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まつげによせて

先日庭園美術館へ行った。数年前にできた新館ではいま、『東京モダン生活』という展示が催されている。モダンガールたちの生き生きとした写真が数枚、心に残った。体の線をなぞった、シックなデザインの洋装に、パッチリアイメイク。胸を広げ、自信に満ちた立ち姿はほんの数年前までしとやかに着物を着ていたとは信じられないほど。大正以前の美人観は唐突に、ぐるりと、それこそ180度変わった。ものごとはときに、こんなふうに変化するものか。

大正以前の古い美人画に描かれる女性にまつげはない。結婚した女性が眉を剃り落としていたことは広く知られているけれど、まつげは一体どうしたのだろう。二重瞼や濃い睫毛は、忌避されていたのだろうか。それまで無視同然だったものが突然の格上げ扱い、大正時代の睫毛たちもさぞかしびっくりしたことだろう。
ときは流れて現代。私たちはあれ以来、まつげの呪縛に囚われたまま。アイライナーで目を縁取り、エクステンションやつけまつげをつける。ビューラーで持ち上げ、マスカラをぬる。「アイメイク」と呼ばれるものの大部分はまつげにまつわる作業に費やされる。

ところで2年ほど前に本格的に山登りを始めた。山に登ると当然のことながら化粧が剥げる。そこにまた日焼け止めを塗る。山小屋に着く。水はない。顔はいわゆる洗顔シートで拭う。山小屋で朝を迎える。再び洗顔シート。昨日のアイライナーの名残がまだうっすら残って見える。薄暗い小屋のランプの下ではメイクがきちんと取れたかどうか、よく見えないのだ。さらにそこに新たな下地やファンデーションを塗り、眉毛を描き、アイライナーをひく・・・。そして山頂ではまたほぼ化粧は落ちている。その顔を写真に収める。
ダメだ、これじゃなんかダメだ。それまで美容と礼儀はほぼ同義、相手に失礼のない程度のメイクとこぎれいささえあればそれで事足りるという人生を歩んできた私に訪れた(遅めの)転機だった。山でメイクなしでそれなりの感じでいられるようにありたい。山頂での登頂写真を、2度と見たくない。とならないようになりたい。

小さいことだが、最初は山での乾燥と日焼けを防ぐために(←重要。カッサカサになってひび割れる。)携帯しているリップを、色付きに変えた。それを皮切りにファンデーションで隠してきた薄いシミをレーザーで焼く。ついでに思春期以来長年悩まされていたニキビの薬を処方してもらう。そして目は・・・?(私の)アイメイクは、10割がまつげだった。40歳に近くなって以前より減ってきたな・・・という実感があるのもまつげだった。まつげさえなんとかなれば私のアイメイクはほぼ完成だ。エクステには抵抗があった。自分のオリジナルのまつげに悪い影響しかなかろう。ジェルネイルもオリジナル爪がどんどん薄くなるのが怖くてやめてしまった私である。
ところで以前仕事で噂を聞いたことのあるまつげ美容液を思い出した。使っている人が「まつげが伸びすぎて、ハサミで切ってる」と言っていたほどのしろものだ。これだ。これしかない。(他を知らない。)
そして噂は本当だった。使い始めてすぐにまつげは伸びたし増えてきた。ただレビューにあった通り色素沈着が多少ある。アイシャドウみたいだからまあいっか。(使用を中断するとなくなる。)(かゆみのある人もいるみたいだから両手をあげてのお勧めはしない。)やったぞ。これで山登りに自信が出てきました!・・・ってどこかの謳い文句も嘯けそうな気分である。
ちなみに眉毛は帽子で隠れるから、この「山頂でいい感じの顔計画」には含まれない。

さてここのところ、目尻のしたの部分に黒い影のようなものが現れ始めた。シミかしら?もういい歳だから、いろんなことが仕方がない。山ではともかく普段の生活ではファンデーションを伸ばしておけば隠れる程度のものだ。あんまり目立ってきたら皮膚科の先生に相談してみようかな。
そのまま数ヶ月が経った。例の影はますます色味を増しているようだ。ふむ。

そしてさらに時間の経った昨日の午後。普段ほとんど使うことのない手鏡に自分の顔を写してみた。やはり目元の影が濃い。鏡を近づけてよく見てみた。窓の明かりで見ると、この影が細い線の集まりであることがわかった。嫌だな、もしかして、くすみではなくシミでもなく、シワ?ちりめんじわってやつ?(←よく知らない。)笑い皺ならともかく、笑っていないときにまでシワができてしまうとは。歳って取りたくないものね、と思うことがもう嫌ね。
ひとまずこのシワにクリームを塗り込もうと引き出しを開け、目元に指をやったそのとき気がついた。最近、老眼が始まって近くがあまりよく見えないのである。そこをなんとか、よくよく見てみると、その細かい線は、生毛だった。みっしり規則正しく生えた、生毛。間違いなくまつげ美容液の効果であろう。風呂上りにまつげの根元に塗られた美容液は、寝ている間に目尻、目尻からさらに下へと流れ、そこの皮膚の増毛を促したのであろう。私は笑いを堪えながら(笑うと目尻の中に毛が折り畳まれてしまう)、丁寧に生毛を剃った。T字剃刀ではうまく剃れないが、影はきれいになくなった。なんだったのこの半年。また元気に山に登れそう。

写真は安達太良山山頂にて。山頂でいい感じの顔計画が、全く意味をなさないこともある。

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