【祖父と原爆 20】 8月15日 静かな空
高熱が続いているある日、今まで毎日定刻になると聞こえていた敵機グラマンの爆音が聞こえないのを不思議に思い、何気なく看護の人を見ると、皆さんはうち沈んだ態度で黙り込んでいる人、ハンカチを当てて泣いている人・人、押し黙ってむっつりしている人・人・人。
異様な雰囲気にその理由を聞いてもすんなりと教えて貰えず、しつこく聞いてやっと教えてくれた。
患者さんには絶対に話してはいけないとの命令があったのでそれを約束させられた後、「日本が戦争に負けたので天皇陛下がラジオ放送されるそうだ。日本が負けたことが悔しくて皆泣いているんです」と教えてくれた。
その日が昭和20年8月15日だったことは後でわかった。
僕は唖然として言葉にならず空虚な時間が暫く続いた後、我に返ったがなぜか涙は出てこなかった。僕は火傷のため高熱が続いて思考力が鈍って悲しさが沸いてこなかったのか理由はわからない。
しかし傷の痛みと高熱にうなされている自分とは別に、漠然と僕の頭を掠めたのは技術力の差と、戦争に必要な物量の差があまりにも大きく、かつ原爆により多くの人々が死に、これ以上戦争を続けることにより死者が益々増えるのが悲しくて戦争は止めるべきであると感じていたためかもしれない。
また去年南方戦々に移動し別れた兄のことが思い出されいつのまにか泣けてきた。
長い間、日に何回となく繰り返されていた敵機の襲来による空襲サイレンの音が、今朝から急に聞こえなくなり、嘘のような静けさに、ああ戦争が終わったのかという実感が沸いてきたのは夕方近くなってからである。
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