土地、ネットワーク、そして複数の時間 ──自主ゼミ 「社会変革としての建築に向けて」レポート 大村高広
建築家・連勇太朗が、ゲスト講師を訪ね、執筆中のテキストを題材に議論する自主ゼミ 「社会変革としての建築に向けて」。
2021年9月22日に行われた第4回、建築家・乾久美子との議論のレポートです。
執筆者は、建築的実践を行うGROUPの共同代表で、雑誌『ノーツ』を年1冊刊行し始めた大村高広。
自主ゼミ「夏の陣」最終回となる第4回目のゲスト講師は乾久美子。
連は執筆中の新著を通して、社会変革(ソーシャルイノベーション)の議論を建築的実践の方法論や建築計画の知見に結びつけることで、社会的な課題の発見や解決に対する建築家の関わりしろを再構築し、とりわけ若い世代に向けて、建築を学び実践する新たな意義を提示しようとしている。連の資本主義や社会問題に対するリアリスティックな態度は一貫しており、絵に描いた餅ではなく、解決すべき社会課題とその範囲を冷静に見極め、解決手段を考案し実行に移すための方法とその精度こそを問おうとしている。
そんな連が、自身より上の世代で議論を望んだ建築家が乾である。乾久美子建築設計事務所(Inui Architects)の現在の仕事は、専用住宅から駅や学校施設、福祉施設といった公共的な性格をもった場の設計まで多岐に渡る。「延岡駅周辺整備プロジェクト」(2018年、以下「延岡」)では、プロポーザルから約9年もの期間に渡って粘り強く地域と連携し、極めて多様なプレイヤーと発注者が混在するネットワークのなかに従来の建築家の枠組みにとらわれない仕方で介入することで、これからの地域活性化のモデルとなるであろう、ゆるやかな全体性をもつ駅前の整備を実現した。また近作の「宮島口旅客ターミナル」(2020年)では、建物の竣工後も広場の監修者としてプロジェクトに関わり続けているという。このように、様々な問題を抱えている日本の公共事業において画期をなす仕事を行っている建築家が乾である。
「延岡駅周辺整備プロジェクト」 撮影:阿野太一
「宮島口旅客ターミナル」 撮影:阿野太一
乾と連は、世代こそ違えど、共通点がある。それは、シャツの選び方やメガネの形が似ているとかそういうことではなく(でもすごく似ている!)、両者がともに、建築物の設計だけでは社会問題への対処や公共的な性格をもったプロジェクトの遂行に限界があるということに自覚的でありながら、建築論から離れるという安易な選択もしない、そんな慎重な姿勢をとっている点だ。さらに、横浜国立大学大学院 Y-GSAでの乾のスタジオ課題はアクターネットワーク理論(Actor-Network Theory: ANT)をテーマにしたものだが、ネットワークは連が掲げる「社会改革としての建築」の計画理論における重要な概念でもある。そんなふたりの、建築と社会変革の接点において浮上する諸問題をめぐる対話が乾の事務所で始まった。
建築と社会のあいだにあるもの
連はマニフェストとなる論考のなかで、ヴィクター・マーゴリンによるデザインと民主主義の可能な関係を示した3つのカテゴリー(Design of Democracy・Design for Democracy・Design as/in Democracy)を読み替え、建築と社会変革の3つの類型を提示している(Architecture of Social Innovation・Architecture for Social Innovation・Architecture as/in Social Innovation)。この分類は確かに、建築と社会変革の関係を整理していくための道具として有用だと思われるが、乾はここでの置換の手続きに若干の違和感を覚えるという。「民主主義(デモクラシー)」は理念であり、他方で「社会変革(ソーシャルイノベーション)」は出来事や目的といったもう少し具体的な概念ではないか、と。同様に「デザイン」から「建築」への置換においても、(大半の場合)後者には敷地があり、都市の物質的環境を前提としたものであるという違いがある。つまるところ、社会変革と建築が結びつくのは理解できるが、その際には「都市」という土地や制度に関わるより具体的な諸問題が介在するのではないか、という指摘である。
そもそも社会変革とは何なのだろうか。連によれば、社会変革とは端的に、「市場の失敗」領域を扱う実践理論である。個人的にはこの考え方がとても印象に残ったのだが、これは市場原理でも公的な枠組みでも解決が難しい、社会のなかで取り残されてしまった課題が存在する領域のことを指している。例えば、モクチン企画が扱う木密や木造賃貸アパートといった問題は、市場が扱うには採算が取れず、行政が扱うには複雑すぎるものだ。が、そこには確かに社会課題が存在している。そうした失敗領域における社会課題を慈善事業として解決するのではなく、事業化することで、継続して関わることができる仕方で、あるいはローカルな試みであっても事後的なスケールアップが可能な(社会構造そのものへと介入しうる)仕方で解決を試みるところに、社会変革の勘どころがある。
