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あなたとひとつになりたいのです♡

以前参加させていただいた「性・恋愛・コミュニケーション」をテーマとしたお話し会でご縁をいただいた方々と、先日再びzoomでお会いしました♡

たった1か月しか経っていないのに、みなさんどんどん夢に向かって進まれていて、眩しいほどにキラキラと輝いていらっしゃいました✨

もうね、なんだろ。
幸せすぎて泣けてきます。

大好きな方々のお姿を見られること、声が聞けること、そして言葉を交わし、近況報告をしあえることが、とにかく幸せすぎて、嬉しくてたまらないのです。あぁ…本当にあの時「生きる」ことを選んでよかった…。心からそう思えました。この度は、お声がけいただき、誠にありがとうございました。

そんなキラキラと輝くピンクゴールドの空氣に包まれたお話会にて、代々木忠監督の作品をおすすめしていただき、とても興味があったので、すぐに調べました♡

まずは書籍を1冊、「どれにしようかしら〜」と思い、わたしの心が選んだのはこちらの作品。

『オープン・ハート 〜あなたの地獄を天国に変えるために〜』

読み終わったら、すぐに感想を書こうと思っていたのに、なんだか、心がゆらゆらしすぎて、言葉にできない状態が続き、ようやく落ち着いてきたので、記事にします。

そして、読書感想文?も兼ねつつ、こちらの華子さん企画にも挑戦しちゃいます(*´-`)♡

優しい性♡
曝け出しバンジー♡
性と向き合う♡

let's go~♡


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小さいころから、何かを禁止されたり、ダメだと言われるたびに、必ず頭に浮かんでくる言葉。

「なんで?」

だって、わからないんです。
みんな同じカバンじゃないといけない理由も、制服でスカートを着用しなきゃいけない理由も、なんならスカートの丈の長さまで指定される理由も、もう意味わかんなくないですか?みんな同じじゃないとダメ的なあの奇妙な感じ…。

なんで?それ、なんのためなの?

謎のたくさんのルールに怒りを感じることもあったけれど、「なにそのルール、ウケるんですけど!」って、笑っちゃうようなルールもいっぱいあって。でも、その中でも、最も疑問に思っていたこと、それは、、、

「性」にまつわることを公の場では話してはいけないということ。

生理のことは男性の前で話してはいけないとか、sexに関することを人前では話してはいけないとかいう、なんか暗黙のルールみたいなものがあったじゃないですか。(←わたしにとっては、もはや、過去形)

それだけならまだしも、汚いものとか、いやらしいものとか、隠すべきものとか、人に見られてはいけないものというように、世の中全体で教育されているように感じます。

なんで?

本当に疑問でした。
だって、生命の誕生に必要なことでしょ?
毎月女性が命を育むための準備をしている「生理」のこと、もっと男性も知った方がよくないですか?

「赤ちゃんできました♡」って言うのはOKで、むしろ、たくさんの人から祝福されることなのに、その生命の元となる行為が穢らわしいものとか 、いやらしいものっていうその感覚、おかしくないですか?それじゃ、まるで、この世の全ての生命を否定しているみたい。

そう思いつつも、わたしは、これまで、自分の性とうまく向き合うことができずにいました。

その原因はおそらく多岐にわたると思うのですが、もしかすると、子どもの頃、大人の男性に性的ないたずらをされたり、自己肯定感が皆無だったわたしは、嫌なことを嫌だと言えず、自分の女性としてのからだを大切にできなかったことが多々あったり、また、母や家族に対して暴力をふるう父を見ながら育ったことにも関係があるのかもしれません。

男性に支配されることが怖かったからなのでしょうか。
どこかで、男性よりも強くならなきゃ、優秀でいなければ…そんなことを自分に強いていました。

そして、女として生まれた自分の運命を受け入れられず、自分の性を、自分の命を常に否定して生きてきました。それは、代々木監督のお言葉を借りれば、まさに地獄を生きているような感覚。

そんなわたしが、だんだんと天国を生きられるようになったのは何故なのでしょう。

代々木監督の作品から、自分でも氣が付いていなかったたくさんのヒントをいただきました。

その中から、2つピックアップしてお話したいと思います。

まず、1つめのヒントです。

これはいけないことだ。
ダメなことだ。
悪いことだ。

そんな風に自分で否定していることを、辞められなくて、つい何度も繰り返してしまうことってないでしょうか?

