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9. 話の長い人は無能なのか(就活について考えてみた)


どうも。相変わらず仕事のメインはSIerでの開発職(SE)をしていて官公庁向けのシステム開発をしているわけですが、社内のサブ職のようなもので、新卒採用のアシストみたいな立場の仕事も実はやっておりそれが4年目を迎えました。基本的にOB訪問を受けたり企業説明会で司会やパネラーやったり座談会で話す社員をするくらいで、採用権限は全くない仕事なのですが、この時期は学生のOB訪問が本当に多い。コロナの影響でOB訪問がオンライン化が進んだからか、特に今年はほんっとうに訪問数が多い。

自分自身、就職活動は始めるのが遅くて大学3年生の終わり(3月)からスタートしたのもあり、結構スピード感をもってやる必要があったので、就活でのセオリーやビジネスにおける振る舞い方などをちゃんと自分で考えて自分の中に腹落ちさせるような作業ができなかった。ただ社会に出れば本当に就職活動のセオリーとされていることが正しかったのか?と考える機会はたくさんあって、このサブ職の新卒採用にかかわる仕事でも学生によく相談されるから考える機会が多くて。

そこでいくつか思ったことを「就職活動について考えてみた」シリーズとして何本か書こうかなと思います。今回はその第一弾。


今回考えてみたのは就活でのセオリーとされる「面接時の質問に対しては簡潔に短く回答する」こと。

「この人の話は長い」とか「ビジネスにおいて話の長い人はだいたい無能」とかよく聞くし、この前OB訪問で「面接では回答で30秒使っても大丈夫ですか?」と質問されたり。このセオリーについて考える機会は多い。

たしかに簡潔に短く回答できるならそれがベストなのは間違いないと思う。んだけど、短いのは正義ではない、と思うし、背景や前提となる知識・情報レベルを合わせるために長いのであれば問題はない、というのが個人的な答えかな、と思う。

職場においてもよく見るんだけど「短く簡潔に話せるけど内容が欠けすぎて伝わらない人」が世の中にはほんとうに多い。個人的にはこれでは本末転倒だと思う。このような人たちの多くに欠けているのは「背景・前提となる情報や知識レベルを合わせること」が多いと思う。これは社会人もそうだし学生もそう。OB訪問でここが欠けている人と話していると、ん?と思うことが多いし、逆にそれができている人はすんなりと会話できる。

たとえば、よくある質問「学生時代に頑張ったことと苦労はなんですか?」と聞かれたとしてとして「学生時代にサッカーをやっていて、チームがうまく成績が残せなかった時期がありました。原因はメンバ間での目的が揃っていないことだったので自分がミーティングを設定したことでチームとしての目標が明確になり、成績向上に貢献しました」と話したとする。たしかに簡潔だし20秒くらいで話せる圧倒的な短さなんだけど、面接官にはおそらく何も伝わっていなくて大したことしてない(というか大したことかどうか判断さえできない)ように伝わると思う。自分が面接官ならたとえ回答に3分かかったとしても、①チームの規模感・レベル、②(客観的な事象としての)成績不振の詳細、③成績不振の原因の推察とその過程、④対策のミーティングの詳細、⑤ミーティングでなぜ解決したのかの考察 などを入れて話してくれる方がはるかに評価を上げたいと思う。特に③⑤などの考察の部分は学生は意識的に話してくれるのだけど、①②④などは自分の中に事実ベースの前提がありそれを伝わっていないことに気づけないことも多いので要注意だと思う。

ビジネス以外の場、たとえばプライベートでの会話(友達との会話など)では話の短さはある程度正義に近いと思っていて、ここでは興味があれば聞き手が理解できなかった部分を質問してくれるので前提が変わるかなと思うんだけど、面接において面接官は履歴書やES(エントリーシート)以外の学生の情報を知らずに学生と会話する。自分の話すエピソードに興味を持ってくれるかもわからないなかで、”他人任せ”(=面接官の質問待ち)部分が多いのは合格率を不安定にする要素になり得る。

面接官の質問は「採用是非を判断するために聞きたい事」「回答内容・エピソードが伝わっていないときの自分の理解のための質問」の2種類は少なくともある。前者の質問は基本学生がそのとき何を考えていたかで判断することも多い気がするし、上記の例であげた③⑤の考察内容みたいなことを聞いてくれるのだが、後者の質問はだいたいは①②④のような事実ベースの背景知識レベルが揃っていない。しかも最悪の場合、面接官自身も事実ベースの認識齟齬に気づかず後者の質問をしないことだって多くある。そのような認識齟齬を防ぐためにもなるべく自分自身の回答に事実ベースの知識レベルを合わせることができているかという観点は入れておくべきだろう。そのうえで話が長いのはべつに評価が落ちることはない。もちろん何回も同じ話をしたり、話がまとまっていなくて話が長いのはNGだけどね。


普段短く話せている人はその人の選んでいる語彙や内容がよほど優秀なのか、聞き手の想像力・傾聴力の豊かさに相当助けられているかでしかないと思う。前者は本当にすごい人(自分も参考にしたい)だが、99%くらいは後者だと思っていて、周りが優秀な人材じゃなくなった瞬間に伝わらなくなる。既に社会人になっている人はご存知の通りだが、社会人だからレベルが高いわけじゃない。年上でもレベルが高くない人はたくさんいる。周りの聞き手レベルに左右されないためにも前提知識レベルを合わせることは社会人になっても大事なのだろう。特に今まで想像力や傾聴力の豊かな聞き手に恵まれて生きてきた人(もちろん学力がすべて直結しているわけではないのは理解しつつ書くが、自分は高校・大学はやっぱりそういう人に恵まれてたなあと思う)は、社会に出て伝わらなさにびっくりするけどそれは周りの聞き手レベルが低いだけじゃなくて自分の話し手レベルが低いことの証でもある。


ちなみに自分は一つの質問を平気で3分くらいべらべら答えてました@面接

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