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やらない善よりやる偽善

著名人や有名人が慈善団体への寄付やボランティアをしたことを発表するたびに、偽善だの売名行為だの批判する人たちがいる。

人助けは黙ってすることの方が美徳だ、という意見は理解できなくもないし、人それぞれの意見があるので、そういう人たちの考えを否定するつもりもない。


だけど、私には有名人が寄付やボランティアを発表することには、別の役目があるように思えてならない。ファンやそれを見た人に良い影響を与えることだ。

例えば、災害や差別、貧困その他で困っている人がいると意識させるためや、同じような活動を支援したいと思ってもらうために、発表は有意義なものだと考える。実際に何か行動を起こさせるところまで至らなくとも、意識を向けさせることができれば大成功だと個人的には思う。


それに、その寄付やボランティアで実際に助かっているもしくは勇気をもらっている人がいるのは事実だと思う。その支援の輪が広がればさらに良い。それを偽善だと呼ぶつもりはさらさらない。


話は変わるが、私の周りのある人は「ファッションエコ志向」を嫌っている。ここでいう「ファッションエコ志向」とは、エコなファッションを好む人ではなくて、おしゃれの一環としてエコやサステナブルに興味を示す人のことだ。

スタバにマイタンブラーを持っていったり、紙ストローを使ったりして、エコやサステナブルのハッシュタグを付けてインスタにあげる人や、流行りだからとビーガンの食生活を始めるような人のことをその人は馬鹿にしている。

言い分は、本来の環境等への配慮という角度からずれて、おしゃれとかインスタ映えとか流行りのためにエコに見せかけているのは、いわゆる意識高い系と同じだということだ。

だけど、例えファッション目的だとしても、環境のためになっていることは間違いないし(大豆ミートが実際に環境に与える影響とかは論点がずれるのでここでは置いておいて)、やらないよりはやったほうが良いだろう。少なくとも文句をつらつらと言うだけよりは。


ボランティアや寄付にしても、エコ活動にしても、背景に売名やおしゃれという動機があったとしても、やることに意味がある。それは何かの一助になっているはずだし、周りに良い影響を与えることもできるかもしれない。

偽善になるのは嫌だから、おしゃれのためにやってると思われたら嫌だから、という理由でやらないよりも、誰かや何かのためになるのならやったほうが良い。


私自身は少なくとも、こういう人たちを偽善だとは思わないし、否定するのではなく応援したいと思う。一人ひとりの小さな行動でも誰かに良い影響を与えることはあるし、みんなでやれば大きな力になると考えているから。

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