みんなアーティストになれる
幼いころはみんなアーティストだった。
持ち手が汚くなったクレヨンを使って白い画用紙に無心で描写してみる。
そこに意図はない。
純粋に、目の前にあるクレヨンと対峙し、ひたすら手を動かしていた。
クレヨンの塊が画用紙に擦り合い鮮やかな色合いと粉っぽさを描き出す。
そういう本能的な実験に夢中になっていた。
自分で手を動かして、反応をみる。そうして次のアクションを起こす。
きっと誰もがそうやって身の回りのおもちゃを使って遊んでいた。
自分の感覚を使って目の前のものごとに対峙していた。
ビジネスの世界でもアートがより注目されるようになった。その重要性もわかってきた。
だけど、そもそもアートってなんなの?どうみたらいいの?どうしたらアート的な感覚は身につくの?
という方におすすめな本が『13歳からのアート思考』である。
子供向けの書籍では決してなく、大人こそ読むと気づきを得られる、アート思考についてのわかりやすい良書だ。
自分も高校時代にはアート活動をしていたり、美大にいた身だったけど、ふわっとしていた感覚的な部分が言語化されたようでとても学びがあった。
クリエイターにもおすすめできる。
アート思考とは「自分だけのものの見方や考え方」をすること
大人になると失いがちな、もともと人間に備わっている思考プロセス。
もう少し具体的にいうと
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③それによって「新たな問い」を生み出す
思考プロセスのこと。ちきりん氏が言っている「自分のアタマで考える」ことにも共通したものがある気がする。これももう一度振り返りたいな。
アートという植物
作者はアートを植物に喩え、3つの要素を説明していた。
アート作品を花だとすると、その地層部には「興味のタネ」と「探究の根」が存在すると。
そしてこの植物の大部分を占めるのは「探究の根」。
私たちは美術館で目にするアート作品を、つまり花に注目しがちだけど、
アートの本質は、その花を咲かせた、大地の上には出てこない探究の根のほう。
みんな花ばかりに注目するから、アートへの理解を放棄してしまったりするのだと思う。
ピカソがどうしてこれだけの注目を浴びるアーティストか、わかりますか?
正直わからねぇや、お手上げ状態。なんであれが…って感じ。わかる。
その理由はピカソ自身の探究の根が花開いた結果だということが、作品を例にあげて説明されている。
多くの人が誤解しがちなアートの本質をわかりやすく解いてくれる。
さっきの話に戻ると、アートの始まりは「興味のタネ」。
自分自身の内部に眠る興味や、個人的な好奇心や疑問のこと。
地上の流行、批評、環境変化とは無関係ともいえる。
そうしていつ咲くともわからない「根」をひたすらに伸ばし楽しんでいるのが真のアーティスト。
花は単なる結果でしかないことを知ったうえで活動をしている。
ここまでくると、この植物がアートの世界に限った話ではないことに気づく。
●誰かに頼まれた「花」ばかりをつくってはいないか?
●「探究の根」を伸ばすことを途中で諦めていないか?
●自分の内側にあったはずの「興味のタネ」を放置していないか?
これらは、日々の仕事や学び、さらには生き方全般にもあてはまる問いです。
なるほど、アート思考がビジネスや生き方にも転用できるわけがわかった。
では具体的に「“自分なりの答え“を取り戻す」アート思考を身につけるにはどうしたらよいのか。
アウトプット観賞
そこで本書の追体験の核にもなっている、「アウトプット観賞」がでてくる。やり方はアート作品を見て、気がついたことや感じたことを、声に出したり紙に書き出す。だけ。
前提として。
どんなにすぐれた解釈でも時代や状況、人によってアートの答えは変わる。
アート作品によって「ものの見方」が変わり、見方によって作品がもつ意味が変わる。
作者は一貫してこのことを伝えている。アートに正解はないと。
本書では具体的な作品を例に授業形式で観賞をすることになるが、コツとしては、作品をみて自分が感じたことに対して
①どこからそう思う?
ー主観的に感じた「意見」の根拠となる「事実」を問う
②どうしてそう思う?
ー作品内の「事実」から主観的に感じた「意見」を問う
2つの問いかけを自分でぶつけてみること。
アートの2種類の見方
また、観賞する際に意識するとよい見方が2つある。
①背景とのやりとり
②作品とのやりとり
①はアーティストが作品を通して鑑賞者(私)に投げかける問いと、
それに向き合い鑑賞者(私)が「自分なりの答え」をつくること。
アーティストと鑑賞者である私が作品を通じて繋がるやりとりだ。
「作者は〇〇を表現したかったのではないか?」など。
一方②は、アーティストと作品、鑑賞者と作品とそれぞれ独立した関係性にある。
アーティストが作品を創作していくなかで生まれる問いや答えがあり、
観ている“私”も作品と対峙することで自分なりの解釈を生み出す。
それは音楽と向き合うときの感じ方と同じで、歌詞に自分を投影して自分だけの思い出や記憶と重ね合わせてみたり。
そういう自分と作品で完結するやりとりも立派な観賞方法であり、アート作品でも同じことができる。
さきの「どこから?」「どうして?」の問い問答をしていくと、深く潜ることができる。
アート思考とコンテクストデザイン
デザインの領域でも、最近は「意味」を相手側に半分委ねるような道具がちらほらでてきた。
Takram渡邉さんがやっているようなコンテクストデザインの活動は代表的な例だと思う。
時間を測る道具なのに時間のわからない砂時計を人はどう扱うのか。
用途が開かれ道具が双方向の関係性を持ったとき、道具はどんな価値を持ってくるのか。
あらゆるジャンルでそのようなインタラクティブな関係性を意図して作り出す動きが出てきた。
とてもアート的で、生活に寄り添う道具のあり方にも一石を投じる。
アート思考がとても身近な存在で転用可能なことが改めて窺えた。
自分の中でデザインに対する新しい仮説と自分の興味が醸成されつつあり良い兆し。
この辺りはまた探究の根を広げるところだな…
心から満たされるために
アートという植物を育てることについて、真のアーティストとして生きたといえるスティーブジョブズの生き様と重ね合わせていくつか言及していた。以下はジョブズの卒業スピーチの一説、
すばらしい仕事をするためのたった1つの方法は、自分がしていることを愛することだ
心から満たされるため「自分が愛すること」を見つけ、それを追い求め続けること。ただ「自分が愛すること」を見つけるのは難しい。
それは「興味のタネ」から「探究の根」を伸ばす過程と同じ。
常識にとらわれず「自分の内側にある興味」をもとに「自分のものの見方」で「自分なりの探究」をし続けよう。
シンプルにいうと
「自分の興味」に向き合い続けようね!ってこと。
自分の心に素直に耳を傾けてみよう。
この本は「自分なりの答え」をつくる過程を体験できるのがミソですので、ぜひ読んでみてください。
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