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傷痕


久しぶりに、切りたいと思った。切るのは、自分の腕だ。

初めて切ったのは高校生のときだった。
突然、なんとも言えない不安感に襲われ、夜だったにも関わらず気が付いたらコンビニでカミソリを買っていた。
自宅に戻って、刃を腕に立てた。スーッと引くと、不思議と心が落ち着いた。

思い返せば私が自傷行為を知ったのは、小学生の頃だ。
クラスにひとり、自傷行為をしている女の子がいた。
「今日はここ切っちゃったの」と彼女はどこか愉悦な表情を浮かべながら、包帯が巻かれた手首を私に見せたのだった。

その頃の私はまだ小学生だったから「自傷行為」というものを知らなかった。

どうして自分で切るんだろう。
どうして見せてくるんだろう。

そんなふうに思いながら、私の反応を待っているかのように瞳をきらきらとさせている彼女に、私は曖昧な相槌を打つことしかできなかった。

初めて自分の腕を傷付けたときの安堵感を今でも覚えている。
急に襲ってきた言葉にできない不安が、一瞬にしてふわっと消えたような気がした。ざわざわとした心が静まり返った。

それから、「切りたい」って思うたびにカミソリを自分に当てた。家でも、時には学校でも。


でもどんなに切っても痕は残らなかった。
周りの誰にも言ったことも見せたこともなく、知られたくもなかったのでそれはありがたかった。

しかし、どこか物足りない。
痕が消えてしまうことの寂しさや不安の気持ちもあった。
血が滲み、ミミズ腫れになって数日後にはきれいさっぱり消えていく。
自分の体に傷痕があるほうが落ち着くなんて、自分は何なんだろう。


自分を傷付けていた時代は、黒歴史だ。
最近では傷付けたい衝動も起こらなくなって、あの頃のことを思い出すたびに恥ずかしい気持ちにもなっていた。
できることなら、誰にも知られたくない。
知っているのは私が信用しているほんの一部の人達だけで、もう何年も切っていない。


それなのに、また私は自分を傷付けた。


もう、どうしようもなかった。
頭の中で溢れる言葉が、口に出したい言葉が、ほんの少し残った理性が止める。相手に言ったら、きっと傷付く言葉を。
そうやって相手を守る行為が、私自身の首を締めてゆくことは分かっているのに。
本当に言いたい言葉は喉元につっかえ、その代わりにひゅっと息が詰まった。動悸と同時に、くらっと立ちくらみがした。
自分の気持ちとは裏腹に、相手の顔色をうかがう言葉ばかりが出てくる。そこに私が私自身を大切にできる言葉はなかった。

苦しい、分かって欲しい。私は、そんなこと嫌だ。

気持ちの置き場所が無くて、ずっとずっと探しているのだけどどこにも見つからなくて、行き場の無い感情たちが胸の中で溢れる。心が過呼吸を起こしているみたいに、酸素を求めてもがいている。
苦しい。息の仕方が分からない。あぁ、もうだめだ。切りたい。


早く自分を落ち着かせたくて、この行き場の無い気持ちを収めたくて、洗面所にあるカミソリを握った。グッと力を込めて腕にそれを当てる。でもこんなときも冷静に、誰にも見つからない場所に。

さぁ、早く切らないと。
勢いよくカミソリを引くと、肌に薄らと1本の傷痕...と呼ぶのも大袈裟なぐらいの痕が残った。何度おなじところを切っても傷痕が重なるばかりで、なぜだか血は出なかった。

血は出なかったし、痕もすぐに消えた。

だけど、あのとき付けた傷痕のおかげで、私は今、生きているんだと思う。
もう見えないけれど、心にはしっかりとミミズ腫れの1本の筋が残った。

体の傷痕はすぐ消えるのに、なんで心の傷痕は消えないのかな。人間って本当にめんどくさい。

私はただ、心の傷痕が見えないから、代わりとして体に傷痕を残して安心したいだけなのに。

「自分はこんなにも傷付いてるんだぞ」って、まるでまだ言葉を知らない赤ん坊が泣くみたいに。

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