わかるコミュニケーション、わからないコミュニケーション
ものを言い終わる前から「わかる〜」と被せてくる先輩が、会社を辞めた。彼女は人材営業の仕事をしていたので、多くの人と接する中でその技を身につけたんだろう。世の中にはきっと、「わかる」と言ってほしい人が多い。
「わかる」の一言で相手に乗っかるのは安易なように見えて、実は洗練されたコミュニケーションの一つの手段なのかもしれない。「わかる〜」と言う数秒の間で相手の言っていることを咀嚼しつつ、さらに「うんうん、わかる〜」と言われた人は調子が乗り、さらに詳しく自分の考えていることを話しだす。それに対してさらに「わかる〜」と重ねれば、数ターンが終わった時には、少しわかるようになっている。
これが「わかるコミュニケーション」。
対して、「わからないコミュニケーション」。
先日、会社帰りに後輩と初めて飲みに行った。ぐつぐつと煮込まれるタッカンマリを前に、後輩のお悩み相談が始まる。
「私、自分が何考えてるか分からないんです。だから、いつ報告とか相談をすればいいのかもわからないし、自分がどうしたいか聞かれても答えられなくて」
「そうなんだ〜、わからない」
後輩が何を言っているのかわからなかった。そもそも、自分の考えていることが自分でわからない、ということがどういう状態なのか、それは何が原因でどうすれば解決できるのか、全然わからなかった。自分のことがわからないと言っている人のことを他人がすぐに理解できるわけもない。
「どうして、わからないって言うんですか?」
わかる、この場面でわからないと言うのは多分間違っている。
特に女性同士の愚痴や相談の場では、「わからない」はもはや禁句レベルで、相談をしている(弱っている)側に対して精神状態を言語化させ、さらに追い詰めるなどという暴力的な行為は誰にも望まれない。でも私はやってしまう、わからないコミュニケーション。
わかっていないのに「わかる」と言うより、わかろうとして「わからない」と言う方が、対応として真摯だと思う。「わからない」は拒絶ではなく、わかろうとするための第一歩であり、反対に「わかる」はわかろうとする労力を回避するための第一歩とである。こんな真面目なことを言っていると、わかるコミュニケーションの一団から敬遠されることもわかっている。
「わかる〜」の先輩は、いつから「わかる〜」を使い始めたんだろうか。
私もいつかはすべてが面倒になり「わかる〜」に頼り切りになる日が来るんだろうか。
※最初からわかることもあります
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