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ヴァイオリン奏法の心得 何故, 「ヴァイオリンは幼少期からやらないとモノにならない」と言われるのか?

総論

 あえて厳しい目線で書いていこうと思う.

 プロはともかく, 趣味でヴァイオリンをやる人にとってもこの言葉は半ば呪いのように染みついている. 実際, 大人から始めて人前で演奏できるほどに上達する人が少ないのは事実だ. 

 それは結局, 心身や五感, 感性や脳が急速に成長する幼年期から少年期に, ヴァイオリンを通じて会得する能力とは一体何で, 何故レイトスターターにはそれが身に付きにくいのか?という話にほかならず, 結局は 経験者・初学者・天才・音大性・プロを問わず, 自分の演奏の至らない点, 足りない技術や知識・感覚を自覚して克服しようという姿勢なくして上達はありえないという結論に行き着く. 

 上手くなりたいレイトスターターにとって最初にして最大の関門は, まず"自分に何が足りないのか"を知る能力だろう. それが身につけば, 一人での練習でも自分の音を冷静に再考して,  上達していくことができる. 
 逆に言えば,その姿勢を怠れば例え神童であっても汚い音から逃れることはできないということだ. ヴァイオリンにおける雑音や音痴というのは非常に恐ろしく, 第三者目線ではとてつもない不快感を催す音である. そんな代物を,自分の音楽を聴いてくれる人に押し付けるのはとんだ災厄だ.
 「別に人前で弾かなくても,自分が楽しめればいいじゃない」 という意見は真っ当なのだが, 自分の音の未成熟さに目をつむったまま,そんなスタンスで紡がれる音楽が本当に自分の人生を豊かにしてくれるのか?という疑問は, 絶対に拭い去ってはならない. また, 誰かと音楽を共有できることの喜びと尊さは,何にも代え難い素晴らしいものに違わないのだ, ということも明記しておく.

 私自身, 物心がついた直後くらいからヴァイオリンを始めており,以降ずっとレッスンに通っている. 幸運にも, 先生や人前で演奏する機会には恵まれてきて, どうにかこうにかで演奏力を育ててきている. 進度は教室の仲間より遅かったが, その分一つ一つの因子について,いろいろ考えて練習してきた. 
 ここに書き記したことは全て僕自身の経験に基づく. 貴方が素晴らしい音楽を奏でる上での手助けになれば幸いである.

 文章だらけで読みづらいと思うが, ゆくゆく図や画像を追加していきたいと思う.


姿勢

 『姿勢が改善すれば技術的問題の7割は解決する』とも言われる. 姿勢の指導だけでその日のレッスンが終わることもあるし,事実それだけ大事な要素である. 姿勢が悪いと, 音はどうにかなっても体に無駄な負担が掛かってしまう. 長くヴァイオリンを続けるためにも, 姿勢は常に意識した方が良い.

 姿勢には様々な型があり, 一概にこう!とは言えないが, 自然に脱力している状態を心掛ける. 力を入れないというわけではなく, 無駄な力が入って硬直することがないようにする. 
 立ち方は体育の「休め」の姿勢とにてて, 気を付けの姿勢から足を肩幅に開き(左足を半歩ほど前に出すことも多い),楽器を構える. 重心は左足に寄せ, 少しだけ背伸びをするようにつま先側で支える.
 ヴァイオリン本体の重さは,左腕から左肩の筋肉全体で分散させて保持する. 肩が突っ張ってしまないよう二の腕でしっかりと支える.これが出来ず肩が上がってしまうと腕の可動が不自由になり,ポジション移動や運指に支障がでる. おまけに悍ましく左肩が凝ることになる. 
 弓は指板と駒の真ん中あたり, 弓と弦が垂直に接するように置く. 弓の重さが自然に弦と右手親指にかかる状態を心掛ける. 弓が弦の上に置いてある状態が基本で, 特に初学段階では右手だけで弓の重さを無理に支えようとしないこと. 

 レッスンで先生に姿勢を指摘されたら従うこと. 自宅での練習では姿見を使って自分の姿勢がおかしくないか確認するといいだろう.また, 気になった演奏家の姿勢を解析することも役立つかもしれない.

