あなたはバターかもしれないしパンかもしれないわけで
最近、すっかりアーユルヴェーダに夢中な私。
こんなに奥深い生命科学の全てを理解するのはね、正直無理です。完璧主義の傾向がある私は、普段ならこういう全体像がぼんやりしてしまうものは、投げ出したくなるのですが、今回はなぜかそうならない。
ひとつひとつの断片をなぞるだけで幸福を感じるから。
そして今は無理でも徐々にその断片と断片が繋がっていく時の快感が想像できるからだと思う。
自分は他の誰とも違うし、私と全く同じ人はいない。
そんな自分に必要なものも、もちろん人と同じではなくて、しかも、年齢、季節、環境、時間帯などによって常に変化する。それを少しずつ理解することで、今この瞬間に自分に必要なものが見えてくる。
今読んでいるアーユルヴェーダ関連の本の中でとても気に入ったフレーズがあった。
同じ性質が、2つの物質に違った影響を与えることがあります。たとえば、熱はパンに乾燥の性質を与えますが、バターには液体の性質を与えます。
全然普通のことじゃん!って思われるかもしれない。
だって、パンをトースターに入れたら焦げるけど、バターをトースターに入れたらドロドロに溶けるっていうただそれだけの話。それなのに、なんかすごく心に響いたんです。
物も人間も動物も植物も自然も、この世の全てのひとつひとつが違う性質を持っていて、そこに熱を与えるように、何か同じ刺激や出来事を与えても、みんなが違う反応をするってことを改めて実感した。人間だけじゃないんだとパンとバターで私はそれを実感したのです。笑
HSPとか、HSS型HSPとか、INFJとかそういう分類に分けられる私は、自分が周りとなんか違うなと、常々マイノリティー感を感じてきたけれど、本来は全員がそれぞれ違う性質を持っているはず。たとえ同じ分類に属していたって、共感することは多いかもしれないけれど、全てにおいて同じってことは絶対にあり得ない。
もしかしたら、あなたはバターかもしれないし、パンかもしれないわけで、でもそれは私にはわからなくて、だから、私が発する言葉や私の行動によって、あなたが焦げたり、溶けたりするのだろう。でもその焦げたことや、溶けたことに対する解釈も、「あーあ、焦がされちゃったよ」ってなるのか、「焦がしてくれてありがとう!」ってなるのか、そこもそれぞれ違ってくるわけで。
そんなあなたの反応を見て、私も嬉しくなったり、落ち込んだりする。そうして、色んな経験を重ねて、誰かとお互いに刺激を与えあって、自分の性質にどんどん気づいていく。こういうことが好きで、こういうことが苦手とかね。そしてその気づきに、優劣なんてない。これが好きで得意だから優れているとか、これが嫌いで苦手だから劣っているとかそういうことじゃなくて。
ただ、自分の性質として理解し、認め、受け入れる。
そしてその性質に合った生き方を選択していけばいい。
まわりのみんなが私に気づかせてくれるし、きっと私も誰かに気づきを与えているはず。
そんな素晴らしいこの宇宙の仕組みに感謝💓✨
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