「良い思い出にしない」こと

昨日、ひととの繋がりを切ろうと決心をした。

その人は、わたしにとって
「わたしの良いところを知ってくれていて、さらに悪いところも受け入れてくれるひと」
その人にとってのわたしも、
「ぼくの良いところを知ってくれていて、さらに悪いところも受け入れてくれるひと」だった。
お互いに、自分ひとりだと心許なくなるときに、甘えあって、寄りすがって、舐め合ってきた。

わたしたちの関係性は、わたしたちふたり以外から見ると、とても良くない関係性だけれど、
お互いにパートナーがいても、パートナーに埋めてもらえない隙間を簡単に埋めてくれるから、それはそれはずっと仲良しだった。
そしてそれは、お互いのことをとても尊重した、ふたり以外には理解できない関係性であるという解釈により、正当化されていた。

でも、それは単純に、プライドを持たない付き合い方でしかないということに気が付き、プライドを持たない付き合い方の間に何ひとつ尊重などなかったと気が付いた。
そして、プライドを持たない付き合い方ができるひととの関係性に未来はないということを思い、繋がりを切りたいとはじめて思えて、実行した。

彼にとっては寝耳に水の話で、なぜそのように思ったか伝え、会って話すことなどないと言ったわたしに
「ひととひとは分かり合えないということを分かり合えるひとだと思っていた」と言った。

分かり合えないということを分かり合おうとすることは、分かり合った先にあるもののためである。
わたしたちの分かり合った先にあるものは、上手くいかないパートナーに対しての、君以外に弱い部分を曝け出せ受け入れてくれる人がいるという内なる優越感・心の隙間を埋める身体の関係。
それ、いる?いらないね。うん、いらないや。

というわけで、わたしは長いこと囚われていた呪縛から解放された。

その呪縛から解放されたことで、最も憎みつつも可愛がっていた「結局そこに寄りすがってしまう自分」もあっさりと捨てることができた。

「残酷だね」と彼は言ったが、これ以上プライドを持って付き合っている友人、家族、彼のパートナーに対して残酷なことはしたくないし、なによりもこの関係性を長々と受け入れてしまっていた自分自身に残酷なことをしていたのだから、この別れを選んだことは残酷ではない。
彼にも、わたしにどれだけ残酷なことをしてきたか、パートナーに対してどれだけ残酷なことをしてきたか、知って欲しい。きっと彼はまだ理解していない。

こんな終わり方残念だ、と彼は言った。わたしも残念だとは思った。でも「良い別れ方」など、こういう時は全く必要ではないのだ。

彼は、最後まで思い出の場所で語ろうとし、わたしにとっての良いことを残そうとした。それは彼なりの思いやりかもしれないが、それはやはり関係性を残すためのわずかな画策でしか、突き詰めるとない。

彼とは、過去にも何度も別れようとしたことがあった。気持ち良い別れ方をしようとして、結局元に戻ってを繰り返していた。気持ち良い別れ方をしようとした理由は、自分の正義のためでなく、これからも繋がっていたいとどこかで思っていた自分に道を残すためだった。

自分がどれだけ愚かなことをしていたか、ということを絶対忘れないために、思い出す度に驚くほど苦い気持ちになるように終わらせたほうがいい。

「良い思い出」になど、絶対にすべきではないのだから。

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