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NIKI HOLOS〈ヒルデガルト ・フォン・ビンゲンを再発見した医師〉

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現代ヒルデガルト治療学の父と呼ばれるゴトフリート・ヘルツカ博士は、現代にヒルデガルトの治療学をよみがえさせました。

800年以上もの間、ヒルデガルト治療学は社会から完全に忘れ去られ、ヘルツカ医師の尽力がなかったならば、現代によみがえることはなかったでしょう。

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンまたはビンゲンのヒルデガルト(独: Hildegard von Bingen , ユリウス暦1098年 - ユリウス暦1179年9月17日)は、中世ドイツのベネディクト会系女子修道院長でした。
ベネディクト派の修道女は一生修道院内で過ごし、世間とも隔絶され、中世の修道院では様々な薬草が栽培をし、修道女が薬を調合して治療を行っていました。訪れた深山にある修道院跡にも調剤棚に小さくてカラフルな薬壺が所狭しと陳列されていたようです。

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1960年代に、それまで人々に忘れ去れてたヒルデガルトの著書を発掘し、ヘルツカ医師ともう一人の尽力者 シュトレーロフ博士によって、30年間にも及びヒルデガルトの治療学による治癒を実践し、大きな成果をあげた治療法やレメディについて、器官や疾患ごとに具体的な治療事例や、中世の錬金術的治療法の頂点と考えられたヒルデガルトの残した医学に関するものを広範囲にわたり解説してのこされました。

ヘルツカ医師とヒルデガルトの出会いは、ウィーンで医学を学んでいるときまで遡ります。
癌の治療研究に力を注いでいるのにもかかわらず、欲している答えを見出すことができなかったときに、ヘルツカ医師の叔父から手渡されたヒルデガルトのドイツ語版書籍 Causae et Curae(病因と治療)の最初の数ページを読むやいなや、ヒルデガルトの教えが西洋医学とは全く持って違う、新しい画期的な視点を持っていることに気づきを得ます。

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そこからヒルデガルトへの敬愛は、ヘルツカ医師の妻が「ヒルデガルトと結婚したようなものだ」と述べるほど運命的なものとなります。

その後、第二次世界大戦へ時代は突入した際、医薬品が不足している際、ヒルデガルトの教えを基に治療することで足を負傷したロシア兵士が奇跡的な回復をみせることで、「我々は、ヒルデガルトの治療学で、これから、たくさんの奇跡を体験する」とこう述べたそうです。

1955〜83年まで、自身の病院にて自然療法を取り入れた治療を推進し、ヘルツカ医師は西洋医学の博士・医者でありながら初めてヒルデガルトの治療学を現実のものにしたのです。

私たちが現在、このようにヒルデガルトの治療学について知識を深められるのはヘルツカ医師のおかげでもあるのです。

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