 また上述の通り, いい姿勢をキープする為には腕の筋肉や体感が鍛えられていることが望ましい. 足りないと思ったら筋トレなどで補う.


右手・運弓

 前述の姿勢とも密接に関わる問題. これにも様々な流派があるが, 弓はヴァイオリンに対して真っ直ぐ引くのが基本で, この基本が雑だと派生する様々な運弓法は皆雑になってしまう. 

 まずは持ち方について. 基本的に親指が弓身を支え, その反対から人差し指~中指を置き腕の圧を伝える(伝えるだけであって指で力は加えない). 小指~薬指で弓の重さを支えて持つ.
 何度も言うが, 弓は弦の上に置いてある状態をニュートラルとして考えることを忘れないこと. 弓を動かす時は手首が先導し, 腕・指・弓はそれに従属する. 手首で他を吊るすイメージで, 手首自身は沈み込まない様に.

  次に,基本的なロングトーンの運弓について述べる. 弦と弓が垂直になるように置き, その接点は指板と駒の中間に来るようにという原則は弓を弾いている間も変わらない. 右腕の力は加えずに弓自身の重さを弦に掛け, そのまま真っ直ぐ引っ張る. 
 この時, 身体の重心を弓の動きとは逆向きに少しだけ動かす. 弓の毛が弦を掴んで引っ張る感触があれば良好. 下げ弓・上げ弓・両者の複合のすべてで練習する. 

 弓元では, 弓の重さをそのまま弦にかけたままでは, 弦がモロに圧を受けて音がつぶれてしまう. 小指をつかって弓を支え, 圧を少なくして弾く. 逆に弓先で圧が足りなくなった場合は人差し指から腕の重量を伝えて圧を確保する.

 弓の圧が不安定になって音の高さが安定しない状態は,意識的に改善していかなければならない. 弦を指で押さえないまま, ロングトーンでゆっくりと, 丁寧に弾く練習が望ましい. 弓を返す時がもっとも安定しづらく, 重点的に練習する. 
 音程のブレを可視化する為にチューナーを導入してもいい. この時見るべきはチューナーの『針のブレ』であって, 針の基本位置がチューナーの示す真ん中の位置である必要は一切ない.

 遅く始めた人の場合は特に, そもそもの弓圧が足りてない, ということが良くある. 指板寄りの位置を弱い圧で弾くと演奏している本人には柔らかい音色に聞こえるものの, 実際は芯の弱い音になりやすく満足な響きを確保できない.
 ここでは思い切って, 音程が認識できないレベルに音を潰して弓一杯, ガギギギギ, とゆっくり弾く練習を提案したい. めいいっぱい右腕の圧を弦に掛けて, 完全に潰れた音を長く持続させる. しっかりギコギコできるようになったら, 上述のロングトーン練習に移る. 芯があってしっかり響く音のコツが掴めるだろう. 

 子供のころからの経験者はだれしも皆しずかちゃん奏法から入る. 響きづらい子供用楽器を自信満々にギコギコしたからこそ, そこからの力加減の変化で ”弱くても遠くまで聞こえる音” や "強くても聞き苦しくない音”が徐々に出せるようになる. 汚い音を半端に恐れてしっかり楽器を鳴らせないまま...というのは本末転倒で, 自分の手で綺麗に鳴らせる音の領域は絶えず拡張していかなければならない.


左手・音程

(具体的な手法についての記事は後日公開.ここでは概論)

 音程ひとつ取っても,今抑えているこの音が正しいのか正しくないのか確証が持てない状況では, 辛うじてそれっぽい演奏はできても素地力は身につかず, 楽器をしっかり響かせることは叶わない. 
 まず,ヴァイオリンの音程は, ピアノのそれと決定的に違う.ヴァイオリンは音響理論・音律論的に"こういう音を取ればこういう共鳴で楽器が響く"というのがかなり厳密に決まっていて, そこにミクロな音程の違いが個性として乗っかる形で決まる(厳密にはメロディや和声の流れも考慮し変動する). 平たくいうと, 音程がしっかり弾けるようになれば, それに伴って音色も確立していくし,それが音楽的表現の原点にもなる.
 ピアノやチューナーと合わせて取った音では楽器は響かないし,音色も改善せず, ヴァイオリンとしての音を生み出すことは永遠に叶わず,音楽性が育つことはないし作曲者の意図を汲み取ることもできない. かなりオーバーな言い方だが, この素養は絶対に身につける必要がある. 

