『現代ロシアの軍事戦略(小泉悠)』

予算でいうと米国や中国より一桁少なく、総兵力は欧州 NATO 加盟国の半分以下。核を除けば数的にも火力的にも圧倒的に劣勢にありながら、世界に存在感を(現在進行形で)アピールし続けているロシアの軍事力。その強さと、根源たる思想とは何か。「職業的オタク」を自認する小泉悠氏による、費用対濃度が非常に高い一冊。

本書、執筆された時期においては、読者を含めた西側諸国全体に「ハイブリッド戦争」という概念が注目されていたこともあり、まずその定義とバイアス除去に前半の 1 ~ 3 章を費やしている。

作中でも「ハイブリッド戦争」カギカッコ付きで表現されているとおり、著者はこの概念に対して一定の距離感を読者に要求している。そもそも「ハイブリッド」の定義自体があやふやな面があり、これではあたかもロシアが「ハイブリッドではない古典的戦争」から脱して、新たな戦争形態を世に突きつけてきたかのような印象を抱きかねない。

著者はソ連崩壊後のロシアに、「情報空間における優勢により、軍事力に依らずして敵の打倒に等しい成果を得られるのではないか」という文脈、つまり非軍事的闘争論が確かにあったことは認めつつも、それは現代ロシア軍事思想のメインストリームとは言い難いと論じる。「実績」として示されるシリア紛争クリミア併合ナゴルノ・カラバフ紛争からは、地政学的、予算的、そしてテクノロジーにおける不利を覆すだけの、さまざまな軍事力行使が浮き彫りになるが、それら戦術の裏付け、あるいはその中心にあったのは、あくまでも古典的な軍事力であり火力であった。

確かに現代のロシアでは情報空間が「非線形戦争」の戦場と認識されており、国内統制が広義の国防と捉えられる傾向がある。だが、これはあくまでも暴力の行使という閾値を超えない範囲での話であって、ひとたび大規模に暴力が行使される事態が起これば、やはり軍事力が中心とならざるを得ない。(116P)
後述するように、これらの諸事例において中心的な役割を果たしているのは軍事的闘争手段=古典的な軍事力そのものであって、非軍事的手段はその威力を増大させる「増幅装置」や補助手段と位置付けられてきた。言うなれば、非軍事的手段は戦争の「特徴」を変えるものであっても、「性質」の変化にまで及ぶものとは言い難い、ということになる。(116P)

著者はこうしたロシアの戦い方を、一般的な「ハイブリッド戦争」像を牽制するかたちで、「ハイブリッド “な” 戦争」と評する。

ロシアがウクライナで展開した軍事戦略は、後に広く抱かれた「ハイブリッド戦争」像には明らかに合致していない。むしろ、ロシアがウクライナで行ったのは、軍事的手段を中心とし、これを様々な非軍事的手段や非国家主体で強化しながら戦う「ハイブリッド戦争」だったということになろう。(140P)

ある一定のレベルまでは情報戦やサイバー戦も駆使するも、それだけで勝利を得ようとするのは思想の域にとどまるものであって、そうした非軍事的手段はあくまで古典的軍事力を補うものにすぎないという認識が現役指導者層のメインストリームなのだという。そこでは、さまざまな戦術の信頼性を担保するのは核を含めた古典的な軍事力、いわば剥き出しの暴力というか、つまり現代ロシア軍事とは「ハイブリッド戦争」などというハイカラな(?)ものではなく、シンプルに「火力本位制」に立脚しているということなのだろう。

とはいえ、本書出版後にロシア軍があからさまで拙劣ともいえる侵略戦争を堂々初めてしまった点をもって、これも小泉氏の主張の証左とするのもまた誤りだと思われる。現代ロシアの軍事が古典的軍事力を中心に置いていることは本書でたびたび強調されるものの、あくまで裏付けのために保持していた多大な軍事リソースを、直接ウクライナに投入してしまった経緯については、本書とは別の視点で長い期間をかけて分析される必要があるだろう。

今後のロシア軍事の方向性を示唆するのは 4 章と 5 章になる。

ロシア軍の大演習を毎年ウォッチし続けてきた著者は、2010 年後半の同国の演習内容は様々な想定の違いこそあれ、最終的には核使用を含めた大規模戦争に収斂した内容であると分析している。

その大規模戦争が NATO に対するものであることは想像に難くないが、空恐ろしいのはその核戦略、突き詰めると抑止観の違いにある。

大規模戦争においてもはや劣勢を覆せなくなった場合に核戦略の登場が予想されるが、ここでロシアは「エスカレーション抑止のためのエスカレーション」として限定的な核使用に踏み切る可能性があるという。

限定的な核使用によって敵に「加減された損害」を与え、戦闘の継続によるデメリットがメリットを上回ると認識させることによって、戦闘の停止を強要したり、域外国の参戦を思いとどまらせようというものだ。(267P)

この想定はそのまま現在のウクライナ情勢につながるが、並んで注目されるのが、ロシアの「抑止」に対する認識が西側諸国とはやや異なっている点だろう。平時と有事が白黒キッパリ分かれているとする西側と異なり、ロシアのそれは狭間にグレーにグラデーションをかけたような領域があって、多少相手を痛めつけて継戦を躊躇させる行為も「抑止」に含まれるという。

ユーラシアのいち権威主義の小国ならいざ知らず、こうした世界観を抱く国が核大でもあるという現実に戦慄せざるを得ないわけだが、この核戦略が徐々にプーチンの脳裏によぎり始めているの可能性は、もはや否定できないと思われる。

本書、小泉氏の源泉というか「原液」の一部に触れられるような濃い内容だが、それだけに軍事にあまり興味関心のなかった(私のような)人間には、読むのが結構つらいかも知れない。兵器関係の固有名詞はもちろん、日常生活ではまず目にすることのない軍事思想家たちの名前が連発される前半はとくにキツいものがあった。テレビで見るいつもの小泉さんに出会いたい人は同時期に出版されたエッセイ本「ロシア点描」をお薦めする。

↑ お子さん誕生という一大イベントを含めた数年を、ロシアで過ごした小泉さん。ロシア市井の人々への親愛の情、今となっては物悲しい別離の念が伝わってくる。



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