「鬼滅の刃」から感じる息苦しさ
今さらだけど「鬼滅の刃」の話をする。
漫画、アニメ共に大ヒットしたこの作品。
僕も「鬼滅の刃」は嫌いではない。
漫画は簡潔にまとまっておりテンポよく読め、とても楽しむことができたし
アニメの方はクオリティが高く、激しいアクションシーンにはシビれさせられた。
人気が出る作品というのは十分に理解できる。
しかし、僕はこの作品にはどうも息苦しさを感じてしまう。
「鬼滅の刃」に触れ感動したという人は沢山いるだろうが、僕は感動どころかしんどさを感じる。
この作品はすごくしんどい。
勧善懲悪
「鬼滅の刃」はいわゆる勧善懲悪の物語だ。
正義の味方が悪者をやっつけるという昔ながらのお約束。
時代劇、特撮ヒーロー、少年ジャンプのバトル漫画
昔から続く伝統芸のようなもの。
鬼殺隊という正義の集団が、人を喰らう悪の鬼たちを成敗する物語。
それが「鬼滅の刃」だ。
これだけだと王道のバトル漫画に思えるが、実は邪道な漫画である。
勧善懲悪を下敷きにし、少し捻りが加えられている。
仮面ライダーは絶対的な悪の組織ショッカーを倒す絶対的なヒーロー。
アンパンマンは意地悪なバイキンマンをやっつける正義の味方。
仮面ライダーやアンパンマンは善の象徴であり、ショッカーやバイキンマンは悪の象徴である。
なぜ善なのかなぜ悪なのか、そこには理由はない。
そういう存在なのだ。
一方、「鬼滅の刃」はと言うと
主人公の竈門炭治郎や鬼殺隊は善の象徴というわけではない。
彼らは鬼が悪だから倒しているのではない。
そして、正義のために戦っているのでもない。
鬼殺隊のほとんどの者は己の私情で戦っている。
炭治郎は妹の禰豆子を人間に戻すため、鬼殺隊に入り鬼を殺す。
鬼殺隊の他の面々も
復讐、プライド、トラウマの克服、強さの証明
など、自分の中に鬼と戦う理由を持っている。
そして、鬼の方も悪の象徴ではない。
そもそも鬼たちは人間を虐げたり支配しようとしたりはしていない。
単純に食欲を満たすために人間を喰ったり、見下しているから人の命を弄ぶだけである。
さらに鬼も元は人間で、心の弱さや欠陥につけ込まれ鬼舞辻󠄀無惨に利用されているだけだ。
ある意味、鬼たちも被害者である。
鬼の中には禰豆子や珠世のように人間側につく者もいる。
親玉の鬼舞辻󠄀無惨にしても、ただ長生きしたいだけの人である。
鬼殺隊にしろ鬼にしろ
個人の目的や事情で動いているに過ぎない。
そこには善も悪も無いように思える。
だが、この作品が勧善懲悪なのも間違いない。
善の鬼殺隊が悪の鬼を成敗している。
そんな矛盾が本作の根底にある。
この矛盾を抱えたまま最終回まで突っ走る作品なのである。
竈門炭治郎
本作の主人公である竈門炭治郎はとても歪な人間だと思う。
頭が堅く自分の意見を全く曲げないのが炭治郎だ。
良い言い方をすれば、真っ直ぐな性格でブレない人間。
しかし、彼には問題がある。
彼は筋の通った考えを持っておらず、むしろ矛盾を抱えている。
鬼になってしまった禰豆子は無条件で特別扱いするが、それ以外の鬼に関しては割り切って殺す。
もしかすると禰豆子のように特別な鬼が他にもいるかもしれない。
でも、炭治郎は禰豆子以外の鬼を話の通じない悪として問答無用で殺しまくる。
かと思えば、死に際の鬼に同情する素振りを見せたりもする。
頭の堅い炭治郎は矛盾した考えすらも曲げない。
矛盾を抱えたまま鬼を殺すための修行に明け暮れ、そしてどんどんと強くなっていく。
さらに、周りの人間は彼の矛盾を正すどころか、優しい人間だと称賛してしまう。
心の成長がない炭治郎が、戦闘に関してだけはメキメキと成長していく。
その過程が見ていてとてもキツい。
こんなのただの殺戮マシーンではないか?
