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『闘いの庭 咲く女』と自己責任論

一時期、「自己責任論」という言葉をよく見かけた。金融庁が老後に2000万円が必要と言った時あたりだったと思う。私は概して自己責任論には懐疑的で、犯罪の背景には社会的問題があると思うし、貧困の原因を努力不足に求める意見には基本的に反対している。でも、どうしても自分でしか責任を取れない、言い換えれば他人が責任を取ることができない部分というのは、確実に存在するんじゃないかとも思ってしまう。

コラムニスト、ラジオパーソナリティのジェーン・スーが書いた『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』を読んだ。世の中に圧倒的に女性の成功例がないために挑戦しづらいのでは、という仮定をもとに、活躍している女性が辿ってきたリアルな過程を描くインタビュー集。名前を聞いてもキラキラと活躍する姿しか思い浮かばない彼女たちが乗り越えてきた、想像だにしない心の内を垣間見る。まさに彼女たちは、自分の人生の責任を自分で引き受けてきた人たちなのだと思う。

ジェーン・スーから繰り出される解像度の高い質問に「うぐぅ」と唸ってしまう

だけど、だから私も、と簡単にはならない。自分が辛い時は誰かに助けられたいし、誰かが苦しんでいる時は私が助けたい。誰かを助けたい気持ちの中には、知り合いが苦しんでいる原因から自分が逃れたい、という自己中心的な考えもあったりするが、どんな動機であれ助けたい気持ちに変わりはない。「会おう」と声をかけるとか、なんでもいい内容の話し相手になるとか、気にかけていることを相手に伝えるとか、方法はいろいろある。

だけど、どんなに心を尽くしても、私は相手の人生の責任を取ることはできない。最終的な判断は必ず自己責任となる。自分で責任を取らなければならないのではなく、他人は自分の責任を取りようがないのだ。

…などと言って、他人の選択の責任を自分が引き受けたくないだけなんだけど、なんか多分人間関係ってそんなにスッパリいくものでもなくて、ジクジクしながら絡み合ってみんなで前に進んでいくんだろう。『闘いの庭 咲く女』の彼女たちも、インタビューの中で描かれているリアルで自立した姿の裏に、さらにジクジクした部分があったんだろう。そんなことを考えた土曜夜でした。

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