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ポエムは冬の季語ですか?

iPhoneに乗り換えた。

値段たっけえ。

これが現代人にとっての普通か、という疑問と、これが現代人にとっての普通か、という安心感がある。「普通」に属すこと。
自分の生活や人生が特別変わったものであるという自覚はないが、いつか思い描いていたような「普通」を暮らしているわけではない。これから自分の人生はどこへ向かうんだろう。将来へ対する見通しの弱さとそこからくる不安は「普通」かな。




猫の写真を撮った。猫を飼っている人間はなにかと猫の写真を撮る。普通。

普通にiPhoneを構えるだけでそれなりの写真、というか、もはやプロめいた写真が撮れてしまう。

動画も撮った。
なんかすごい。映画みたい。
iPhoneの広告に掲げられていた文言通りの感想を漏らしてしまった。普通すぎる。


スマホについての話をしているのに、カメラのことばかりを取り上げるのもどうかと思うが、インスタントに美しい写真を撮ろうとすれば、撮影素子やレンズなどのハードウェア部分よりも、そこから得られた情報を処理するソフトウェアの方が重要になる。
良い写真や映像を撮るための「普通」の定義は移り変わりつつあるのか。どうなのか。


移り変わりといえば、わたしの身の回りの人間関係もそうだ。ずっと流れ動いて止まらない。3年も人間関係を維持できない。自分が駄目なのか、大体の人はそうなのかわからない。自分にはこれが普通だった。

ここ何年かは意識の持ち方を変えようとしてみたが、それで何が変わるわけでもなかった。
そもそもとして、どういう相手を友人やそれに類する関係に分けるのか、その選定の仕方がまずかったのかもしれない。
わたしを切り捨てたあの子に対して怒りを感じるだとか、裏切られたと糾弾する気にはなれない。
ただ、前から言いたかったけど、お前、わたしの母親にそっくりだったよ。小心者で見栄っ張りで無知で貪欲で面倒くさがりで捨て鉢で。依存体質の人間は年収が低いんだってさ。ばいばーーーい。



Androidは6年使ったが、iPhoneに乗り換えて1時間もすれば操作に慣れてしまった。すごい。
行動心理学では、マクロな視点から見出した「普通」をもとに人間の行動やその偏りを提供する。日々大量のデータが形作る「普通」を基盤に改良を続けられるiPhoneのUXの快適さは、文字通り "猿でも使える" レベルに達している。すごい。


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