 幼少期からこの感性を育てている人は,本能的にそのことを理解して練習していける. と言うものの正直言ってそんな人は本当に稀で, 子供のころからヴァイオリンに親しんでいても,このことを見落とし,ドツボにはまっている人は意外にも多い.
 また,「この音とか, メロディのときと和音の時で何となく音の取り方違うよな.」ということが何となくわかっていて, 厳密な理論は必要ないという人にとっても, 「この曲,このフレーズの この音はこれしかない!」という音を導くために, 理論的な視点は参考になるのではなかろうか.

 理論を理解したところで, 実際の練習がミスや誤差の修正をひたすら繰り返していく過程であることに変わりない.しかし, 目指す場所の具体性がしっかりしているほど, 成長速度も到達点も 良い方向に向かうだろう.
 音程に関して言えることは,まず耳を鍛えるべきで, 正しい音を聞き分け, 間違った音=指位置を知覚して修正できる能力を養っていく. これは実際の演奏でも同様で,コンマ以下ミリの指位置のずれは音が立ち上がる間で判断し,(バレない様に)修正する. 単純な音程修正に加え,場合によってはヴィブラートやポルタメント,グリッサンドを使ってメロディの動性を確保したりもする(やり過ぎると曲が壊れる).

 ピアノや伴奏と合わせた演奏では, 伴奏楽器との音程差を感じつつ弾く. 日ごろの練習で耳が鍛えられていれば, ステージ上でも最適な音程を瞬時に見切れるようになる.
 伴奏の音程に無理に合わせようとする必要は無い. 主旋律が伴奏に移るときは, その旋律に対して純正な和声になるよう従属するといい. この場合もピアノ等の音程とはズレた音取りになる筈だ.

 左腕を支えたり,左手をグワっと開いたりするためには一定の筋肉が必要で,これもレイトスターターが劣りやすい部分だ. 練習を重ねる中でも鍛えられるが, 筋トレでもいい. 肘から肩にかけてと掌の筋肉が重要になる.


呼吸

 他の音楽, 声楽や管楽器, 或いはダンスの経験者であれば, ほぼ必須となる項目だが, アマチュアのヴァイオリン経験者が意外と見落としやすい部分だ.
 呼吸が浅かったり適当だったりすると拍子が不明瞭になるし, 胸の開きは両肩から先の運動にもがっつり関わってくる. 自分の演奏におけるニュアンスやフレージングに満足できない場合,呼吸に原因があることが多い.

 呼吸法は胸式と腹式のハイブリッドだが腹式がやや優勢. 曲の初め, ハイテンポの曲では素早く吸い, スローテンポではゆっくり深く吸う. 演奏中もその呼吸ペースをリズムにあわせつつ保つ.  
 あらゆる音楽の原点には歌があり, クラシック,特にヴァイオリンはその傾向が強い. 演奏するメロディを口で歌うことを想定し, 『入りの時にどう息を吸うか』『どこからどこまでを一息で歌い上げるか』『フレーズ同士の接続は滑らかか, それとも少し切れるのか』などを解析して, 呼吸のリズムを曲に最適化してくのが良い.

 管や声と違って, 吸う息においてもメロディを乗せることが多くあるのがヴァイオリンにおける呼吸だが, 「歌」の考え方を基に全体の呼吸を整えることで, 自然なフレーズの繋がりを構築できるし, 音楽に宿る生命感も強いものになる筈だ. 良い呼吸は良い脱力にも繋がる.

 上手な演奏を実際に見て参考にするのも忘れてはならない. 色んな演奏家の色んな曲を聴きに行けば, 彼らがいかに音楽の中に自分の呼吸を取り込ませているかがわかるだろう.