さて、連が標榜する「社会変革としての建築(Architecture as/in Social Innovation)」において重要なポイントになるのは、社会変革と建築プロジェクトの同時性である。ここでは建築プロジェクトにまつわるあらゆるネットワーク、人間と非人間の異種混交的な布置連関が、先の失敗領域における課題解決に対して差し向けられる(素材の調達経路・施工方法・運営の主体・建築空間が媒介となる事物の流通・地域経済との関係・出来事の展開・エネルギー問題……)。こうした社会変革と建築の同時性という視点は、建築を社会に接続していく際に都市の物質的な状況を第一に考慮に入れる空間的な視点からは、矛盾しているように見える。しかし、連には空間によってすべてを解決しようという視点はそもそもない。というかむしろ、空間を一義的に考えた建築的判断を一旦停止することで初めて、建築に関連するあらゆるネットワークの運用とその市場の失敗領域への投入が可能になる、ということだろう。
とはいえ、建築プロジェクトがその終局において抗いようもなく物質化してしまうという事実は確かである。だからこそ、ネットワークから空間が現象する過程を、都市的な問題とともに具体化することは非常に重要な視点になるだろう。興味深いことに現在、難民支援やホームレス支援を行っていた連と同世代のNPO経営者のなかには、宅建を取って不動産業を始めた人物などが現れているという。炊き出しや支援プログラムといったものだけではなく、やはり最終的には、住まいやコミュニティといった土地に根付いた支援の必要性が求められる。土地にくっついていること、動かないということから生まれる可能性があるはずだ。建築は単独では成立し得ず、敷地をもち、土地の所有権とセットであり、都市の一部である。そうした建築の避けがたい保守性を最大限に酷使することによって初めて可能になる社会変革がある。乾と連の対話は、そうした可能性を予感させるものだった。
資本主義への距離感とシステムの複数化
資本主義に対する危機感を、乾と連は共有している。ただし連は、既存の社会システムを頭ごなしに否定しその急速な変更を求める従来のイデオロギー的な「アンチ資本主義」には懐疑的である。その前提として、資本主義が我々の欲望を構成要素にした極めて強固な統治形態であり簡単にはひっくり返せないものだ、というリアリスティックな認識があると思う。「社会変革としての建築」を実現するうえでの連の戦略は、資本主義の趨勢は衰えないという前提のなかで、建築を通して社会システムを複数化することで、資本主義がクラッシュした際に個人の生が受けるインパクトをできるだけ軽減しつつ、別の社会システムによって個人を支えられるような枠組みを構築すること、である。
その意味で、「延岡」において、蔦屋書店を全国に展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブが指定管理者として選定されたことは、諸手を挙げて喜ぶことではないのかもしれないけれど、それほどネガティブなことでもないのではないか、ということが語られた。資本主義への批判に対して、乾は世代的には中間的な立場にいる。(特に上の世代の)資本主義への理念的かつ急進的な批判に一方で共感しつつも、他方でそれに対する懐疑的な気持ちも持ち合わせている。たとえば「延岡」に関わった9年間のうち、最初の4年はアンチ資本主義的で、市民活動だけで施設が成り立つことに可能性を感じていたけれども、途中段階で商業施設が入ってくることが決まり、心の整理をするのに2年間を要した、と。アンチ資本主義的な立場からするとこれは由々しき事態なわけだが、とはいえ、商業的なプログラムに期待して施設を訪れる市民も実際にはいるはずだ(多分かなりいる)。だからこそ、公共的な性格をもった場において、商業的なプログラムに期待する消費的な態度と市民ワークショップによって熟成された市民の主体性を共存させるための空間設計の技術こそが、次の段階では問われることになった。「延岡」はおそらくそうした試みであり、これは連のいう「システムの複層化」のひとつの実践例でもあるといえよう。
ここで、資本主義の駆動を前提とした戦略の提示は、(特に世代の離れた建築家には)資本主義的な制度に対する迎合と受け取られかねない危険性があるという指摘が、乾からなされた。実際、かなり慎重な記述が求められる箇所だろうと思う。ところで話は脱線するが、このあたりはまさに自主ゼミならではのやりとりだろう。未完成の原稿を様々な世代に読んでもらい、フィードバックを受け、その対話の模様を開示するという状況。それは、様々な人々を巻き込みながら書籍の制作それ自体をひとつの時間の幅をもったプロジェクトとして立ち上げる態度──消費者ではなく、できるだけ多くの人々をプレイヤーにすること──であり、連の建築的実践とも通じているように感じる。また、乾の原稿の読み込みっぷり(マーカーが丁寧に引かれ、付箋もいっぱい貼られていた!)を見ると、こちらもまた、建築や地域に対して正面から真摯に取り組む姿勢と通底しているように感じられたのだった。
土地に根付いたネットワーク
