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人とのつながりを通して、丹後らしい「美食の町」を探究したい / 土田 美歩里さん

「フリーランス行政マン」

サーフボードを持ったリクルートスーツの女性。
昨年の夏、このサムネイルをご覧になった方はいらっしゃるでしょうか。
京都府の最北端、京丹後市が新しい職員採用の形として始めた「ふるさと創生職員」プロジェクトです。

ふるさと創生職員とは

半行政、半フリーランス。副業禁止が当たりまえという公務員の世界で、週2〜4日は行政で働きながら残りの時間で副業・兼業にチャレンジできる。任期は3年だが、行政職員として有休や賞与もある。


この画期的でチャレンジングな取り組みに、2020年度は募集枠の約5.4倍の応募がありました。現在は、5名のふるさと創生職員の方が着任しています。

どんな方がどんな想いで着任し、今どんな仕事や暮らしをしているのかを描いていくインタビュー企画です。


4人目は、土田 美歩里(つちだ みほり)さん。

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京丹後市観光振興課で、美食観光と滞在型観光の担当をされていて、過去にはオーストラリアで食の分野で働かれていた土田さんに、お話を伺いました!

※感染対策のためインタビューはマスクを着用して行い、写真撮影時のみ外しております。


大学は人生最大の無駄遣い、新卒でどん底を経験した


ふるさと創生職員に応募した理由は、新潟、東京に住んでみて、ざっくりと次日本に住むときは、関西かなと思っていました。実は、昔から関西には憧れを持っていたんです(笑)

仕事内容としては、キッチンから少し離れて新たな挑戦をしてみたかったので、昔から大好きだった企画をすること、ワクワクすることを考えるような仕事を探していました。そんな時、夫の仕事が京都府宮津市に決まり、タイミングよくふるさと創生職員の募集を目にしたわけです。

ー なぜ、ふるさと創生職員に興味を持ったのですか?

地域の魅力を伝えられると思ったからです。振り返ると、昔から地方創生には興味がありました。実家は、新潟県燕三条市で祖父が設立した金型工場。ものづくりは身近で、稲作も盛んだったり、母がオーガニックの野菜を育てたりしていたので、食や農業にも興味がありました。

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幼少期は活発なタイプで、行事があるとだいたい実行委員会をやっていて(笑)アイデアが勝手に出てくる。例えば、勝手にオリジナルの鬼ごっこのルールを作ったり、雑誌を作ってみたり、新しいことを考えるのが好きでした。行動し始めると、勝手にもっと面白くしようと、アイデアが湧いてくるんですよ!

なので、ふるさと創生職員のウェブサイトを見たとき、ぴったりだと思ったんです。アイデアを形にして新しいことをしていきたいと思っていたので、この仕事なら市の職員であることを活かして、様々な人と出会いながらより良い街にしていけると思って、チャレンジしてみることにしました。そして、何よりこの美しい海の写真をみた時に一目惚れしちゃいました♡

ー京丹後に来られるまでは、オーストラリアで生活されてたんですよね?

そうです。オーストラリアでは、カフェやケータリングの調理、フードスタイリングの仕事をしていました。その他にも、個人事業主として加工品を制作して販売していました。夫ともオーストラリアでワーキングホリデー中に出会ったので、そこでの生活がなければ、ふるさと創生職員にチャレンジしていなかったと思います。

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土田さんにとって、今回のふるさと創生職員への応募はチャレンジという感覚だったそうです。それは、なぜなのか。「少し長くなるけど、聴いてくれますか?」そう言って、2回の挫折の話をしてくれました。


私は、将来の夢が特になかったため、大学も推薦で一番応用の効きそうな経済学部に入り、特に勉強に集中することもなく(文字を読むことが苦手で最近になるまで本を一冊読み終えられたことがなかったほど(笑))、都会生活を楽しんでしまいました。就活にも気持ちが入らず、特にこだわりもなく入れたところに就職したんです。

ただ、そんな気持ちで入った会社は事業縮小のためそれ以上いることができなくなり、その後に何とか転職できた会社は、試用期間中にスキルが足りずに6日でクビになりました。

同時期に大失恋もした私は、言葉通りどん底で、しばらく何もすることができませんでした。でも不思議なもので、人間どん底を見ると、ゆっくりとですが上がることを考えるんですね。

ー 新卒半年で無職。その後、どうされたのですか?

