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喜んでもらえなくても幸せ?〜人生は人喜ばせ合戦1

自分が何かしたことで、喜んでくれる人がいると幸せですよね。

では、喜んでもらえると思っていた相手から、何の反応も返ってこなかったとしたら?

ここ数年の私は、「相手が喜んでくれたかどうか」にかかわらず、「誰かのことを想って自分が何かできた」ということに、幸せを感じられるようになりました。

「喜んでほしい」といくら私が願っても、〈相手が喜ぶかどうかは自分ではコントロールできない〉と納得できるようになったんです。

この心境に至る前の私は、自分の期待通りの反応が相手から示されないと、悲しんだり、がっかりしたり、ムッとしたりしたものです。

想いを伝える&伝わる喜び


「誰かのことを想って自分にできることがある」という経験そのものを喜べるようになった私は、自分のことでなくても、感動することが増えました。

誰かが誰かに届けようとした想いが伝わることに、涙がこぼれるんです。

高田れれこさんが ちゃぼはち凹凸子育てさんに贈られた漫画もそのひとつでした▼

れれこさんは、ちゃぼはちさんのエピソードをstand.fmで聴いてあふれた想いを、ご自身の才能が詰まった漫画にされた。

私はそこに感動しました。

万が一(そんなことはありえませんけれど)、ちゃぼはちさんが喜ばれなくても、「漫画に描かせてもらえて感謝」とれれこさんは思われたんじゃないかなーって。

自分が何かできることだけでも幸せ


出逢えたこと、心を動かされたこと、その感動を伝える相手がいること、伝える手段があること……これだけで十分に嬉しい。

そして、もしも自分の想いを受けとってもらえたなら〈望外の幸せ〉、喜んでもらえたりしたら〈望外の望外の幸せ〉

最近では、そんなふうに思うのです。

想いが伝わる喜び


自分が何かをする時には、相手からの反応を期待しないようにしています。
(正直、期待してしまうことも、まだありますけれど、ね ^^;)

逆に、自分が誰かの何かに喜びを感じたら、それをお伝えしたいと思います。

私が noteでどなたかのことをご紹介するのは、そんなときです。

その方を喜ばせることが目的ではなく、「私の感動が少しでも伝わったら嬉しい」という気持ちからのこと。

上記のれれこさんの漫画も、その感動を綴りました▼

今回の記事も、そうした想いの延長線上にあります。

人生は喜ばせ合戦


脱サラ料理家 ふらおさんから、バトンリレー企画「人生は喜ばせ合戦」のバトンを受け取りました▼


ふらおさんの目から鱗のレシピが大好きで、〈美味しいは幸せ〉とその喜びを綴っていたら、「No.1 レシピリピーター」になったというのは、感動でした。

「誰かのため」ではなく、「自分のため」に〈美味しいは幸せ〉を綴っていると、ふらおさんが温かいコメントをくださる。

私のほうが喜びに満たされる、なんとありがたいことでしょう。

そして今回、バトンまでいただいて、とても嬉しいです▼


私の記事が、ふらおさんの「めげずにレシピ開発を続けて来られた原動力」のひとつとなっていたと知って、私の喜びがさらに大きくなるという感動まで、本当にありがとうございます。

喜びあえる場づくりに感謝


そして、企画者 チェーンナーさん。

「次のバトンをどうする?」という負担を軽減する方法を具体的にいくつも考えてくださっていることに、心が震えました。

お言葉に甘えて、「アンカー宣言」をさせていただきます。

素敵な企画に参加させてくださり、ありがとうございました。



「私が私である」ことの確信へ導く魔法使い
御影石 千夏



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▼家族も自分も幸せになる秘訣を綴っています
(Kindle Unlimited対象)


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