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絵への愛を思い出すまで 2



私は人生のどこでこの

絵が大好きな気持ちを

見失ってしまったんだろう?



どこで蓋をしてきた?

どこで扉をしめてきた?



大泣きしたあとに

ふと、考えていた。



とめどなく溢れた涙の

その種はどこにある?


.

.

.


ああ、そうか。

あの時だ。




遡って

子どもの頃のこと。



私が絵を大好きになったきっかけを

作ってくれた人が、家族にも2人いる。



1人目は、パパ。


子どもの頃

パパはよく絵を描いてくれた。

アンパンマンが大好きだった私に

たくさん 

アンパンマンを描いてくれた。

パパ!なにか描いてといったら

アンパンマンだったり

私の変な顔した似顔絵だったり。

そのたびにお腹をかかえてゲラゲラ笑った。


キャンプに行った時には

適当に石を拾って

絵の具を広げて石に絵を描いた。

そこらへんの石も絵をのせると

お洋服を纏ったみたいに

別人に変身する。


私はそれがとても大好きで

家族でキャンプに行くたびに

川で一緒に色んな石を拾っては

自分の石に好きな絵を描いた。

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そして、パパが描く絵を

じっとワクワクしながら見つめた。


小学生の頃、

文化祭のような催しがあった時

みんなが協力しあって

ボウリング大会やらイベントを

別の教室で作り上げている中

私は1人石屋さんを開いた。


机を2つほどくっつけた上に

色々な石に絵を描いたものを

1つずつ丁寧に並べた。


そして誰もいない、誰も来ない教室で

いらっしゃいませ〜

石屋さんです!

いかがですか〜

と声かけをしていた。

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通る人たちの何とも言えない顔を

今でも覚えてる。


でも、私は大好きな石に

好きな絵を描いたものが

並んでいるのが本当に嬉しくて

石屋さんを開けたことが

幸せでたまらなかった。


(このエピソード今思い出すと
好きなものへの過集中がひどいなと思う。笑)


夏休みのものづくりも

図工の時間も力を入れて取り組んだ。


パパが帰ってくるたびに

「パパ!みて!今日作ったんだよ!!」

と何度もかけよって伝えた。


パパの「すごいじゃん!みぃ!」

という一言が聞けるのが

本当に本当に嬉しかった。

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2人目はおばあちゃん。



おばあちゃんはお花屋さんをしていて

よくお店でお手伝いをしながら

おばあちゃんの後ろで

お店の包装紙やシールに絵を描いていた。

落ちてるお花の茎や葉っぱを使って

遊んだりもした。



パパもママもお花屋さんだったから

母の日が近くなると

カーネーションの花束や

アレンジばかり作っていて

「カーネーションはしばらくお腹いっぱい😮‍💨笑」

なんて笑ってる話しをきいて


母の日にはみんな

カーネーションを贈るみたいだけど

私は何をあげたら喜んでもらえるかな?

と、おばあちゃんに相談したことがあった。


その時に、じゃあさ

カーネーションの絵を描いて渡そうか!

と笑いながら提案してくれて

私はおばあちゃんと

カーネーションの花を見ながら

ここはこんな感じかな?と話しながら

カーネーションの絵を一生懸命描いた。

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それがおばあちゃんとの

絵にまつわる記憶の最初。


おばあちゃんは家でも忙しい仕事の合間に

お花の絵を描いていた。

絵は本当に面白いってよく言っていた。


亡くなったおじいちゃんが生前

おばあちゃんにプレゼントしたお花を

おばあちゃんが描いた絵を見せてくれた時

子どもながらに大好きだと思った。


そして、私はますます

絵を好きになっていったんだ。



将来の夢は? 

そう聞かれるたびに

わたしはね、絵の仕事をするの!

そう笑顔で応えていた。


小学生高学年になるにつれ

漫画家になりたい!

イラストレーターになりたい!

と言うたびに


何度も

おばあちゃんとパパは厳しい顔をして

首を横に振った。


「絵では食っていけないんだよ」


それでも何度も

中学生になっても

言い続ける私に

呆れたように笑いながら

繰り返していた。


「いいか、絵では食っていけないんだよ。」

「一握りの人しかなれないんだ。」

「好きだけじゃ、食ってはいけない。」


そう、何度も何度も諭されるようになった。


今ならその言葉の意図がわかる。


私を想っていることもよくわかる。

正解でも間違いでもなく1つの意見。

私が生きていくのに

困らないようにという願いをこめた

間違いなく1つの大きな愛だった。


だけど、当時の私には

"食ってはいけない"

その言葉の本当の意味がわからなくて


ただ、ただ

何を言われているのかわからなくて

怒られているような怖さがあった。


絵をこのままずっと好きでいたら

恐ろしい何かが起こる様な気さえした。


"絵では食ってはいけない"
という言葉は


いつの間にか私の中で


絵を描くこと好きなことは
意味のない無駄なこと

絵はすごい才能のある人しか認められない

絵を仕事にしたいと言うことは
笑われること
恥ずかしいこと

絵を仕事にしてはいけない

絵や好きなことでお金を頂いてはいけない

に自動変換されてしまった。



発達障害の

言葉の意図を読み取る困難さも

相まって私なりの解釈は

こういう感じ方になってしまったように思う。


そしてなにより

私のとっっても大好きな

おばあちゃんとパパが

険しい顔で真剣に

私の肩を持ちながら話す

その様子から

私の好きが、思いや言葉が

ふたりに嫌な思いをさせている気がした。

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私の好きなことが

褒められていたことが

喜ばれていたことが

いつのまにか

誰かに嫌な思いをさせている。

言語化出来なかったけれど

そんな思いが無意識に

降り積もっていった。



.
.
.



一通りそんな出来事が

走馬灯のように

私の目の前に駆け巡った。



その時の感情や

大好きな人たちに

理解してもらえない寂しさが

込み上げてきた。



その感情を、そのまま溢れさせた。


閉じこめた感情は
ちゃんと感じてくれるのをずっと待ってる。



今、この蓋が開いたということは

今なら乗り越えられる

タイミングが来たということだ。



心の準備が整わないうちに

蓋が開くことはない。



ずいぶん長い間蓋されていたけど

今開いてしまったのだから

ちゃんと向き合うしかない。


大事なのは言われた言葉よりも

"そこから何を感じたのか"

これが私の人生を形作ってる。


私の心の奥底から出てきた
もう要らない信念たちはここ↓


・絵を描くこと好きなことは
 意味のない無駄なこと

・絵はすごい才能のある人しか認められない

・絵を仕事にしたいと言うことは
 笑われること
 恥ずかしいこと

・絵を仕事にしてはいけない

・絵や好きなことで
 お金を頂いてはいけない


これらは

今まで私を守るために居てくれた信念たち。


自分を探して歩んでいるあいだに

これらを100%信じ込み思い込むことが

出来ない自分にいつの間にか変化していた。


今まで守ろうとしてくれて、ありがとう。



でも、そうじゃない世界があるのなら

いま私は体験してみたくなりました。



この真逆に挑戦していくなんて

怖くて震えてたまらないけど


同じくらいに


そんな世界を、自分を

見てみたくてたまらない。


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