「本当は何がしたいんだろう」そればかり考えながら、ハローワークに通っていました。当時はパソコンも満足に使えなかったので、資格を取ろうと職業訓練校のパンフレットを取りに行ったら、出会ってしまったんです。

「食育のパンフレットが呼んでいる・・・」

これだ!今だ! と思って、「栄養学」を学びはじめました。こんなに勉強が楽しいと感じたのは人生で初めてで、どんどんのめり込んでいきました。

勉強が楽しいと感じられたことで、ほとんどなくなっていた自己肯定感が少しずつ育まれていったのだと思います。習得する楽しさを覚えた私は、ずっと興味はあったけれど英語が苦手な自分には無理だと思っていた「海外」への道を考えるようになりました。


人とのつながりで社会問題を解消していく

1年間の準備期間を経て、オーストラリアへ行きました。オーストラリアでは、まず北東部クイーンズランド州のケインズ周辺のバナナ農園で仕事を始めました。バックパッカーという形で共同生活をしていて、夫と出会ったんです。その後、そこで出会ったオランダ人、フランス人、彼とともにケインズからシドニーまで35日間車で生活しながら旅をしました。

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シドニーでは、飲食の仕事を始めます。私はカフェ、ケータリング・イベント企画会社で働き、夫はシェフとしての修行を始めました。その後、オーストラリアで徐々に増えてきていたヴィーガン料理を学ぶためにバリで研修を受け、オーストラリアにきて5年経ったときに個人事業主として活動も始めました。無添加のケールチップスの商品開発、マーケットでの販売などを行っていました。

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ー オーストラリアで印象に残っていることは?

二つあります。一つ目は、「持続可能な社会」というあり方が暮らしの中で身近になったことです。

衝撃を受けたのは、フードロスと貧困の問題を同時に解消するアイデア「オズ・ハーベスト」という非営利団体の活動です。生産者、スーパー、やレストランなど食品を扱う企業から賞味期限が近い食材を無償で引き取り、食育活動をされています。他にも、ホームレスの方へ廃棄食材を使って一流シェフが料理をふるまうプロジェクトもあり、私もボランティアとして活動していました。食という仕事を活かして、誰かの役に立つことができる。そしてそれが、地球のためになる。そういうことが好きで、自分もやりたいのだと気づいたんです。

ー その経験は、丹後でも活きてきそうですね。二つ目はどんなことですか?

物事の捉え方です。海外で過ごしてみて、日本の良い点も、改善したい点も見えました。環境を変えることで、自分の置かれていた場所が分かると思います。例えば、自分の意見を言葉にして伝えること。伝えた先に新たな関係性を築くことができると知りました。

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また、日本にいた頃は本が読めないことをとてもネガティブに捉えていましたが、オーストラリアで「そういう人もいるから、みほりはきっとそのタイプなんだよ」と真剣かつ笑顔で言われたときには驚きました。人には、得意不得意がある。工夫はするけれど、それぞれ助け合えばいいと実感できて生きやすくなったと思います。

土田さんは、ビザ更新のタイミングで今後について夫と相談。オーストラリアは好きだけれどどちらの家族もいないし、文化や歴史に関しては日本やヨーロッパの方が深い。夫ウィリアムは日本料理への憧れもあったので「それなら今だ!」と日本へ帰国することを決めたそうです。半年ほど新潟の土田さんの実家で過ごした後、京丹後への移住が決まります。


人と食、自然を大切に暮らしたい


引っ越して、「ここ、なんか想像していた京都じゃない!?」と気づいて(笑)こんなに田舎とは想像していませんでした。

でも住んでみると、食べ物も空気も水も、本当に美味しいですし、食や自然を愛している人にたくさん出会えました。私たち夫婦は、猪肉がとても好きなのですが、市の施設で捌いているところを見せてもらってお肉を買ったり、食好きな仲間と一緒に新鮮な旬な食材で料理を楽しんだりしています。

こんな田舎なのに、しっかりとこだわりをもったお店もたくさんあり、「京丹後はこれからもっと美味しい街になるんだろうな〜」とニヤニヤしながら妄想しています。

せっかく日本にいるなら、日本の文化を最大限に楽しもう!と夫とともに滝行をしたり、藍染め体験をしたりもしました。休日も、アクティブに動いていますね。海が大好きなので、暖かくなったら海でのアクティビティも始めたいです。今年はガングロになるぞ〜!

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ー フリーランスとしての仕事も食に関することを考えているのですか?

