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日記/2022-09-15 アイフォンなくした

酒に酔って大事なiPhoneを無くしたので、きっとこのNoteにしたためていたはずの、iPhoneを買ったときに書いたエントリを読み返してみた。


かつてのAppleのCMで一番好きだった曲

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自分の文章を読み返すのは、これがなかなか興味深い。自分の文章だな、と、まず思う。自分の書いた文章だから当たり前なんだけれども、どうにも不思議なことに、そのうち自分でも理解できない展開や言い回しに行き当たる。これをどうして書いたんだろう、と、かつての自分の思考をのぞきこむ。自分と自分だけの気味の悪いやり取りの果てに、さらに気味の悪いことに、たいてい、意図は読めずに終わる。そうして、まったくADHDライクなやつだ、と眉をひそめる。眉をひそめたのは自分で、非難されたのも自分だ。

先生、いつか私の文章を手厚く褒めてくれた、かつての担任の先生。あれはどういう意図だったんでしょうか。わたしはいつしか、自分のためだけの文を作っては溜め込む、閉じた世界の放浪者になりつつあります。


iPhoneを手に入れた直後の日記によれば、しばらくわたしは猫の写真を撮っていたらしい。あの頃はきっと、猫を甘やかしすぎてだいぶ太らせてしまってたはずだ。そこから、続けて知り合いの女の悪口を書く。何かあったのか?おそらく、ない。思いつきで他人の悪口を書き残している。脈絡もなければモラルもない。

下手な文章の特徴とは、情景描写の不足に尽きる、という。
稚拙な単純化・抽象化の末に残った空白を、それが隔てる意味と意味との距離までも含め、大胆にも "エモさ" だと言い張り居直る態度が、文をどこまでも陳腐に貶めていく。


今のわたしの目の前に広がっている光景は、こうだ。12歳にもなり、やおら毛並みも荒れてきたうちのかわいい老猫は、まるで人間の赤子のように、ちいさく丸まって眠っている。この文章を打っているキーボードの上に猫が乗っかって来ないよう、ノートパソコンをしまうためのウレタンの黒いケースを、それとなしに置いていたのだ。まんまと引き寄せられたな、けものめ。体重5kgの彼にとっては小さすぎる、その黒いケースの上で、老いてなおしなやかな体を5分に一度、もじもじと動かして寝相を調整している。いつも不可解に感じるのは、この猫の背の黒い毛がついて一番目立つのは、同じ黒地の布の上にあるときだ、ということ。

iPhoneがあればこの様子を真っ先に撮っていた。動画にして。あの、最先端の機器にこそ為せる、なめらかに流れるような、つややかな質感が懐かしい。対して、新しく手に入れた安物のアンドロイドの写真や動画の質感は、砂浜だ。もちろんグアムやサイパンの、白く輝き足の指の間を優しくくすぐるそれではなく、日本海側の、打ち寄せる荒波に尖らされた小石混じりの、だ。この砂浜スマホは、どんなキュートな猫ちゃんたちも、たちまち!野生味あふれる質感に切り取れてしまいますよ!お安いです、ほんとうに!万一のためにおひとつ、いかがでしょう!


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通信機器であるにも関わらず、たったいち部品に過ぎないカメラの性能で、その全体の出来を判断されているのは、スマホからすればたまったもんじゃないだろう。ただ、君の乗ってるその通信回線を通して、わたしたち一般庶民がやり取りしている主なデータは、写真や動画なんだ。これで日常を伝えあってるんだ。ざらざらの画面の中に映る、ウレタンケースに難儀に乗り続ける猫を見ながら、それでも、新型iPhoneの20万近い金額は、やり過ぎでは、と思う。専用周辺機器としてカメラを開発して別売りにしてくんねえかな。

それが仮に発売されたとして、そして、そのときの最新型のiPhoneと、その別売りカメラを私が手に入れたとして、きっとわたしはそれを酔ってなくすんだろうな、ということはわかる。それだけはわかる。自分の書いた文章すら理解できない私であっても。


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そのころには、わたしの目の前で今、丸くなってる老猫のきれいなおめめは白く濁って、目やにまみれになっているのかしら。長生きは求めないから、その代わりにずっと気楽に、のんびりとそばにいてほしいな。そのために、iPhoneを何台でも買いかえられる財力があれば安心だな。コーティングの剥げはじめたフローリングが、裸足の足にはそろそろ冷たい。そんなことを考えていた。



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