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【歌謡ノベルズ】恋の予感







遠すぎて もう会うことも 触れるのも
叶わなぬのかと 見る君の顔



なぜ。
いつものように微笑むあなたの、力のない目から流れ落ちるひと粒の涙。
具合が悪くても会いに行かれないほどの街に住む君の、色を失ったくちびるから漏れるかすれた小さな呟き。
なぜ。
初めて会ったあの日から、今まで会わずにいない日はないくらい夢中になって。
ビタミンの欠乏症がカラダに悪影響を与えるのと同じで、あなたが欠乏症になると僕のカラダはエンジンが切れたように動かなくなって。

あなたに会えることさえできれば、僕はもうそれだけで心臓を締め付けられる程幸せだったのに。
それでもあなたは、もっときれいになりたいの?
その大きな瞳で僕を見つめてくれると、微動だにできなくなって、魂までもが吸い込まれてしまいそうなんだ。まるで頭がくらくらするように。
だけどあなたはいつも言ってた。
その大きな瞳を
「誰もが見つめてくれるわけではないの」
って。

そんな潤んだ瞳で言わないでくれ。
黒目がちの猫のようにくるくると変わるあなたのそれを見ると、ふいにゾクッとなるのを感じる。あ、これは。
恋の悪感?
熱っぽくて、いけないな。あなたの口びるが額に触れるのを夢見ながら、ちょっと一杯喉を潤してみたい。
それは、
恋のお燗。
人肌だったら申し分ない。人肌燗でほろ酔いになって、あなたの滑るような白い肌を想い浮かべたら。あぁ、そんな、
恋の股間。
しかもあなたは恥じらうように、
濃いの股間。
いや、いいんだ。それでも僕は。
だって、そんなのわからないよ。
鯉の股間。
僕はまるで人魚姫に出くわした王子のような形相で、あなたを見つめてしまうだろう。
するとあなたはぽろっとこぼす。
鯉の魚眼。
そうさ、今の僕のこの目にはあなたとそれを取り巻く世界が、倍率の高い魚眼レンズを通して見るような歪んだ世界に見えてきて。
ずっと、ずっと待ってる。
すると遠くから囁く声がするんだ。
来いよ、川越線。
あぁ、はっきり聞こえる。あの時の鐘が。

この大都会の街を包む夜は、色んな衣装を纏った魚が泳ぐ大きな水族館で、人々は感情が無いかの如く右へ左へとす〜いすい。ひらひらさせた薄手のスカートは優雅に翻す透き通った尾ヒレ。いつでも気ままにするっと腕からすり抜けてゆくあなたを踊らせるだけ。

こんな風に、夜の帳がおりた薄暗い部屋の中で、ふたり自由に愛し合って、絡み合って、求め合って、小さくすぼめた口からハートの形の泡を静かに吐き出しながら、さざなみにカラダを任せて祈る。
終わらない恋の予感が、 ただ駆け抜けるだけ。

なぜ。
完全にあなたのカラダから、恋の魔法が消えてなくなるまでは、まだ少し時間がかかる。少しずつ、少しずつ、ゆっくりと滴り落ちてゆくようなその液体が効き目を表す頃にはもうあなたは、僕に
「好きだ」
と言えなくなって。もう言ってはくれないの?
その美しい絹のように柔らかい声と引き替えに美脚を手に入れた人魚姫のように。
幸い僕は美脚好きだ。
だけど届かぬ想いが、あなたの細い横顔のような三日月に揺れて揺れて。宙ぶらりんにぶら下がって夜空に揺れたまま、どっちつかずの気持ちと同じに僕をいつでも迷わせ、悩ませる。

外車ばかり乗り続けて、手間ばかりがかかることに疲れ果てた僕は、手っ取り早く自分のフットワークを確保するために選んだ車が、トヨタのアクア。色は+3万2400円の、クリアエメラルドパールクリスタルシャイン。鮮やかなブルーが環境性能の高いアクアにピッタリマッチ。
そんなコンパクトで小回りの効くアクアで二人の時を泳ぎ始めたら、まるで僕たちは宇宙を浮遊しているみたいな、どうにも安定感のない異空間を漂いながらガガーリンの言った『地球は青かった』なんて言葉を思い出して、机の引き出しに入れっぱなしになっていた「月の石」はどうしたかな、なんて思い出してみたり。

あの時、湧き上がる衝動を冷却保存できないままに、満室続きのホテルを渡り歩きながら、潤って滴って、僕の横でピチピチしているあなたを熱く感じ過ぎて。もう止められない。いや、でもすぐに止めて。思わずいつもかけている眼鏡を瞬時に振り払い、どこへ行ってしまったのか探さなくてもいいように、慣れたようにハンドルへ引っ掛け、すぐさま口びるを奪う。

僕の胸板の上に乗せてサーフィンのように波乗りをする人魚姫。どうか、上手く波に乗ってくれ。小さな胸を覆う手のひらの形の貝殻を取り除き、さぁ、僕の手ひらの中へ。ふと気がつくと僕の手のひらには小粒の真珠がころころ転がり落ちてきて、それをひと粒ひと粒集めて作る首飾り。

風は気まぐれだから、ひんやりと感じたらもうあなたを惑わせるだけかもしれない。息もつけないくらいに激しく、ずっと夢見ていたように、あなたの柔らかな肌を感じる。そんな恋の予感が、こんなにも強く、ただ駆け抜けるだけで。

波間にゆらゆら顔を出しながら、あなたは水槽の中から、僕を探し続けていてくれた。この大都会という水槽の泡に隠れた片隅で、毎日をあっぷあっぷして過ごしていた僕を、柔らかな声で振り向かせてくれた。
今まで僕は、誰かを待っても、決して見返りを求めたりなんかしなかった。それにどんなに待っても、僕のところには、あなたのようなヒトが飛び込んでくるとは思わなかった。もう、そんな気持ちになるなんて考えてもいなかった。

なのにあなたは今夜も、漏れる吐息が悩ましすぎて。どうにも抑えきれない理性がむくむくと膨らんでゆくのを、何だか大切なものを包み込むように揉みしだくその手の感触。意思ではどうにもならないこの慟哭。少しずつ少しずつ慰めて昇天していく聖母(マドンナ)の溢れ流すミルクを、耐えきれずに静寂を破ってずどんと射抜いた時のような。そんな名前の昔よく飲んでいたワイン。ドイツのライン地方でできるぶどう、モリオ・ムスカートを使って出来た、軽い甘口ワインのリープフラウミルヒ『聖母の乳』を冷たくして飲みながら。

そんなふうに、飲めば飲むほど、あまりにあなたに恋い焦がれた僕は、冷たい魔法の雫を喉へと流し込みながら、星のあいだをさまよい流されるだけ。あなたを追いかけ星の間をさまよい続けながら、終わらない夢のつづきを また見せられるだけ。

風は気まぐれで、いつだってあなたを惑わせるだけ。
そして、僕の周りには今も恋の予感が ただ駆け抜けるだけ。

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