もしくは、自分で否定していることを、なんらかの理由で、どうしてもやらなければならない状況になることってありませんか?

わたしは、これ結構ありました。

「お菓子食べちゃダメだ」と思いながら、食べちゃうとか。

「こんなルール絶対おかしい!」って思いながらも仕方なくそれに従うとか。

「正社員じゃなきゃダメだ」と思いながら派遣社員で働くとか。

もう、小さいことから大きなことまでたくさんありました。

そもそも、女性に生まれたことを否定し、「生きている価値がない人間」だと自分の命を否定しながら生きてきました。

こんな風に否定していることをやってしまう、もしくは、否定していることをやらなければいけない状況に陥っていると、人は地獄を生きてしまうようです。

「なるほどな」と思いました。

これらが何重にも重なって、わたしの生きづらさの原因の一部となっていたんですね。こうしてまた新しい視点から過去を見つめることができ、とても嬉しく思います。

つまり、裏を返せば、否定していることをやらないで済むか、または、やっていることを自分が否定しなければ、そこは天国になるというわけです。

手っ取り早いのは、もうなにもかも全てを否定しないこと。

全てに対して、良いとか悪いとかのジャッジをしない。そういう評価は、相対的で、結局何かと比較をして決めているだけで、視点が変われば、いつだって良いが悪いになったり、悪いが良いに変化したりします。これもまさに自分が実体験してきたこと。

もはや天国が良くて、地獄が悪いなんてこともなくて。ただ、ここでは話をわかりやすくするために、代々木監督の作品のサブタイトルにある「天国」と「地獄」というワードを使わせていただきますね。

わたしにとっては、HSS型HSPという言葉に出会えたことがきっかけとなり、「みんなと同じようにできない自分を治す必要なんてないんだ」と思えたことが、天国を生きるきっかけになったのだと思います。

治さなくていい。病気じゃなかった。
これは、素晴らしい個性であり、
わたしは、わたしのままでいい。
自分が心地良くいられる環境に身を置けばいい。
自分が好きだと思える人と会い、自分が好きだと思うことをやればいい。

そうやって過ごすようになってから、自分が快感を感じられる時間がどんどん増えていったのです。自分の氣持ちに素直になるほど、女性として美しくなりたいとか、ゆったりまったり暮らしたいとか、押さえ込んでいた女性としての自分が顔を出すようになり、そんな自分もどんどん受け止めていくことができました。

そして、「〇〇な自分はダメ」と自分を否定することもなくなり、自分の長所が見えてくるようになりました。

お菓子を食べてもいいし、食べなくてもいい。
ルールを守ってもいいし、守らなくてもいい。
正社員でもいいし、派遣社員でもいい。

自分自身や自分の行動を否定せず、その瞬間、自分がどうしたいのか、心のままに素直に行動することを心掛けたことで、わたしは、自由で天国な世界へと歩みを進められたのかもしれません。

とは言っても、まだまだ無意識下で、否定していることはきっとたくさんあるはずです。

これから、もし、また苦しいことがあったら、自分の何かを否定していないだろうかと、一度立ち止まって、自分自身を見つめてみようと思いました。


続いて、代々木監督が提示してくださった「天国を生きるための2つ目のヒント」です。

それは、「裁き」を「許し」へと転換できるかどうか。

法律や、学校の校則、企業ルールなど、わたしたちの周りでは、たくさんのルールが定められ、それらを守れなかった場合には、何らかの方法で罰せられるという「裁き」のシステムの中でわたしたちは日々暮らしています。

