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Ready, Steady, Go!

週末の夜。
本来週末は飲酒解禁ではあるが(平日断酒をやってるので)、連休中ほぼほぼ毎夜お酒を飲んでしまったので今週末はお酒お休み。
叔母の終活も最後の大仕事が片付いたので、なんとなくどこかへ走りに行きたい衝動が私の中で起こっていた。
眠気はない。
そうだ、オイル交換しとかないと・・
ここのところ出かけることも頻繁だったので、いつもより早いサイクルでの交換を考えていた。

冷蔵庫に首を突っ込み、朝に半分食べ残したチキンカツサンドを頬張りながら、作業用に置いてあるあちこち擦り切れたダボダボのデニムパンツを履き、油汚れが染み付いた袖も首もヨレヨレのトレーナーを被る。
コロナ禍を言い訳に伸ばしっぱなしにしてる髪を大雑把にゴムで束ね、ツバの長いノーブランドのくたびれたキャップを目深に被り、小顔を演出するシチュエーションでもないなと鏡に向かってため息をつく。
それでもささやかな抵抗で伊達メガネをかけてみるのだが、小皺の増えた目元をカモフラージュしてるだけだと気付かされる。
いつまで若いつもりでいるのだわたし笑

再び冷蔵庫を開け、最近マイフェバリットになったウィルキンソンの梅味の炭酸水を一本取り出し、深夜こっそりとガレージの真っ赤な相棒に逢いに行く。

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コンクリート臭がキツいガレージで静かに眠っている相棒も、私と同じくもうずいぶんと年季が入った存在だ。
ご近所さん達が次々と新しいクルマに買い替える中、私とこの子との付き合いはもう10年以上になる。

ドアを開け中に入る。
先日替えたばかりのカーディフューザーがまだ強めの甘い香りを放っている。

イグニッションはボタンではなくキーだ。
キーを挿し1段右にまわす。
カチっというリレーの音とともにオーディオのスイッチが入り、USBに入れておいた「Tokyo Dome Live in Concert」の22曲目「Panama」の中盤、昨年亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレンのギターソロが大音量で鼓膜を震わせる。
昼間に懐かしんで聴いていたものだ。

さらに1段まわすとインパネの電飾が一斉に点灯し、相棒の状態をモニターするインジケーターに目をやる。
さぁいよいよ目覚めへのカウントダウンだ。

そして最後の1段を回す。
オーディオの音が一瞬消え、相棒はけたたましい咆哮をあげ、次いで低く重い唸り声を上げる。
相棒は完全に目覚めた。

エンジンがまだ冷えてるためアイドリング回転数は高く、重厚な排気音がガレージという閉鎖空間の中で大きく響き渡る。
私の心拍数を上げてゆくまさに旅立ちのシンフォニーなのだが、ここの住人たちにとっては単なる騒音でしかない。
暖機はまだ終わっていないが苦情はゴメンだ、そそくさとガレージを出る。

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静けさ漂う真夜中の住宅街の公園横にクルマを停め、LEDに付け替えられて異様に明るくなった街灯の下、オイル交換を始める(どう見ても不審者(^^;)。

オイルが抜けきるまでは結構時間がかかる。
どーっと吐き出した後、ポタポタと雫となってトレイに落ちてゆく。
だんだんとその雫の落ちるタイミングがゆっくりとなってゆくその光景を、地べたにしゃがみこんでじっと見ている私。
「これで最後の雫かな?」
「あ、まだ出た」
みたいな笑

他人が見たら「何してんだ?この人」なんだろうけど、なぜだか、じーっと、いやぼーっと時間を忘れて見てしまう。
オイルパンの口から落ちた雫が、すでに流れ出たオイルでひたひたになったトレイにポタリと落ちて小さな波紋が出る。
取り憑かれたように私の目はその雫をひたすら追っているのだ。
なにかのアートを見てるような感覚だろうか?

