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F Gm7 F A#の生彩

東日本大震災チャリティーソングであるこの曲は、悲しくも力強い。

この歌を聞くとき、我々はあの恐ろしい災害への恐怖と復興への明るいまなざしを同時に感じるだろう。

サビのF Gm7 F A#というコード進行には、あの時からこれまでの全てが詰まっていると言っても過言ではない。つまり、我々はこの曲に「あの時とこれまで」、「破壊と再生」、「絶望と希望」を見ている。



制作の背景

この曲はもともとNHKが「東日本大震災プロジェクト」のテーマソングとして企画・制作したものである。著作権料は、NHK厚生文化事業団を通じて被災地へ届けられている。

作詞は岩井俊二さん。音楽家以外にも、映像作家や脚本家としての顔も持つ。数多くのドラマ、映画、アニメ、CMの制作に関わっており、彼の作品に触れたことのない日本人は恐らくいない。

作曲・編曲は菅野よう子さん。彼女も歌手やアニメのテーマ曲、朝ドラ主題歌などを手掛けており、ほとんどの人が一度は彼女の作曲した作品を耳にしているはずである。


そんな日本の音楽界、エンタメ界を代表する二人が作り上げたこの曲はチャリティーソングという枠組みを超えたエネルギーに満ちている、と個人的には思う。


音楽理論的な話をすればキリがないが、F Gm7 F A#を聴くたび得も言われぬ感情が沸き上がる。

文章を書く身として、「言葉にできない」と言うのには抵抗があるが、しかし、これに関しては例外である。

世の中には言葉に出来ない、するべきではない感情がいくつかある。この感情は確実にそのうちの一つである。



音楽は社会を写すもの

カナダの著名な作曲家、マリー・シェーファーはサウンドスケープという概念を提唱したことで有名である。

サウンドスケープはランドスケープ(風景)になぞらえて作られた造語で、言うなれば「音の風景」とも言える。我々が音そのものに見出す意味や、音が想起させる記憶といった、音そのもの以上に音のある空間自体を研究する概念である。


彼は著書の中で次のように語る。

音楽家も現実の世界で生活している。よって、彼らの作品には意識的にも無意識的にも、さまざまな時代や文化の音とリズムが、認識できる多様な形で影響をとどめている。(Schafer 1977=1986: 161)

つまり、音楽にはその時代の文化や出来事が音という形で表象されているというわけである。「花は咲く」はもともと東日本大震災をうけて作られた音楽であるから、そこに震災の記憶が描かれるのは当然ではある。

しかし、この曲が正に天晴なのは、曲が作られた後に起こった出来事でさえ、曲中に見出されるということである。


昨年、常磐線が全線開通した時、それが意味したものは単なる交通手段の復旧ではなく、「人はこれほどまでに強い生き物である」メッセージであった。あの時、報道とともに流れた「花は咲く」には、そのメッセージが確実に秘められていたと、僕は思わざるを得ない。


つまり、この曲には復興の歩みまでを包容する余白があるのだ。それほど「花は咲く」は懐が深い。


フランスの経済学者、ジャック・アタリは「音楽は社会の写し鏡」と言った。「花は咲く」は正に、社会を写し続ける鏡であるのだ。




音楽が社会に与える影響

これまでは社会が音楽を形作る側面を見てきた。では、その逆はどうだろうか。


古代ギリシャでは、「音楽には魂に及ぼす力がある(山岸美穂 2006: 112)」と考えられていたという。

有名な哲学者プラトンやアリストテレスは、音楽は民衆に影響を及ぼすし、国政にさえ影響するとしていた。

つまり、古代から音楽には社会を変える力があるとされてきたのだ。


歌がどれほど社会に影響を与えたかという指標はないため、これを一口に語るのは難しい。

しかし、それでもやはり「花は咲く」には、社会を変える力があるのではないかと主張しないではいられない。


作詞家の岩井さんは、この歌詞は震災で亡くなられた人の目線で書いたという。それを知ってからこの歌を聴くと違う印象を持つ。


花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう


我々は残されたものの目線でしかモノを語れない。「死人に口なし」はそれを端的に表すものだが、しかし、この曲の歌詞には去ってしまった人の残り火が感じられはしないだろうか。


僕は以前、「人は死にゆく時何を想うか」というテーマのコラムを書いたことがあるが、その時にたどり着いたのはやはり、後悔や悲しみではなく、残る人への愛情や気遣いであった。


「いつか生まれる君に」や「わたしは何を残しただろう」には、悲しみや恐怖、後悔でなく、これからも生きてく人々や歩み続ける社会への労りがあるのだ。


この歌は生死を考えるきっかけを社会に提示した、と僕は考える。死んでいくものと生きていくものの間。それをこの歌は少しばかり埋めたのではないだろうか。

それこそが、この歌が社会に与えた紛れもない衝撃である。


生死を考えるのは、難しく、辛い。それでもなお、この歌はそんな態度へ真摯に向き合う姿勢を提示してくれるような気がしてならない。



10年

震災から10年。

我々は時計の刻む世界で生きている。我々の日常生活は物理的な時間の区切りによって営まれている。

しかし、この歌はそんな物理的な縛りから解放してくれる。


純粋な時間の流れとしてこの歌を聴く時、僕は世界の成り立ちを少し理解出来るような気がする。



(参考文献)

R. Murray. Schafer, 1980, The Turning of the World: Toward a Theory of Soundscape Design, Univ of Pennsylvania Pr.(鳥越けい子ほか訳, 1986, 『世界の調律―サウンドスケープとはなにか』平凡社.)

山岸美穂, 2006, 『音 音楽 音風景と日常生活——社会学/感性行動学/サウンドスケープ研究』慶応義塾大学出版.


Photo by Michel Kimkongrath on Unsplash

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