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【祖父と原爆 19】 三途のお花畑

何回かに分けて投稿していきますが、以下ご容赦くださいませ。
・祖父の手記をそのまま転載するため真否の確認ができない箇所があること
・痛ましい記述が続きます。苦手な方はご遠慮ください
・今は使わない表現が出てくるかもしれませんが、祖父の言葉のまま記載しようと思います

 朝早くからうるさいように鳴く蝉の声で目を覚まし、はっと我に返ると火傷の痛みにさいなまれ、お寺の仮病院の板の間に収容されている自分に気付いた。今朝も周囲を見回すと、昨夜板の間にびっしりと敷き詰められた患者の布団が点々と片付けられて空いているのを見て看護の人に聞くと、昨夜も数十人が亡くなったとのことであった。

 今日は我が身かと思うと悲しくも哀れであった。しかしこの感情もつかの間のことで、傷の痛みに打ち消され苦痛の一日が始まった。夕方になると、亡くなって空いていた板の間はいつのまにか新しい患者が運び込まれて満員となっている現象がその後も続いた。

 高温にうなされる日々が始まったのはお寺の仮病院に収容された後いつかは記憶にないが、熱にうなされ自然に目が閉じて眠りに入ると間もなく、自然に幽幻の世界を彷徨い歩く夢を見るようになった。

 晴れわたった青空のもと周囲には美しい花畑の中を歩いている僕、また川を越えた向こうの丘には美しい四季の花が競って咲き乱れ、あまりの美しき眺めについ大声で叫んでいる僕を、看護の人達は必死になって僕の体を揺すって目を覚まさせてくださった。

 僕が目を覚ますと「川を渡ってはいけない、渡らないで」と必死に僕を呼んでいる顔・顔・顔が重なっており、僕は何と叫んでいたのか思えていない。

 またある時は、道の両側においしそうな蜜柑・梨・林檎・柿・桃・いちご等の四季の果実がたわわに実っているのを見て、食べたい気持ちにいざなわれ、いつの間にか僕は道から外れて果物畑に入っていた。
 手を伸ばして取ろうと苦労したが届かず「あの柿が食べたい、誰かとって、誰かとって」等と指差して叫ぶ度に、僕の体を揺すって大声で起こしてくれている声で目を覚まし、また目を閉じると同じようなことを繰り返す日々が続いたが、それが何日間くらい続いたのか記憶にない。

 大声で揺り起こし涙をたたえた顔で心配そうに僕をのぞき込んでいる中に、あの僕に特に親切にしてくれるお嬢様の顔があった。
高熱にうなされている僕の額を、冷たい水に浸した手拭で冷やしてくれた人、また気がつくと枕元で毎日毎日扇子で僕を扇いで、汗や患者の火傷の膿からでる匂いに集まる蝿を追ってくれた人もやはり彼女であった。
 また僕の体温を計っても一度も僕に教えてくれなかった思いやりのある彼女に心から感謝します。


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