楽式論・曲解釈

 私たちが演奏する多くの曲にはそれぞれ作曲者がいて, 彼らが生きた時代の様式, 形式がある訳だが, それをどこまで考慮して演奏に臨むかは人それぞれだろう. 
 プロや音高・音大生であれば曲の形式・時代は勿論のこと和声・対位法的な解析までやったうえで最適な表現を探していくが, それをアマチュアの身でやるのは若干の無理がある. 
 それをわかったうえで言うのは, 厳格でなくとも可能な限りのことはやるべきということだ. 曲や作曲家に関するエピソード, それぞれの時代における演奏の傾向を自分で調べたり先生に尋ねたりするといい.
 ソナタ, ロンド, 変奏曲等の曲の形式は, 主題がどう受け継がれるかや転調の行方などを追って解釈するといいだろう. 
 ↓ 古典派より後のコンチェルトにおいて, 第1楽章は 大半がソナタ形式で作曲されている. 曲構成を考える上でも参考になると思われる.

 解釈を演奏に取り入れるための具体的な工程を述べる. これはバロック・ロマン派・葉加瀬太郎問わず基本的な姿勢になる.

 まず大前提として, 楽譜に書かれた記号や演奏指示, 運指・運弓にはほぼ例外なく従う. 作曲家自身の記したものなら尚更で,それはつまり「ここはこういう風に弾いてほしい」という指示でもある. 先生が弓付けや運指を変えた場合は, 基本的に生徒の演奏技量を考慮した上での判断の為そちらに従うのが良い.
 最初は楽譜の弓付けに従ってゆっくり音を並べつつ, 運弓によって紡がれるフレーズ感を基に曲全体の起承転結を構想する. 音取りにはメトロノームを用いて, 音符の長さに忠実に弾いていく.
 慣れてきたら譜面の演奏指示を解釈に取り入れる. 奏法が難しい場合は練習のテンポを落とし, 弾けるようになったら徐々に早くしていく.
 前述のメトロノームを使った練習を継続しつつ, 音楽的表現を組み込んだ『演奏』の練習もやっていく. 上記の時代様式や楽式論, 楽譜そのもののアナリーゼに基づいて演奏上の表現を固めていく. 特にロマン派以降の曲はテンポの揺れも実践していくことになる.
 また,合奏曲やコンチェルトは勿論, ヴァイオリン・ソナタ等の独奏曲においても, 主旋律が伴奏パートに移ったり互いに掛け合ったりするフレーズがよくある為, 伴奏譜やオケ譜も一頻り読んでおくのがベスト. 

 また現代の作品やポピュラーにおいては, 作曲者自身の演奏や本家本元の音源が曲解釈上大きな参考材料になるのは言うまでもない. 細かい音程のニュアンスや拍の取り方などを参考にすると良い.
 一方, 巨匠の演奏するクラシックの名盤を参考にする時は注意が必要だ. それらは弓付けや指使いが自分のそれと異なる場合が多く, 運指・運弓のニュアンスの差はそのまま最終的な表現の方向性に関わってくる. その表現力の大きさを学ぶ上では彼らの演奏ほど学ぶべきものはないが, 自らの表現に取り入れる上では一定の距離を保つ必要がある.

 音楽的な良い演奏のためにはいい練習が必要不可欠で, この『練習』と『演奏』は決してごっちゃにしてはならず, 曲の解釈はそれらに2つに上手いこと組み込んでいく必要がある.
 曲解釈とは結局, "ココはこう弾くべき"という自らの確信を伴う指針のことで, 決定権は演奏者にあるが判断材料は演奏者の感性と必ずしもリンクしない. 中でも作曲家の意図はかなり重要なファクターで, 例えばメンデルスゾーンのコンチェルトの冒頭, かの有名なフレーズをフォルテで情熱的に鳴らしてしまえば, それはもうメンデルスゾーンとは呼べない音楽になってしまう.

 上記の音程や呼吸の問題も, 大きな目では曲解釈の一要素と言えるだろう.どう転ぼうが"貴方の演奏"は貴方にしか出来ないのだから, その分曲に対しては真摯に, 丁寧に向き合う必要がある.
 なんだかんだ言っても, 己の表現と曲想は, 学びと練習を通じ己で会得し体現するしかない,ということだ.


練習の量と質について

 まず, プロとして活躍している人は勿論のこと, 音高・音大に入学できるほどの実力を持った人のほぼ全員が, 小学生時代やそれ以前から膨大な時間を練習に費やしていることに議論の余地はない. それだけの実力はなくとも, 幼少期からヴァイオリンに触れてきた人はなんだかんだ結構な練習量を積んでいる. 一方, 遅く始めた人ほど 仕事や家庭に多く時間を使う分練習時間を捻出しづらい現実があると思う. 故に, 最短の時間量で最大限の成果を出す練習が必要になる.