うーん。まだそこは悩んでいます。食関係に携わりたいという気持ちは強いです。丹後は食材が本当に豊だし、今まで出会っただけでも、料理人の人たちも素晴らしい方々がたくさんいらっしゃると感じています。

海外経験を活かしたいというのもあるんです。英語力はそこまでですが、海外に出たからこそ感じている日本のものづくりの素晴らしさに気づきました。地元の燕三条と同じように、丹後も織物や機械金属など幅広いものづくりの地域だと感じていて。人の想いが込もっている「本物」が好きなので、その魅力を国内外に伝えることができないか考えているところです。

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丹後らしい「美食の町」の探究へ


2018年に京丹後市は、スペイン北東部、フランス国境付近くのバスク地方にあるサン・セバスティアンへの視察プロジェクトを実施しました。世界中の美食家や食のプロフェッショナルが集まる街を参考に、京丹後市の食の豊かさに磨きをかけたいという意図です。

サン・セバスティアンでは、シェフたちがレシピをオープンソース化し、ともに学び合うことでレベルアップしてきた背景があります。観光客は、そのハイレベルな飲食店を回りながら街全体で立ち飲みを楽しむ文化を体験することを目的に来訪します。

そこで、京丹後でも同じような取り組みができないかと、2019年には「京丹後ガストロノミカ」という企画を開催。「たんちょす(丹後+ピンチョス)」という新しい食文化を作っていこうという動きが始まりました。

▶︎京丹後ガストロノミカ


私の仕事は、今年の企画を考えて実施することです。昨年は、新型コロナウィルスの影響でイベントの実施は難しかったので、今年はどうするかということを考えています。

ー どんな想いで取り組まれているのですか?

この企画は、生産者の方、飲食店の方、市民の方など皆さんの関わりによって良くなっていくと思っています。私は、それぞれの立場のお一人お一人がどんな想いなのかを聴くことから始めています。お互いの考えを知ることで、一緒に美食の町にしていけてらと思っています。

サン・セバスティアンと丹後は、地形も歴史も違います。同じことをするのではなく、丹後ならではの「美食の町」の形とは何かを、丹後の人たちと共に追いかけていきたいです。

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子どもサイズの長靴を買った話をしてくれる土田さん



そ・こ・で!
土田さんが今お話ししてみたい丹後の食に携わる方をゲストに招いたオンラインイベントを開催します。

丹後の豊かな食を軸にした文化や人と繋がりたい方は、是非とも参加してください!

↓申し込みは以下のフォームよりお願いします。
(他のふるさと創生職員の方のイベントもありますので、興味あればぜひ!)

(私自身も、丹後の食には興味がありますし、通称「変態(いい意味で)」と呼ばれている方々のマニアックなお話を聴けるのがとても楽しみです!)


ー 最後に。ふるさと創生職員に興味を持っている方に、一言お願いします!

市の職員としての仕事であること、今の京丹後市の課題、そして新しい企画を動かしていく可能性が多いことを考えると、チームで動くことを楽しいと思える人が向いていると思います。

一人では、到底何もできない。私が今携わっている仕事でも、さまざまな職種の地域の方、市の職員でも課をまたいで関係を築いていくことが必要になっています。

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チームで仕事をするメリットは、自分自身が生きやすくなることだと思うんです。私は海外に出て、いかに自分が固定観念にとらわれていたかを感じたので、少しでも関わる人たちが得意を伸ばせるような関わりをしていけたらと思っています。

もう一つ、主役は市民の方だと思うんです。市の職員は、あくまで縁の下の力持ちで、より多くの市民の方々が主役になれるようにすること。私自身も、これを日々心がけて仕事をしていきたいと思っています。


土田さんは、いつも自然体。その人懐っこい表情と言葉で、目の前の人を楽しい気持ちにさせてくれます。そして、驚くほど悩む、考える、頭を抱えている。ただそれは、大切にしたい軸とやりたいアイデアがたくさんあるからなのだとインタビューを通して感じました。
想いに共感する人たちがつながり、その人たちと一緒に豊かな時間を過ごしながら、より良い方向に向かっていく。そして、彼女が一番楽しんでいる、そんな未来を期待しています!


最後まで、お読みいただきありがとうございました!


聴き手/文:稲本朱珠 撮影:能勢ゆき
京丹後市未来チャレンジ交流センター「roots」相談員)


京丹後市ふるさと創生職員(フリーランス行政マン)第2期募集開始!
第2期募集ページは👇

(※2021/6/1 までは、昨年度の募集記事となります。)



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