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言語習得の面白さここにあり(スペイン語留学/グアテマラ)

2023年11月、世界一周旅行の幕が上がる。
南米に始まりじわじわと日本に近づいていく魂胆。
パートナーと共にだいたい3年ほどかけて巡るつもり。
旅情80%ぐらいのかんじで緩く書いてまいります。

※現在グアテマラの古都アンティグアにて2ヶ月間のスペイン語留学中である。


世界一周旅行の最中、スペイン語留学してみよか!と思い立った。

ペルーを皮切りに始まった私たちの旅。
だいたい半年かけて中南米を周った。

中南米は9割以上がスペイン語圏だ。
旅をしている中、聞こえてくるスペイン語が呪文から言語へと変わるタイミングがあった。
ただの音の羅列だったものが、意味はわからないけれどそれが言葉だと認識できるようになったのだ。

言語習得の過程の第一歩みたいなのを味わえてテンションが上がった。
この先にはどんな感覚があるんだろう。

せっかく耳が慣れたんだ。ちょっとは勉強してみないと勿体無いかもしれない。
旅する中でそんな思いが芽生えた。

これから訪れるグアテマラは学校もホームステイも格安という情報を耳にして留学を決めた。

ちなみにバックパッカーの間ではグアテマラで軽く留学してから南米を周るルートが人気だそう。
私たちはすでに南米を周ったので微妙な失敗感があるけどまあみてみないふりをしておく。
グアテマラの次、残すスペイン語圏はメキシコとスペインのみだ。
学んでも使いどきが少ない。
まあ、いいや。南米旅中に興味が湧いたのだから仕方ない。


さて、現在留学して1ヶ月が経った。
ホームステイも学校も楽しい。

授業中、先生になんでスペイン語を学ぼうと思ったの?と聞かれたことがある。
言語習得において定番の質問であるこれにはすでに用意している答えがある。

「世界中の人とコミュニケーションをとって自分の中の世界を広げたいんだよ。」

英語を勉強していた時にも散々使ったこの文章。
うん、これさえ言っておけばいい感じ。

でもこれ実はウソである。
ほんとはこう思いたいって気持ちを含んだ建前で、実際はそんなことないことないって最近気づいた。

確かに人と話すのは楽しいし、知らなかった現実を知ることは興味深い。
その分しっかり自分の中で処理したいのでいい意味でも悪い意味でも疲れるなって思う。

私は昔から人と話した後にはその10倍ぐらい、一人の時間が欲しい。
基本的に音が小さい場所が好きだし、大人数の飲み会に一晩参加したら2日は寝込みたい。

インプットしたことを処理するのにやたらと時間がかかる体質だと思う。

ホームステイをしていてご飯の時間はスペイン語でおしゃべりをして楽しいし勉強になるがやっぱり部屋で一人になる時間が至福だった。

ある夜、たまたまホストファミリーが外出、同じく滞在している人も外食の予定があって家に一人だった時があった。
ご飯はいつもダイニングでみんなで食べるんだけど、その時は一人だから部屋で食べる?と言ってホストファザーが食事を部屋まで持ってきてくれた。
その瞬間まじで有頂天だった。

「やったー!一人でご飯!YouTube見よ!ういィ!」

そこで私のスペイン語を話したい理由が建前だったことに気づいた。
ご飯食べながら見るゲーム実況が一番面白いんだよ。


スペイン語を学んでいて一番楽しいのは
言語から読み取れる国柄や歴史、そして文法が紐解かれていく感覚だった。

スペイン語には男性名詞と女性名詞が存在する。
(ちなみにアフリカの言語であるザンデ語では、男性・女性•動物•無生物に分類されるらしい。
スワヒリ語はなんと15種類に分類。
英語にも男性•女性の分類はあったが時代とともに消えたらしい。感謝。)