 各症例に対する具体策は示しようがないものの, これには総論で述べた様に"自分に何がどうできてないのか"を知ることが一番の近道となるだろう.自分の練習を録画・録音し, その都度聴き返す. 客観的に自分の音を聞いて, どうすれば理想の音になるのかを考える.
 楽曲練習では, 気になった点は楽譜に書き込んでしまうと良い. 撮る・聴き返す・修正 の繰り返しで, 完成度を高めていく. 録音は撮り次第すぐに聴き返すことが望ましいものの, 練習時間との兼ね合いで後に回すこともある. いずれにせよ手元に楽譜はあった方がいい. 

 録音機はスマートフォンについているものでひとまずは問題ないだろう. 音が割れるようならスマホを離れた場所に置く. 近くにおいても音が小さい時は, そもそも音量が出せてないということになる為 ,運弓練習を丁寧にこなしていく.
 録音機を購入する時は, 高い周波数帯域まで録音できるものを使うと, ヴァイオリン特有の高次倍音をしっかり録音できる. 3万円程度もあれば, 十分すぎるほど性能の言い録音機が購入できるだろう. 

  おそらく最初は自分のイメージしてた音と実際の録音との乖離に愕然とするだろうが, 自分の出す望ましくない音を一つ一つ修正していくことが, 結局は思い通りの演奏に近づくための唯一の道で, これをなくして上達はあり得ない. 結局, 演奏の技術とは ”いかに自らの出す不快な音を忌み嫌い, 潰して行けたか” なのだ, とも言えるが...

 自分の演奏を聴いてくれる人にはいい気持ちになってほしいだろうし, そういう人たちに聴かせる音が少しでも心地いいものになるよう, 不快感を拭い去れるよう努めるのがプロ・アマを問わない演奏家の責任なのではないかと強く思う.


最後に

 ヴァイオリンを弾きたい, 弾いてみたい, 或いはもっと上手くなりたい, という希望にも多くのレベル・到達点があるだろう.

「密かな憧れだったヴァイオリンに触れてみたい」
「友人の結婚式で一曲プレゼントしたい」
「クラシックが好きで自分も演奏してみたくなった」
「葉加瀬太郎に憧れて」
「ドヴォルザークのユーモレスクが弾きたい」
「重音をもっと綺麗にしたい」
「ブラームスの神髄に触れたい」
「オーケストラに所属して弾きたい」
「運弓を綺麗にしたい」
「バッハの無伴奏を極めたい」
「聴いてくれる人の人生を彩る演奏がしたい」
「パガニーニの奇想曲24番が安定して弾けるくらいの技術を身につけたい」
「音大を出て一流のソリストになりたい」


「いい演奏ができるようになりたい」

 ヴァイオリンを演奏する喜び, 楽しみを感じながらそんな目標にたどり着いて, 素晴らしい音楽を生み出すことはこの上ない幸福だ. だがその先には, さらなる高みへの渇望や新たな曲との巡り合わせ, さらには今までゴールだと思ってた境地が実はスタート地点でしかなかったという衝撃の気づきまでもが待っていたりする. 
 芸術は皆そうだろうが, ヴァイオリン演奏の世界に終わりは無い. 音程一つ, 音の出だし一つとっても, 極限まで精度と表現力を高めようとすれば無限に改善・再構築を繰り返すことになる. それを苦と感じるか幸福と感じるかは人次第だが, 音階やエチュードなどの基礎練習は紛れもなく地味だし楽しいものではないだろう.

 『上手さ』と『楽しさ』を両立するのは難しい.

 独りよがりに楽しみだけを追求すれば, 音楽の素晴らしさは逃げてしまうし, 音は汚くなってしまう.
 思い通りの音が出ないことにも徹底的に向き合いつつ, 少しずつでも成長していった人の演奏はやはり豊かで美しいと思う. そんな音楽を目指して練習していく人が, 少しずつでも増えていったら嬉しい.

 貴方の今日の練習が実り多いものであることと, 貴方の奏でる音楽がより一層豊かになっていくことを強く祈る.

 私自身も...



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