自然を楽しむ心に色は関係ないけど意識はした方が良い
近所の緑地でも森でも山でも海辺でも、自然に触れたくてそうした場所に入っているのに、中々それに浸りきれない、馴染めない、と言う人が時々いる。そこの自然度が高いとか低いとか、知識があるとかないとか関係なく。
そういう時は、一緒に歩く人を選んでみると良いかもしれない。私の場合、近くに強い色を持つ人がいると感じると、浸りきれない。色とは、個性とか性格とか気質そのもののことだ。色が強い人に出会うと、圧倒されてしまうのだ。ただ、そうした人から得られる良い刺激は多数あるので、色が強いからダメだと言いたい訳ではない。自分にとって合うタイミングや、合う場所というものがある、というだけで。
私は、一見すると無色だと思う。学生時代、清少納言の枕草子を朗読した時、教師から「頑張って読んでいるのは分かるが、白湯のようだ。」と評価されたことがある。言い得て妙で、これは私の気質を表している。つまり、無色透明で無味無臭。
私は、無意識で自身の内面と向き合っていることが良くあり、特に自然と触れているときは、静かに密かに没頭する傾向にある。それでも、時々感情が揺さぶられる瞬間があるので、そういう時は子供のように素直にその感情に従う。
例えば、「目の前を飛ばれると掴みたくなる。」と言っては、トンボを素手で捕まえようとし、写真を撮るには難しい角度で花咲かせる植物にはアクロバティックな体勢で近づく。
すると、近くにいる人は「少年かっ!」と笑ったり、「えwなに見てるの?」と興味を示したりする。常にそんなことをしている訳ではなく、平常運転から唐突にそうなり、しばらく後、また平常運転に戻るので、時々「可笑しなことする(言う)ね。」と言われる。
無色透明のお湯に、色の付いた一滴のしずくが落ちて、色が出たと思ったら馴染んで消える、自分はそんな個性なんじゃないかな、と思っている。未だに、自分と同じだと思う人と一緒に森を歩けたことはないけど、近い人と歩いたことは何度かある。かなりリラックスできて色んなものが見えてきて、共感も多かった。実はこういう人、結構いるんじゃないかと思ってる。
自然散策は好きだけど、イマイチ浸りきれない、リラックスし切れない、という人は、刺激は少ないかもしれないけど、自分と同じような色を持っていると思う人と出歩いてみると良い。きっとつられて、自分の中にある「これが好き」が顔を覗かせるはずだ。