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どうやら写真が本当に好きみたいだ

タイトルだけ見たら、もうどうしようもなく写真を愛し、好きで好きで堪らないというような人に見えるかもしれない。だけど実はかなりぬるめの、平熱みたいな「好き」だったりする。

自分のカメラを持って写真を撮り始めたのは19歳のとき。もうかれこれ7年も前になる。その間ずっと写真を楽しめていたわけではなくて、むしろ苦しく思うときもあり、写真とはつかず離れずの関係を繰り返してきた。

世界にはプロが撮った素晴らしい写真がたくさんあって、どうにも超えられない壁を感じたり、SNSでバズっている写真を見てちょっと妬ましく思ったり。感情的になってしまって忙しかった。

極論としてたどり着いた感情は、
こんな写真、同じ機種を使っていれば誰でも撮れるじゃん。


そんな風に散々葛藤してきたけれど、今考えるとちょっと小難しく考えすぎていたように思う。もっともっと、シンプルでよかった。

「他人の目」を意識して撮った写真は、カメラの性能のおかげで綺麗ではあるけれど、恐ろしくつまらなくて、何枚お蔵入りになったかわからない。


その写真から何も感じないのは、写真を撮るときに、ただ綺麗な情景を切り取った、「記録」になってしまったからなのかもしれない。表現が難しいけれど、「あ、綺麗(だと思われそうだな)」と思って、機械的にシャッターを切ることが多かった。

シャッターを切る前に、自分自身がその情景に見入ったり、周りを観察したり、そういうのをスキップして、見る人に「ウケる」ような場面を、惰性で切り取っていただけだったのだと思う。

あとから見たら、その情景は自分が好きなものでもなんでもなくて、さらには「こんな写真撮ったっけ?」と思うような写真もあって、レタッチもろくにしないままメモリを圧迫するだけの写真になってしまった。


他人じゃなくて、自分のために写真を撮る。
自分が好きな写真は?自分が好きなものや風景やシーンは?
自分が見たものの雰囲気がちゃんと伝わるようなレタッチは?

他人じゃなくて自分を軸にしたら、一枚の写真にこんなにも愛着がわくということを知った。自分の好きを突き詰めると、そういう写真が出来上がったときにそれだけで嬉しくなって、写真が好きだと思うようになった。


きっと誰かにとっては簡単なことだけど、このことに気づくのに7年もかかってしまった。やっとこさ気づけた今、もっともっと、これまでの分も写真を楽しむことを心に決めて。続けていきたいと思います。


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