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感情を晒す訓練と、未来を描く勇気。

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感情を晒す訓練と、未来を描く勇気。

最近の記事

「良い思い出にしない」こと

昨日、ひととの繋がりを切ろうと決心をした。 その人は、わたしにとって 「わたしの良いところを知ってくれていて、さらに悪いところも受け入れてくれるひと」 その人にとってのわたしも、 「ぼくの良いところを知ってくれていて、さらに悪いところも受け入れてくれるひと」だった。 お互いに、自分ひとりだと心許なくなるときに、甘えあって、寄りすがって、舐め合ってきた。 わたしたちの関係性は、わたしたちふたり以外から見ると、とても良くない関係性だけれど、 お互いにパートナーがいても、パート

    • 心臓は喉についているはなし

      特になにがあったわけでもないのに、 突然とてつもなく心もとなくなって、 何度も何度も納得したはずのことが、 どこかやはり納まりきってなくって、 こんなとき心臓はどこまでもカラで、 喉だけがひゅーって音を出している。 大声を出して泣きたいような気分で、 でもどうもうまく涙も出てこなくて、 やっぱり心臓はのどについているな。 カラの心臓には何が入っているのか、 探ろうとするけど喉より下の所には、 想いや考えが落ちていかないみたい。 アルコールと煙草だけが落ちていく、 その感

      • 「選ぶ側」と「選ばれる側」のはなし

        わたしは、「選ばれること」が良いことだと思っていた。 「自分で選ぶ」ということを、なんとなく卑しいことだと思っていた。「欲しがる」と同義かもしれない。 就職の面接では「この人たちの欲しい言葉はなんだろうか?欲しい人材はどういう人間だろうか?」を考えて、そこに自分を合わせて行っていた。 恋愛では「この人が好きなわたしはこんなわたしだろう」と、その側面以外の自分はその人といるときは自分として機能しなくなっていた。 それをもう全くわたしは意識を持ってやっているわけではなく、

        • 「ケーキ」というご機嫌なもの

          きのうは姉の家に遊びに行ったので、ケーキを抱えて電車に乗った。 ケーキを食べている時よりも、 ケーキを選んでいる時、大事に抱えている時、 お土産だよと渡された時、 その印象のほうが、幸福度が高い記憶として残っている。 お祝いやお礼の気持ちで買う時もあれば、 なんとなく買って帰っちゃおうかという時もあって、 どっちも、ちょっと特別で、とても親密。 お土産にするときは、一緒に食べるひとの顔を思い浮かべてうれしくなる。 恋人となんとなく買って帰ろうかとなるときは、ふたりはとて

          「めんどう」ということ

          きょう、仕事のメールのやり取りで 「今回の件はこちらで面倒見ておきます」という一文が来た。 起きた面倒の対処についての事後報告であり、 良いことをしてもらっているのになんだかとても寂しい気持ちになった。 一方で「めんどう」って、そりゃ確かに面倒なのだけれど とても愛情深いものを感じることがある。 映画「ぐるりのこと。」のキャッチコピーは 「めんどうくさいけど、いとおしい。  いろいろあるけど、一緒にいたい。」 とってもとってもやさしくて、好きなコピー。 ふしぎな言葉

          「めんどう」ということ