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【書籍】ジョン・ハートフィールド

ヴィーラント・ヘルツフェルドがまとめたハートフィールドについての本書。副題は「フォトモンタージュとその時代」。

なお、「フォトモンタージュ」という呼称はグロスとハートフィールドが「mont」と縮めたことに由来する

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1928年、グロスが『ピスカトール劇場機関誌』に書いた論文「テーマのためのあら描き」には、フォトモンタージュについて以下のように書かれている。

ジョン・ハートフィールドとわたしが1916年5月のある早朝5時ごろ、南の町はずれのわたしのアトリエでフォトモンタージュを発明したとき(以下、略)

当時はまだ新たな「コラージュ」の手法として見出されたものであった。1920年代に入り、ようやく「フォトモンタージュ」という呼称が定着していった。

ハートフィールドはダダイストとして知られているが、「ダダ」の始まりは第一次世界大戦中にさかのぼる。

第一次世界大戦の最中、戦争に一切関わりたくなかった芸術家たちは、永世中立国であるスイス・チューリッヒへと集まっていた。彼らのうちの一群は1916年夏、「キャバレー・ヴォルテール」を開店した。自明の通り、「ダダ」という名称は適当に辞書から選んだ言葉である。

チューリッヒで産声を上げた「ダダ」はその後ベルリン、パリ、ニューヨークへとそのイズムが継承されていく。

ベルリン・ダダはヒュルゼンベックによって始まった。正確には彼は元々チューリッヒにいたが、そこで創始者たちと対立し、1916年の秋にベルリンへと戻った。そう、当時はただひとりベルリンにいた元ダダのメンバーが、ヒュルゼンベックだった。のちに彼は、ベルリンの一種のダダ反対派を表明している(1918年)。

1925年出版の小型本『芸術は危険だ』で、グロスとヘルツフェルドはダダについて以下のように記している。

ダダイズムは<つくりもの>運動ではなく、将軍たちが人びとの血で描くあいだに、・・・いわゆる神聖な芸術の追随者たちが立体やゴシックについて瞑想して、雲のように漂う傾向に対する反動として生まれた、有機的な産物だった。(中略)だが、わたしたち他の一部は、革命の問題に奉仕する傾向芸術という、新しい大きな課題をみいだした。

1918-20年、革命へと向かっていたドイツ。時を同じく、1920年6月、『第一回国際ダダ見本市』と名付けられた展覧会が催された。

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1928年、ハートフィールドはドス・パソスの小説『三人の兵士』を担当した。初版時には真っ白であった裏カバー部に、ハートフィールドは前面と対峙するような写真を用いてみせた。

表紙カバーがみせる表象とは別の、新たなアンチテーゼ的な言表。ヘルツフェルドはこの作用を「弁証法的フォトモンタージュ」と名付けていた。

弁証法を原因と結果、幻想と現実の単純な対置によってではなく、それらのもつれあいのうちに明らかにする方向へ、ゆっくりと移っていった。

また、ヘルツフェルドはハートフィールドのフォトモンタージュについて、以下のように指摘している。

彼にとって原則的に重要なのは、写真や写真の部分と本文を連合させて、個々の部分からは伝えられない語り口を生み出すことである。(中略)ハートフィールドのフォトモンタージュは、常にある思想、ある理念を必要とし、それは図像的・文学的芸術、イメージと言葉、ときには色彩も加わった世界観的・美的共同作業である。

1969年10月6日〜11月8日まで、ロンドンの「大英帝国アーツ・カウンシル」でハートフィールド展が催された。サセックス大講師のハンス・ヘッスは当時(1920年頃)のハートフィールドの位置、および20世紀における彼の位置を以下のように規定している。

ジョン・ハートフィールドは、古い目的を持つ近代の芸術家だ。(中略)思考を霧でおおう芸術は、社会生活の明らかな対立をかくしてぼやけさせる目的に奉仕するのだ。この霧を破り裂いたのがハートフィールドの業績で、そこからは新しい形式が展開したのである。

ハートフィールドの代表的な仕事は『AIZ』誌に掲載されていた。1930〜38年の間に、ハートフィールドはおおよそ200点の作品を寄稿している。

AIZとは、ドイツ共産党関連について記載されていた、プロバカンダ誌である。時代はヒトラー率いるナチス党が政権を握っていた(1934-45年)。

ハートフィールドはコラージュを駆使して、ヒトラーやファシズムを徹底的に「攻撃」した。当初AIZはドイツで刊行していたが、ドイツ政府から手を逃れるように、ドイツ(ベルリン)→プラハ→フランスへとその拠点を移している。

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激動の時代のなか、写真の新たな表現方法を確立したハートフィールド。キュビストたちが行っていた、芸術的なコンテクストを意識したコラージュとは異なり、ハートフィールドが制作した「フォトモンタージュ」は、政治的な要素を多く含み、またその用途を理解したうえで制作を行っていた。

現在では写真表現方法のひとつのジャンルとして確立されているほど、フォトモンタージュ(フォトコラージュ)による表現方法は異なるコンテクストを提示することが可能である。

なお、現代においてフォトモンタージュがメインで利用させているのは、映画のポスターである。


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