冒頭で述べたように、Y-GSAの乾のスタジオ課題はANTをテーマにしたものだ。このテーマ設定のひとつのきっかけは、模型と図面だけではその本質を表現できない類の学生の提案に出会い、プロジェクトの表し方について問題を感じたからだという。これは単に表現上の問題というよりも、地域の諸問題に対する着眼点やその建築的な解決の方法など、プロジェクトそのものに潜在している構造がネットワーク図による表現を要請した、ということだろう。乾個人が実務のなかでネットワーク図を描くということはないということだったが(実務者はネットワークを肉体化してしまう、と)、パトリック・ゲデスの「バレー・セクション」のように断面図とセットで描くなど、空間や土地の状況とセットで構想されたネットワーク図には教育的な手応えを感じているという。設計課題においては、登場人物が人間に限られたネットワーク図はどうしてもフィクショナルな、宙に浮いたものになってしまう。しかし土地の断面や事物連関も含めたネットワークならば、たとえ課題であっても信頼できる図が作成可能になる。
半澤龍「大地のピロティ -人とモノが集まる町の収蔵庫-」
(2020年前期|乾久美子スタジオ|再読×ANT=建築の再生を考える)
建築の避けがたい不動性、それこそが現代の社会課題の解決に結びつく可能性がある、と先に書いた。乾の教育における成果と実感は、現実においてネットワークから建築を立ち上げていく際にも重要な参照源になると考えられる。ある限定された土地に埋め込まれる、自立した構造体たる建築の成立条件を対象に試行される社会変革のケーススタディ、ともいえるかもしれない。社会変革と建築の、ネットワークと土地の接地面。そこでは、居住場所を選択する際の政治的あるいは経済的な必要性や、そこに住むということを選択する際の抜き差しならぬ事情など、土地と人間の接点において生じる一定の強制力なども、社会課題の解決を目指すプロジェクトに取り込まれるだろう。それは、建築を通して、社会課題を解決すると同時に、その場所で生きる意味をつくることに他ならない。
急ぎつつ、のんびりする──社会変革としての建築における複数の時間
乾と連はともに、単体としての建築物を成立させている諸事物のネットワークに視野を広げ、そこでの事物の連鎖(もちろんここには事物としての人間も含まれるだろう)への介入を通して、人間が生きる環境を成り立たせている造営一般の整備に、その専門領域を拡張しようとしているように見える。「社会変革としての建築」は、社会的課題を解決すると同時に、社会的関係や、人間だけではなく非人間も含めた諸事物の協働関係を新たに構築し、さらに、建築(家)が存在し生み出されるシステムそのものを変容させていくものになる。
ただし、そこには大きな困難もあるように思われる。というのも、社会変革と建築は、明らかに対象とする問題のタイムスパンが異なっているからだ。それは「解決」と「生活」の時間的な周期のズレともいえる。社会変革はある程度緊急性をもった事態や状況への対処とその解決を目指している。対して建築がつくり出すのは、日々の反復的な実践によって習慣が身体に定着したころあいの、かならずしも意識されているわけではない“気散じ”状態の知覚だ。
建築は動かないし、簡単には壊せない。実際、建設当時は合理的な判断だったはずの(何かを解決したはずの)建物が、社会制度の変容やインフラの劣化とともに、様々な、まったく予期していなかった問題を数十年後にもたらす可能性は大いにありうる。だからこそ、もし「社会変革としての建築」が実現するならば、建築そのものがもっている「生活」レベルの時間の周期あるいは建築が対処すべき障害・災害のもつ時間の周期と、社会変革の要請する「解決」レベルの時間の周期が併存する状態について考慮する必要がある。
ひとつの方法は、連が提言する「デュレーション」、すなわち建築家が竣工後も主体的かつ持続的に建物に関係することでネットワークの編集・操作・改変の主体となることだろう。連の木造賃貸アパートに対する取り組みはまさに、過去の課題解決の時間の周期と建築が存在する時間の周期のズレに対する事後的な処方である。建築家のネットワークへの持続的な介入は、建築を通した新たな社会課題の発見と結びつくもので、確かに有効だと思われる。
社会課題の解決にまつわる時間とはまったく別のレイヤーで、手段とも目的ともいえないような、のんびりと呑気に過ぎ去っていくなんでもない日々の時間のレイヤーが、建築には確かに存在している。 急ぎつつ、のんびりすること。そうした複数の異なる時間、複数のシステム間の矛盾に対する介入こそが、「社会変革としての建築」を実践していく建築家に求められるひとつの技術なのだろう。
大村高広(おおむら・たかひろ)
1991年富山県下新川郡朝日町生まれ。2020年東京理科大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。博士(工学)。幾何学とスケールを中心にした建築理論が専門。建築設計を活動の主体とした集団「GROUP」共同代表。2021年には、他分野の専門家との継続的な議論・共同の場をつくることを目指した年刊雑誌『ノーツ』を刊行。
自主ゼミ「社会変革としての建築に向けて」は、ゲスト講師やレポート執筆者へ対価をお支払いしています。サポートをいただけるとありがたいです。 メッセージも是非!