私は機械の匂いや油の匂いが好きな変わり者だ。
トヨタの社長さんが言ってらした、
「うるさくてガソリン臭いクルマが好きだ」
まさに私それなのだ。
同じエンパシーを持つ人ならわたし何されてもいいってくらい最大級の共感なのだ(大袈裟)。

工具を眺めては自分が職人になったかのような妄想をする。
子供の頃はいろんな物を分解しては中身の構造を見て感動する変な子だった。
ドライバーやラジオペンチがまさに私のお気に入りのおもちゃだったのだ。
けれど学生時代は機械技術系には全く縁遠く、高校時代は文系のクラスで学んだものの、芸術系の大学に進学し、アミューズメント系ソフトウェア制作会社に就職した私。
何かモノづくりがしたいという欲求は形を変えて私の中で生き続けていたのかもしれない。

クルマを手にし、ネットで同じ車種の愛好家たちと繋がり、いわゆるオフラインミーティングを通してモデファイすることの楽しさを知る。
クルマって運転するだけのものじゃない、世話をして育ててゆくものだって知ったのだ。
こうしてまた機械に触れ合うことの歓びを取り戻した私が出来上がった。

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オイル交換を終え、廃油と道具類を置きに一旦ガレージに戻って、助手席に置いたiPhoneのロック画面を点灯させると時間はちょうど3時だった。
さてお山を一周したら日の出が見れるかな?なんて考えながら、いつもの峠道へクルマを走らせる。
新品のオイルに替えた直後はエンジンが軽く感じられる。
古く汚れた体液を一滴残らず絞り出し、また新しい血を注ぎ入れる。
やがてそれは全身を駆け巡り、個々の器官を若返らせるのだ。

まだヘッドライトが必要な月明かりの乏しい峠道を、音楽も消しただひたすら走ることに没頭する。
流行りの言葉に合わせるなら、全集中のドライビングだ。
邪念を消し去り、無になる時間。

ほどなく前方にクルマのテールライトが見えた。
条件反射でブレーキペダルを踏み、コンマ数秒遅れてシフトノブに手を伸ばす。
叩き込むようにギアを1段落として減速体制に入る。
ギアの回転を合わせるためやや大袈裟目にアクセルペダルを煽った。
このときの音が官能的であればあるほど、ショックレスなシフトダウンが決まったことを意味する。
エクスタシーすら感じる瞬間だ。

目の前数メートルまで接近したそのクルマの後ろ姿。
もう生産終了してしまったが今でも走り屋さん達には人気のクーペ。
「S15」だ。
バカが付くほどのクルマ好きは車種名では呼ばない。
形式番号で呼ぶのだ。
(S15が何か知りたければググってくれ)

「エスイチゴ」ではなく愛着込めて「いちご🍓」って呼んでた笑ネーミングとは裏腹に、そのカスタマイズされた漢な外観から見るからにここへ走りに来たと思われる。
どうやらお仲間のようだ。

ちょっと煽ってみる私(^^;

するとS15は爆音を轟かせ急加速した。

「よし!」
「Ready, Steady, Go!」

アクセルペダルにのせた右足に渾身の力を込め、私も必死についてゆく。
クルマのパフォーマンスでは圧倒的に負けてしまうが、私はこの道をもう何十回いや100回は走っただろう。
上りで離されてもコーナーで追いつく。

ついたり離れたりを繰り返しながら、分岐点でS15は私とは別方向へと走り去っていった。
至福の時間だった。
どこの誰かも知らない人。
顔も合わせない、言葉も交わさない。
ただ走るという共通の目的だけでほんのひととき繋がっただけ。
同じ時間に同じ場所で同じ目的を持ってお互いの好きを共有出来るというのは、私にとって言葉では言い表せない至極の歓びなのだ。

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誰もいない眺望ポイントで日の出を見る。
普段なら体内時計をリセットし1日の始まりだが、今このときの私にとっては1日の終わりだ。
寂しい夜を克服したという達成感からだろうか?
少しばかりの充実感と心地よい疲労感に酔う。

さて、帰って寝るか。
ひとしきり伸びをして「帰りも頼むね」と相棒の背中、いやボンネットをポンポンと愛情込めて叩く。
エンジンをかけ、サイドウインドウを全開にする。
まだ冷たい山の朝の空気が私の身体を包み込み、帰りの道中の緊張感を保たせてくれる。

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今回はちょっと気取って書いてみた笑(脚色あり笑)

今日もつまんない落書きに最後までお付き合いくださりありがとうございます。
貴方にも好きを共有できる素敵なお相手に出逢えますように。

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