにありませんでした。
国も持たず、統一した王もいなかったのに、何故彼はそれほどまでに領土を拡大して繁栄できたのか。その陰にはドルイドの存在がありました。
古くからケルト社会において伝わるドルイドの秘術。
「ドルイド」とは「完全なる知識を所有する人」の意味で、ケルト社会で最も権威があるとされた聖職者のことです。
ドルイド賢者たちは20年という長い修行を経て、政治、経済、天候、法律など、あらゆることを樹木にたずね、社会を動かす神託をしていました。彼らは薬草の知識にも長け、医師であり、薬草学者であり、ドルイド僧は数かずの驚嘆すべき秘儀、秘術をおこない、きわめて高度な天文学、占星学、数学の知識を身につけていたと言われています。
わたしたちの祖先は、自然(ハーブ)に不思議な力や魔力が宿っていることを知っていました。ケルト人はキリスト教が普及する前から、自然を崇拝しており、全ての自然には神様や妖精が宿っているという考え方のもと生活していました。そこから、様々な妖精が出てくるたくさんのケルト神話が存在するわけです。
そして、かれらはまた、地球をネットワークする大地のエネルギーライン=レイラインに関する知識も備えていたとも。
「地球を人間に例えるなら、山と岩が骨、水が血、磁力(大地のエネルギー)が神経に相当する。」
ドルイドの信仰は、太陽崇拝と肉体は滅びても魂は永遠だとする霊魂不滅の思想に代表されます。太陽や星など天体の軌道、四季の円環を崇拝し、人間もまたこの軌道に準じる存在であったと信じたのです。「ケルト十字」は、その教義その物を体系化し、奉られたものだと考えられます。
占星術の起源は紀元前20世紀から16世紀のメソポタミア文明 バビロニア(現イラク)にまで遡ります。
聖書に記されているバベルの塔は、実はバビロニア人の天体観測所だったといわれています。バビロニア人は「天体の現象は地上の出来事と関係する」という「科学的仮説」に基づき、観察という「科学的方法」によって未来予測が可能だと信じられていました。
バビロニアの占星術は、紀元前6世紀にはバビロン捕囚を機にユダヤとペルシャに伝わり、さらにペルシャからエジプトとインドへ流れていきます。
バビロニアで基礎を築いた占星術は、やがてギリシャ、ローマへと伝播。紀元後2~3世紀のエジプトの都市アレキサンドリアで完成します。ドロテウス、プトレマイオスらが体系化して現在の出生天球図(ホロスコープ)の骨格が仕上がりました。
古代ローマ帝国滅亡後は、12世紀にアラビア語やペルシャ語の文献がヨーロッパに伝わるまで、イスラム圏で発展を続けます。
古のギリシャやローマの占星術は中世の暗黒時代に教会権力によって一旦は封印されたものの、12世紀にイスラムやインド、またケルト民族のドルイド教を経て英国に伝えられました。
ローマの記録にもありますが、ケルトにはすぐれた暦があり、その暦にしたがって、ハーブの薬効が一番充実している期間に収穫していたといいます。ケルトのハーブと暦(季節、天の星)のつながりは、医療占星術を重視する西洋伝統医療の中に受けつがれました。