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【コンセプチュアル・アート】序

現代美術研究家であるトニー・ゴドフリー著『コンセプチュアル・アート』木幡和枝訳、岩波書店、2001年。コンセプチュアル・アートの観念について果敢に挑んだ本書を読み解いていく。

内容が多岐に渡る(全448ページ!)ため、章立てごとに区切って進めていく。まずは『序 コンセプチュアル・アートとはなにか』。この章でコンセプチュアル・アートの核の部分に触れられる。

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コンセプチュアル・アートのの主眼はかたちや素材ではなく、思想や意味である。(中略)、芸術とはなにか、その問いかけの方法がコンセプチュアル・アートの定義をなしている。

コンセプチュアル・アートの起源は、マルセル・デュシャン(1887〜1968)が1917年のニューヨークの独立芸術家協会の展示会に出品したレディメイド(既製品)作品で、男性用の便器を逆さまにして台座におき、R. Muttと署名した作品『泉』であるとされている。

コンセプチュアル・アートの形態は一般的に「既製品(レディメイド)」、「介入(インターヴェンション)」、「記録(ドキュメンテーション)」、「言葉(概念、提言、調査など)」に分類される。

それぞれ代表的なアーティストと作品が挙げられており、以下の通りである。
・レディメイド:マルセル・デュシャン『泉』
・介入:フェリックス・ゴンザレス=トーレス「看板プロジェクト」
・記録:ジョゼフ・コスース『1つと3つの椅子』
・言葉:ブルース・ナウマン『100の生きると死ぬ』

コンセプチュアル・アートという言葉は1967年に美術誌『アートフォーラム』に発表されたアーティストのソル・ルウィット(1928〜2007)の文章『コンセプチュアル・アートに関するパラグラフ』で初めて用いられた。

コンセプチュアル・アートにおいては、観念あるいは概念が作品のもっとも重要な側面だ。作家がアートの概念的なかたちを扱う場合、すべてのプラン作りや決定はあらかじめなし終えており、実行はおざなりの行為にすぎないということだ。概念がアートを作る機械になる。

もうひとつの定義としては、1969年に雑誌『ステュディオ・インターナショナル』に発表されたジョゼフ・コスース(1945〜)の論文『哲学のあとの芸術』によるものである。

コンセプチュアル・アートのもっとも「純粋」な定義は、これまでの経緯で現在「アート」がもつにいたった意味、その概念の基盤の探究ということではないだろうか。

とりわけ、1960年代のコンセプチュアル・アートと密接に関係する存在として美術批評家のルーシー・リパード(1937〜)が挙げられる。リパードは美術品の「脱物質化」がコンセプチュアル・アートの定義を左右すると述べていた。当時は受け入れられない思想ではあったが、1995年刊行の『美術品再考:1965-1975年』という回顧展カタログで以下のように述べている。

私にとってコンセプチュアル・アートとは、観念が最重要であり、物質面は二義的、そして軽量で一過性、廉価で、気取りがない作品のことである。それは非物質的である場合も、そうではない場合もある。

非物質性、超観念性、概念性を説いたリパード、といわれてはいるが、同時代に台頭するミニマリズムとの関係性を読み解かないと、言葉の真意が掴みきれない(また別の機会にでも)。

1940年後半~1950年代は、アメリカ(とりわけニューヨーク)発の抽象表現主義が台頭していた。クレメント・グリーンバーグ(1909〜1994)が提唱したフォーマリズム批評は、作品の制作意図や感情、社会背景や作品の印象などといったヒューマニズムを否定し純粋な視覚性を重視する、すなわち作品は目に見えているもので評価すれさえばよいというものであった。

一方で、1960年代に登場したコンセプチュアル・アートはまさにフォーマリズムと対極に位置し、フォーマリズムが否定したヒューマリズムを作品化することで成立するアートである。モダニズムから続いた美術界(とりわけ絵画)の細分化かつ密室的な言説の場からアートを解放し、アートを哲学、言語学、社会科学、民衆文化と繋がる道を見出した。

政治的権威と芸術の権威の両方に疑問が突きつけられた危機の時代に、コンセプチュアル・アートが登場したといえる。

ベトナム戦争、JFKの暗殺、東京オリンピック、第三次中東戦争勃発、5月革命、アポロ11号人類初の月面着陸、などなど。激動の時代に登場したアートはどのような存在であり、どのような位置付けであり、何を目指していたのか。戦時中の戦争画家のように、プロバカンダの一役を担っていた作品はほとんど存在しない。本書の別章ではこのような問題について検証している。

コンセプチュアル・アートが発する問いかけは、「なぜこれがアートなのか、(中略)」といった美術作品のみを対象とした問いに限らない。(中略)。見る者が自分自身に関心を向けるよう促し、見る者の自己意識を喚起する。

コンセプチュアル・アートとは「問い」のアートであり、「問い」が現代アートを支えている。

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