他にもスペイン語のややこしい点として、
イレギュラーに変化しまくる動詞と特有の時制があることだと思う。
めちゃめちゃめんどくさいなと思う。

勉強していて覚えることの多さに何度か頭が沸騰しそうになった。
もっと効率化できたでしょ!!って叫びそうになる。でもきっと意味のある大切な言語ルールなんだろう。

言葉が生まれ受け継がれていき使われている事実がある限り全てに意味があると思う。

名詞に性がある理由や動詞の活用には何か歴史やパラダイムシフトが関係してるんじゃないの?それを知りたいな。とも思ってしまう。
話すことよりも言語学的な観点で見たスペイン語を学んでみたいとも思う。


単語も表現も、日本語に直訳できないものがたくさんあって面白い。
例えば「言う」という動詞に対しても以下のようなバリエーションがある。

Zanganear「馬鹿げたことを言う」 
chocarrear「下品な冗談を言う」
Soliloquiar「独り言を言う」 
Sisear「(注意のため)チッチッと言う」
Chichear「(注意のため)シーッと言う」
Rezongar「不平を言う」
Requebrar「お世辞を言う」
piropear「外見の褒め言葉を言う」
Perifrasear「遠回しに言う」
Grajear「赤ん坊がバブバブ言う」
Desbarrar「デタラメを言う」
Desalination「場違いなことを言う」
Despotricar「悪口をさんざん言う」
Bisbisar「ぶつぶつ言う」
Baladronear「強がりを言う」

ニュアンスの違う「言う」を集めただけでもこんなにある。上記以外もたくさんある。
日本語に翻訳すると全て「〇〇を/言う」と二語になってしまう。
これらの状態を一つの動詞で表せるということは
こうゆう状況がいっぱいあるからなのだろうか。

例えば「馬鹿げたことを言う」、「冗談を言う」に関しては軽く調べただけでも10以上のバリエーションがあった。
全く同じ意味を持つ言葉は存在しないはずなのでどれも多少ニュアンスの違いがあるのだろう。
冗談を言う人がめちゃくちゃ多いから発生し、広がったのではと思う。

「お世辞を言う」、「遠回しに言う」、「場違いなことを言う」に関してもそうゆう文化があるんだなと思った。
日本と同じで空気を読むことはかなり大切なのかもしれない。

その場面が多くない限りはきっとそれ専用の言葉は生まれないはずだ。
生まれても受け継がれないはずだ。

こうして言語を学んでいるとちょっとした人々の価値観や習性が見えてくる。
言葉って文化であり文化は言葉だ。
この二つは絶対的に親和性がある。

私はスペイン語で現地の人と楽しくおしゃべりしたい。
でも一番面白いと思える箇所は会話ではなかった。
スペイン語を学ぶことを通して言語の興味深さに浸ることだった。

妄想をしてみる。
多国籍の友達の輪の中に自分がいる。
楽しそうだ。
英語もスペイン語もペラペラな私は私のことが大好きだろう。

でも実際はどうだ。
一番楽しいのは言語の面白さを机上で学び一人ニヤニヤする時間だった。
根暗だし、生粋のオタク気質だ。
理想と現実のかけ離れ方については年々受け入れられるようになってきた。

と言いつつ、現地の人から聞く話は面白かった。
実際スペイン語留学してよかったと思える瞬間の一つだった。
近いうちに記事にしようと思う。
書くことで散らばった情報がまとまるので疲れが癒されると、最近気づいた。
生きるの上手くなってきている。


プロフィール:

1996年、サブカルインドア人間として大阪にて誕生。
服飾専門学校卒業後テキスタイルデザイナーを務めるが都会的な暮らしや流行に嫌気がさし退職。
2021年、沖縄県の宮古島に移住。
趣味だったハンドメイドウィービングや料理の仕事に就く傍ら、フリーダビングにはまり毎日海で泳ぐ。
さらなる自然への興味と世界を深く解釈したい欲が矢を放ち、世界を駆ける。
ラジオとゲーム実況が好き。

良ければインスタグラムも覗いてみてください。
https://www.instagram.com/_maryo.san_

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