すると、どうしても、普段の日常生活でも他者や自分に対して「裁き」の眼差しを向けてしまいがちになりますが、そんな中でも、最近は、「許し」や「赦し」の重要性が様々な場面で語られているのを見かけるようになりました。

どんなに注意をしていても、いつ自分が誰かを傷つけてしまうかわかりません。もしそうなってしまったとき、「裁き」ではなく、「ゆるし」が自分を迎えてくれたら、とても有難いですよね。

「ゆるし」という大きな愛で、世界が溢れるように、まずは自分と向き合い、ひとつひとつゆるしていけたらいいなと思います。

他者に対してはもちろん、自分自身に対してもです。

「ゆるす」ということは、とても難しいことだと思いますが、向き合ってみようと思ったタイミングで、向き合っていけばいいのだと感じています。

わたしは、視点を変えて物事を見てみるということが結構好きなのですが、それがゆるしに繋がることが多かったような氣がしています。

また、大人になると幼い頃には持てなかった視点が自然と持てるようになりました。

子どもの頃、何度か大人の男性に性的ないたずらをされた経験があるのですが、そのうちの1人が、今でも時々会う人で、当時、その人は高校生だったんですね。

「虫が中に入って行くのが見えた」と言われ、見てあげるからと…、気付けばズボンと下着を脱がされていました。

わたしは大人になったある日、ふと「当時高校生だった彼は、もしかしたら彼女ができて、その彼女との初めての夜をより良く過ごすために、事前に女性のからだがどうなっているのかを確かめたかっただけなのではないか?」

という、ひとつの発想が浮かんできたんです。

そう思ったら、高校生の男の子がなんだか可愛く思えてしまいました。彼の初めての日は、うまくいったのでしょうか。

当時の彼よりも少し大人になってから、ふとこんなことを思い付いたわけですが、その瞬間から、彼に対する「嫌い」「気持ち悪い」というフィルターが自然に外れていくのを感じました。

実際のところはわかりません。

わからないけれど、視点を変えることで自分が楽になったことは確かです。

他にも、相手に対しての恨みや怒りよりも、自分を責めてしまうような出来事もありました。

2歳年下のいとこ(女の子)と公園で一緒に遊んでいて、知らないおじさんに話しかけられたとき、いとこは完全に無視を決め込んでいました。わたしは、なんだかおじさんが可哀想に思えて、つい話をしてしまったのです。

これが、ひとりで遊んでいるときだったらまだ良かったのですよね。

年下のいとこが、知らない人に話しかけられて、しっかり無視を決め込む姿を見てしまったために、あぁ、自分がいけなかったのだと感じてしまったのです。

わたしは誰にでも愛想良く振る舞う子どもでしたが、そんなふうにしているから、被害にあうのだと自分を責め続けてしまっていました。

でも、今では、当時のわたしに、「あなたは悪くないよ。そういうあなたの優しいところが大好きだよ。〇〇ちゃんに無視されてたおじさん、やっぱり可哀想だったよね。」って、言ってあげられます。

「知らない人にも、笑顔で元気よく挨拶する」そんなふうに生きたっていいじゃないですか。

そして、最後に、父のこと。

高校生くらいまで、大嫌いで、「絶対にゆるせない!」と思っていたと思います。

それは、父の視点に立つということを一度もしてこなかったから。

いつも家にいなくて、ほとんど会っていなくて、たまにやってきたと思えば、暴言&暴力という印象しかなくて。

なのに、社会的に見たら成功者とも言えるような立場の人間で、そんな父を尊敬している人たちがいることが本当に信じられなかったんです。

母からは、ひたすらに父の悪口を聞かされて育ちました。まだ小学生のわたしに対して、父の浮気の話や、殴られて耳が聞こえなくなった話など、色んなことを話してきました。そうして、わたしは、いつのまにか、母の視点になってしまっていたんです。
父は悪い人で、母は可哀想な人、当時のわたしは、そんなふうに両親を見ていました。

