「もうひとつの夢幻鉄道」〜私はあなたで、あなたは私〜 ⑦

このnoteは、キングコング西野亮廣さん作「夢幻鉄道」の二次創作です。 *物語を書くのは初めてなので、拙い部分もございますが、私の頭に流れるフィクションの世界をお楽しみ頂けると幸いです。 

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書き終えてペンを置き、胸がスッキリしたところで、興奮を鎮めるように読み返した。

黄金の世界での出来事は、私の脳裏にしっかりと刻まれて、自然と笑みが溢れた。

「(この思い出を胸に、明日からも頑張ろう⭐︎)」

そう思い、机の引き出しの一番上、鍵付きの引き出しにそっとノートをしまった。

私は、大切な何かを終えた事を確信するかのように、床に着いた。

「(また行けたら良いな、あの世界に。。。⭐︎)」

一気に睡眠への道へと入って、熟睡だった。。。


ちなみに、私は昔から寝るのが好きである。3度の飯より睡眠派。

なぜなら夢では自由になれた。この世界の全てから、解放されるようにとても自由だった。

私は実際、正直、裕福とは決して言えない家庭環境で育っており、どちらかと言うと貧乏家庭。いや、率直に言うと貧乏だった。母親が女手一つで3人の子供を一生懸命に育ててくれているのが、子供ながらに分かり、わがままなんか言える状況ではなかった。今思うと、この環境が、私に早い時期から、我慢や忍耐を教え、良い意味でわがままを手放させてくれていたんだと思う。後に、ある占い師さんから「あなたは人よりも早い時期に、大人にならなければならない出来事が人生であったみたいね。」と言われた時には、深く納得した。

だからこそ、今の苦労だけで一喜一憂するのは止めた方が良いと思っている。

何が幸に、何が不幸に転ぶかなんて分からない。

子供心に憶えた我慢や忍耐は、私に色んな事を教え、大切なモノを背負わせてくれた。

ちなみに言っておこう。大人になってから知るのだが、好きな言葉は「人間万事塞翁が馬」。

まさに今の言った事が述べられている。

人生における幸不幸は予測しがたいということ。 幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるか分からないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないという例え。

肝に銘じておこう。


さて、話は戻し、日にちが経てども経てども、またあの世界に行く事は無かった。

「(お姉さん、3回会えるって言ってたなぁ。。。どうやったらまた会えるんだろう。。。)」

あの日のシチュエーションを、毎日のように思っていた。

考えても分からず、ある時からふと、「(なんで繋がれたんだろう?)」という疑問に変わった。

執着を手放した瞬間だった。

「またあの世界へ行きたい!」という思いを。

「また行きたい!」という願望よりも、「なんで繋がれたんだろう、知らない世界へ。。。」の疑問に、気が付くとシフトしていた。

そこには、一切の欲が無い事に気付いていた。

「行きたい!」の「〜したい!」の中には、自分なりの願望が入っていて、あの出来事は、あくまでも自然現象のような一種で、欲すると、磁石のS極同士が反発するように、逆に勢い余って遠ざけるような気がしたのだ。

そうではなくきっと、「(自然に身を任せる。」という方向へとスイッチを切り替えたのは、ふと散歩中の気付きだった。


木の枝に止まっている鳥が、一匹の鳥に近寄っていく。

そうすると、もう片方の鳥は隣の枝へ逃げて行く。

それを何度も繰り返す光景を、ボ〜っと眺めている時だった。

片方の鳥が近付く事を止めたのだ。諦めたというよりは、目の前に餌が現れ、そちらに夢中になり始めたのだ。その時だった。さっきまで逃げていた、もう一羽の鳥が、なんだか隣の鳥を気にし始めたのだ。意識を止めた時から、ニ羽の鳥は距離を縮め始めた。

S極とN極になった瞬間だった!

「(これだ⭐︎)」私はふと思った。

あの世界の事を一旦は忘れよう。

今、目の前の事に専念する事に決めた。

現実世界にしっかりと着地したのだった。

心が晴れたようにスッキリとした気持ちで、家路に着いた。

夕方の時刻は18時を回っていた。

*** 

⑧へ続く。






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