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【祖父と原爆 14】 夕暮れの汽笛

何回かに分けて投稿していきますが、以下ご容赦くださいませ。
・祖父の手記をそのまま転載するため真否の確認ができない箇所があること
・痛ましい記述が続きます。苦手な方はご遠慮ください
・今は使わない表現が出てくるかもしれませんが、祖父の言葉のまま記載しようと思います

 負傷者と死人で溢れている線路近くの畔道に来て、夕日を背に立ったり座ったりして火傷の痛み耐え、助かる一途の望みを汽車い託し、汽車の来るのを待つ時間がいかに長かったことか。

 太陽は西に落ちて夕暮れ迫る頃になって汽笛の音を聞いた我々は、助かる希望から痛みを忘れて立ち上がり、あるいは喚声を上げる人もいたが、それもつかの間のことで、汽車は我々の近くを通過して長崎の方に行ってしまった。通過した汽車が腹立たしくも恨めしく、助かる頼みの綱も切れたのかと諦め、力なく座り直して痛みに耐えねばならない自分が哀れに思えた。

 夕暮れ迫るなか望みを託した最初の汽車は長崎で負傷者を乗せて引き返していき、相当時間がたち太陽も西に傾きかけて間もない頃、再び汽笛を聞いた。今度は僕らが助けられる番だと思い立ち上がったが、またまた汽車は長崎の方に通過してしまった。

 僕は火傷した顔・首・肩・両腕等の上半身がキリキリと刺すように痛む苦痛に耐え、両腕は心臓から下にさげると痛みが倍加するため胸より上に捧げながら、治療も出来ずにいた。
 また野宿する方法もなく、畔道の中で立ったり座ったりしている自分が哀れで悲しかった。しかし周囲には僕より重傷をおっている人々が大勢いるのを見て「なにくそ、負けてなるものか」と自分を励ましながら苦痛にたえていた。

 友人の一ノ瀬君といっしょであったことは、僕の心の支えとなり非常に心強かった。僕の足音を聞いてか横たわって呻いている人の「水をくれ水をくれ」と小さく哀れな声を聞いては「もうすぐ治療を受けられるから今少し頑張れ」とは言ったものの、もう死期の近づいているこの人に水をあげて安らかに昇天してもらってもとも思ったが、近くに水は無く諦めざるをえなかった。

 少し前まで横になって苦痛でうめき声をあげていた人が、いつの間にか息を引き取っている情景を目の当たりに数多く見た。可哀相にと人の哀れさや無情さを感じたが、あまりにも多くの悲しい眺めに自分の心もいつの間にか麻痺しがちとなり、また自分の傷の苦痛にいつの間にか人のことは忘れている自分でもあった。

 時々刻々と時間のたつに従い周囲で亡くなっていく人の多くなるなか、夕日は西の空に沈み辺りが暗くなった頃、北の方向から汽車の汽笛が聞こえてきたが、またかと諦めて立ち上がる人もなかった。

 今回の汽笛は、近づくにつれ「ぽっぽー」と音の間隔が長くゆっくり感じられたが、前回までの裏切られた後の心の辛さが大きく、気にはかかったが立ち上がる気にはなれなかった。
 しかし暗くなった夜空に煙突から出る赤い火の粉は少なくなり、「ぽーっ、ぽーっ」と今までと違った汽笛に、まさかと思う期待をもって汽車を眺める目も真剣になったが、まだ立ち上がる気にはなれなかった。

 そのうちに汽車のスピードが急に落ち、止まってから初めて救援の汽車がやっと来てくれ僕らも助かるんだと心がときめき、傷の痛さを忘れ嬉しさが心の底から満ちあふれてくるのを感じた。

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