大学生のとき、父と妹と3人で海外へ行く機会があり、そこで父と色んな話をしました。

わたしは、その時、初めて父の視点から世界を見たような氣がしました。

そして、父も自分と同じ1人の人間であるという当たり前のことに氣がついたのです。

すると、過去の出来事もすべて、自然とゆるすことができました。

わたしにはとても耐えられないであろう大きな責任を抱えていたことや、家では家族全員が父に冷たい視線を送り、父にとっては心安らぐ場ではなかったこと、また父自身も親に暴力を振るわれ育ってきたこと、今まで見えてこなかった、いや、見ようともしていなかったことがたくさん見えてきたのです。

それに、わたしが子どもの頃から、潜在意識のことや、成功哲学的なものを一生懸命に教えてくれていた父の姿も思い出しました。

わくわくする遊びを提案してくれていたのは、いつも父でした。

楽しい思い出も確かにあったのです。

今では、母のことも、父のことも「大好き」だと心の底から言うことができます。

そもそも父と母が出会わなければ、わたしはこの世に誕生していないし、大好きな兄弟にも会えていない…。noteでこうしてみなさんと交流することもなかったわけですよね。

本当に、感謝しかありません。
みなさまの歴代ご先祖様にも心より感謝申し上げます。

そして、あえて言葉にすれば、わたしたちが今を生きているのは、この地球上で、歴代ご先祖様たちのからだとからだがひとつになった証であり、これは紛れもない事実です。わたしたちひとりひとりが、奇跡のような存在であることを感じずにはいられません。

こうして、少しずつ、周りの人や自分自身への「裁き」を「ゆるし」に転換し、「感謝」を感じることが増えてきた今、わたしは、自分で作り上げてしまった地獄から一歩外へと踏み出し、天国への階段を登り始めることができたのかな〜と思っています。

とても難しいけれど、辛い体験からも、何かを学び、そして氣付きを得て、様々なことを裁いてきた自分を自分自身でゆるすことができれば、新しい世界が見えてくるのだなと感じました。

代々木監督の書籍には、今回取り上げたもの以外にも、天国を生きるためのたくさんのヒントがつまっていました。

素敵な作品をご紹介いただき本当にありがとうございます。

なんと、こちらの作品が刊行されたのが1993年。

2021年の今、こうして出会えたことに、感謝します。


.。.:*・゚+.。.:*・゚+  結びに  .。.:*・゚+.。.:*・゚+


「性」は、生命の根源であり、とても強くて優しいエネルギーで、汚いものとか、いやらしいものとか、隠すべきものではないとわたしは思うのです。

そのわたしたちの命の源である「性」を否定したり、歪んだ捉え方をしてしまうことで、その他の全てがうまくまわらなくなってしまうような氣がしています。

だからこそ、「性」というものに真剣に向き合っていくことで、自分の人生が好転し始めるのかもしれません。

そして、支配するとか、されるとか、そこから自由になるのもすべては自分次第で、そこに性別は関係なくて、ただ自分という存在を認め、ゆるし、愛し、そして、他者の存在も認め、ゆるし、愛してゆきたいと思うのです。

まるで、お互いを補いあうようにつくられたわたしたちのからだ。とても不思議で神秘的。そんなわたしたちのからだがひとつになったときに、新たな生命が誕生するように、わたしたちの心と心がとけあって、ひとつになった瞬間には、新しい世界が誕生する氣がしてなりません。

わたしたちは、みんな違っているから、補い合って、ひとつになることができ、そこから発展や幸福を生み出すことができるのだと感じています。

わたしがわたしらしくあること。
あなたがあなたらしくあること。
これが、わたしたちがひとつになって幸せをつくりだす方法なのではないでしょうか。

同じではないこと、ひとりひとり違うこと、そんな「個性」を世界中の人々が大切に思い、世界がひとつになることをわたしは願っています。



.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+



最後までお読みいただき本当にありがとうございます。
みなさまが、これからも心身ともに健康で、ますますの愛と豊かさに包まれますように💕

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