わたしはわたしにしかならない

明日から8月。
なんとなく8月に持ち越したくない気持ちがして、昨日からの胸のザワザワと一緒に、わたしは過去と向き合うことにした。

母はいつもお祈りをしている。
わたしはいつからかお祈りをしなくなった。

母は神を信じている。
母の神様は、母の神様であって、わたしの神様ではない。

わたしはある時を境に、母の宗教はどう頑張ってもわたしの宗教にはならないことを認めざるを得なくて、母をがっかりさせたくない気持ちだけではどうにも無理が生じて、わたしは自分の意志でそれをやめた。

高校生の時の話。

それからずっと後ろめたさのようなものはあった。

わたしと母は違う人、別人格。
母が信じるものを、わたしは信じてあげられないことがいつも後ろめたかった。

わたしがそれ楽しいの?と母に訊いたのは、たしか小学6年生だったと思う。

母は家族の中でただひとり信仰していたから、不思議と強要はされなかったから、わたしが興味を示したことがよほど嬉しかったんじゃないかなと、今になるとそう思う。

あの嬉しそうな、安堵したような顔を見てしまったから、わたしは引くに引けなくなったのもあるし、母のいい子でいたかった思いが強かったから、母の神様を信じるフリをすることになった。

今思えば、そこから無理があったのに。

それからは母の味方でいた。
教えは徐々に聞くようになったし、一緒に教会にも行っていたし、それなりにいい子は出来ていたと思う。

それでも小学校高学年からなのでもう自我は出来ていたし、もともと希死念慮のある小学生だったし、教えの矛盾は矛盾だったし、と色んな理由で母の神様を全面的に信じることは出来ていなかった。
宗教的な理由として母が嫌がるだろうとわかっていた事柄は、従えることは従って、出来ないことは母に隠れてやっていた。

わたしは、嘘をつけるようになっていた。

わたし自身は信者にはならずに母をがっかりさせない方法はないかと悩んでいた時期もあった。

母の神様を恨みはしなかったけれど、信じきれないことに対しては許してくれとは思っていた。

結局母を悲しませずにわたしが信仰しなくていい道はなかったから、高校生の時にもう行きたくないですと意思表示をして、わたしは母をがっかりさせてそこから離れることにした。

わたしは、母のいい子をやめる人生を歩み始めた。

そこから離れてからも、これをやったら母が傷つくということがわかっているものは、もう全部全部しんどかった。

声優の養成所に通うと告げた時も、当時の恋人の家に泊まりに行った時も、全部、母が嫌な顔をするのがわかっていたからしんどかった。

母が嫌いなわけではない。

ただ、母の神様はわたしの神様ではなかったから。

それだけだけど、それだけのことだった。

苦しかった。
嫌だった、故意に傷つけたかったわけじゃなかった。

それでも、違う人生を歩むと決めたから、わたしは母を傷付けるしかなかった。

それがずっと後ろめたかった。

あの小学生の時、わたしが母の味方になる道を選ばなかったら、こんなに摩擦が起こらなかったのかなとか、考えてもしょうがないことも思った。

本当に考えてもしょうがなかった。

その後ろめたさと向き合うのも怖くて、今までちゃんとはしてこなかったけれど、昨日たまたま母の神様を過去に信じていた人の動画に辿り着いて、これはもう時かなって思った。

いつまでも見ないフリをしてんなよってことかなって、思った。

もうあれから10年近く経つのに、わたしはそこをずっと見ないフリしてきた。

母とのこれ以上の摩擦は怖かったから。

母はわたしが信仰しないからといって、わたしを嫌いになったりはしないのに。

だから今日、わたしはわたしと立場の近い方の、親の宗教から離れたという経緯のエッセイ漫画を思い切って読んでみた。

読むまでは怖かったけれど、読んでいるときには懐かしい自分にも当てはまるあれやこれやもあって、そしてそこから離れたからって別に悪じゃなかったなって、ようやく心から思えた。

母は信じた。
わたしは信じれなかった。
それだけの違いだった。

わたしはちゃんと自由だった。

わたしは神に背いたのではなく、母を傷つける形になってしまっただけだ。

それはわたしが悪いとか、誰かが悪いとか、そういうことじゃない。

母が幸せなら何を信じていたって別にいいし、わたしはわたしとしてわたしを信じて生きていくだけなんだ。

もう呪いはそこにはなかったんだ。

わたしは母の敵でもないし、宗教的に分かり合えない部分を互いに抱えながら、これからも歪で愛もある親子関係が続いていくだけだ。

ただ、そのエッセイ漫画を読んで、母の神が本物の神様なら、双極性障害のわたしの介護を母がしなくても済むようにしてあげたらいいのに、とちょっと思った。

やっぱり、わたしの神様ではなかったんだな。

泣きながらこれを書くあたり、まだまだ向き合わなければ溶けないわたしの問題のように思うけれど、母に対して、必要のない罪悪感をもう感じなくていいとわかっただけでも、第一歩だ。

わたしはまた、今日からも、母とは相容れない人生を歩んでいく。

それだけです。

親子ってだけで、形が難しいだけ。


だから今日も、ありがとう。

まるすけ

ぽかぽかします。