独りで全てを背負う人たち
この作品の登場人物は皆、辛い過去や己の使命などを背負っている。
炭治郎は鬼に家族を惨殺され、唯一生き残った妹は鬼に変貌する。
それをきっかけに鬼殺隊へ入り辛い修行に明け暮れ、そして鬼を殺しまくる。
その他のキャラクターもそれぞれ背負っているものがあり、それぞれがその問題に向き合っていく。
ただ、この作品ではあくまで自分の問題は自分の問題でしかない。
誰かが誰かに寄り添ってあげたり、誰かの重荷を半分でも背負ってあげたり
そんな他人の問題や苦悩を共有するという描写が全くない。
炭治郎はお節介な人間だが、実は人の深い部分にまでは立ち入っていかない。
優しい言葉を投げ掛け救いを与えることはあれど、一緒になって問題や苦悩を解決しようとはしない。
逆に炭治郎に対しても、仲間の善逸や伊之助が深い部分に立ち入ることはない。
その他のキャラクターたちも皆、絶妙な距離感を保っている。
この作品の人間関係は妙にドライなのだ。
どんな人間にだって、誰にも立ち入られたくない心の部分があるのは理解できる。
でも、そこへ踏み込むからこその救いや成長があるのも事実だ。
そして、そこから深い絆が生まれることだってある。
本作はそういうものを取っ払って、結局は自分の問題は自分だけでしか解決できない。
というような冷たさを感じてしまう。
鬼に関しても
死に際に過去を思い出して己で納得し、自己完結して終わりというパターンしかない。
思い出の中の誰かが手を差しのべてくれることはあっても、現在進行形で誰かが手を差しのべてくれることはない。
本作のような他人に深入りしない希薄な人間関係は、現代の人たちを映した鏡のようにも思える。
そんなところに息苦しさを感じる。
善悪二元論
さっきも言った通り、本作は勧善懲悪の物語だ。
鬼殺隊という善と鬼という悪が2つに分断されている。
しかし、実際はどちらが善でも悪でもない。
ただ二者の価値観が違うが故に対立しているだけなのだ。
両者が自分が正しいと信じ込み、その正しいをぶつけ合っているにすぎない。
鬼殺隊からすれば鬼は悪だし、鬼からすれば鬼殺隊が悪になる。
そう、これは戦争だ。
どちらが正しいのかを暴力で競い合い、勝った方が正しいとなる。
最後まで二者が歩み寄ることはない。
互いに否定し合い、どちらかが滅びるまで戦い続けるのである。
最終的には鬼が滅ぼされ鬼殺隊が勝利する。
この物語では鬼殺隊が絶対的な正義となった。
しかし、忘れてはいけないのが
鬼にも心があるということ。
ただ人間と価値観が違うというだけだ。
命を捨ててまで戦う鬼殺隊
鬼殺隊は皆、鬼を殲滅するために命を捨てていく。最終局面になると次々と死んでいく。
トップの柱だけでなく、名前すらない隊員も
もちろん主人公の炭治郞も
鬼舞辻󠄀無惨を殺すため自分の命を擲って、少しでも勝利に繋げようと必死に戦う。
これはこの作品で一番しんどく息苦しい部分かもしれない。
とにかく鬼殺隊の人たちは鬼を殺すことで頭が一杯なのだ。
全ての鬼を駆逐すると言わんばかりに。
鬼殺隊全員が「進撃の巨人」の主人公エレンのような思考である。
もはやこれは正義なんかではなく呪いだ。
鬼殺隊とは鬼を殺さなければならないという呪いに縛られた集団。
そのためにみんな命を捨てていく様は、もう見てられない。
しんどい。
最終話のおぞましさ
本作の最終話を最初に読んだときは、なんとなく良い終わり方だなと思った。
だが、よく考えてみるとこの最終回はなかなかおぞましい。
最終回では登場人物たちの子孫や生まれ変わりが平和に過ごす未来が描かれる。
戦いで命を落とした者たちも、これで報われハッピーエンドのように感じられる。
しかし、お気づきになっただろうか?
この未来の世界には、かつて鬼だった者たちが全くいない。
確かに鬼たちは多くの命を奪い裁かれるべき存在かもしれない。
でも、彼らだって苦悩し後悔し死んでいった。
彼らにだって救いの手を差しのべてもいいのではないか?
鬼舞辻󠄀無惨も最低のクズ野郎ではあるが、そんな者だからこそ救いは必要なのでは?
鬼たちはたった1回、道を踏み外しただけだ。
その1回で「鬼滅の刃」の世界から完全に排除されてしまった。
こんなラストにするのなら、鬼たちの悲しい過去を描く必要がなかったのではないか?
そんな描写があるから、僕は鬼にも感情移入していたのだが…
結局は
例え人間のような心や思考を持っていたとしても
かつては人間だったとしても
鬼であれば存在さえ許されないのだ。
鬼殺隊に負けた鬼たちは、その時代から消え去っただけでなく
生まれ変わった来世の未来で幸せに生きることすら許されない。
怖い世界だ…。
深く考えれば考えるほど…
何も考えずこの作品を消費すれば、ライトに楽しめるエンタメ作品だと思う。
しかし、本作を深く受け止めると
ものすごく残酷な作品だなと思わされる。
どんなに仲間や同士がいようと結局は独り
価値観の違う者に淘汰されると存在すら許されない
盲目に一つの目的のため命を捨てる人々
矛盾を抱えつつ殺しを繰り返す主人公
僕は「鬼滅の刃」をあまりポジティブに捉えることはできなかった。
とにかくこの作品はしんどい。
キツい…。
息苦しい…。
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