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わたしの鍵は母子手帳


あれは高校生の頃だっただろうか。

それが何かすら覚えていないが、わたしは何かを探していた。きっと、書類のようなものだったのだろう。あらゆるものがファイリングされている棚に手を伸ばし、引き出しを開けたり閉めたりとひっきりなしに手を動かしていた。

まさかここにはないだろう、と、小さな引き出しを開けた時、わたしの手はふと止まった。そこは印鑑や通帳のような、大事そうなものが入っている引き出しだった。手を伸ばし、通帳を持ち上げてみると、「母子手帳」の文字が目に入る。

それまで存在を気にしたこともなければ、両親から手帳についての話を聞いたこともなかった。けれど高校生にもなればなんとなく存在は知っている。

わたしはそっとページを開いた。固唾を飲む。なぜだか、見てはいけないもののような気がして、母がこっそりつけている日記を勝手に覗き見みしようとしている気がして、心臓がバクバクする。

だがそんな緊張も1秒後には消え去って、わたしは、静かに泣いた。自分の思考が追いつくよりも前に、訳もわからず泣いていた経験は、人生でたった2度。死んでしまったおじいちゃんを目の前にした時と、この時だ。


涙に色がついているとしたら、おじいちゃんの時は深い深い蒼色で、この時はうっすらとしたピンク色といったところで、一瞬で心がじわっと温まるような感覚だった。

何月何日、今日の体重、体調、食べたごはん、この日はどんな気分だったか。そこには、事細かに状況が書き込まれていた。1ページ見ただけで伝わるほど、母から私への愛が詰まっていた。

わたしとその時の自分の様子を忘れまいと、毎日筆を執り、細かく手帳に文字を羅列する母の姿を想像すると、どうしても涙が出てくるのだった。


最近、歳を取ったのか。母の偉大さを毎日ひしひしと感じると同時に、もっと早く母へ何か恩返しをしなくちゃ。という気持ちが強まってきている。


自分の不甲斐なさを感じることも多い日々の中で、家事や育児をこなしつつ、仕事も常に全力でたくさんの部下を抱え、バリキャリで進んできた母のすごさを目の当たりにしているのだ。

きっとわたしは、何年生きても、何ひとつ私の母に敵わない。辛抱強さも、優しさも、見返りを求めない愛情を持っている清らかさも。

けれど毎日を忙しなく過ごしていると、母子手帳を開いた時に感じた、あの言葉にできぬほどの溢れる感謝の気持ちも、母のすごさも、忘れてしまいそうになることがある。

母には、あの時母子手帳を覗いたことを伝えなかった。こうやって忘れそうになったら、また実家に行った時にそっと開いて、思い出して、そしてそっと閉じるのだ。

もちろん、母だけではない。父や姉や親戚、たくさんの人に感謝しながら過ごしていかなければならない。ただ、その事実を思い出させてくれる1つの鍵が、わたしにとっては母子手帳なのである。

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