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【グレゴリー・ラスプーチン】

          動画はこちら↓


             【予言や超能力の秘密と半生について
『わしはサンクト・ペテルブルグでこの手紙を書き残す。わしが普通の暗殺者に殺された場合、ロシア皇帝よ、何も恐れるものはなく玉座につき統治し、お子様達も心配にはおよばない。もし、わしに死をもたらしたのが、あなたの親近者であるならご家族の誰一人として2年以上生きる者はいないだろう』

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この予言の通り約1年後に彼は皇族の近親者であるユスポフ公爵に暗殺され、その3ヶ月後に300年も続いたロマノフ王朝は崩壊したのです…。
農民出身の祈祷僧と言う身分で異様なカリスマ性を持ち、宮廷内に不穏を与えた男。しかし一方ロマノフ家には確かに光を齎した男。その名も怪僧ラスプーチンこと、グレゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン。彼は果たして死神か?それとも救世主だったのか…そして本当に超能力を持っていたのか?

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        【ラスプーチン誕生】
ラスプーチンはその独特な出立ちから良くゲームなんかで超能力者として登場する程、ラスプーチン=超能力者と位置付けられている事が殆どですよね。
1869年トボリスクの寒村で信仰深い両親の元、ラスプーチンは誕生しました。
両親は農民として生計を立てており、「学校は人間をふしだらにして、真の信仰から遠ざける」としラスプーチンは学校には通わず農業のお手伝いをしていたそう。そのためか読み書きが出来なかった様ですね。

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またラスプーチンにはチック症と言う、顔や身体が本人の意思に関係なく同じ動きをしてしまう反復運動があったそうですね。
そのため村人がラスプーチンの事を馬鹿にしていると思い込んでしまい、群衆の中に突進していき『地獄に落ちろ!』と殴りつける等、素行が悪かった様です。なんかかわいそうだなぁ。
しかしその反面、この頃のラスプーチンにはある能力が開花したようです。
それが以前動画で説明した馬泥棒のエピソードなのですが…

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これは村の中で馬を盗む事件があった際に、ラスプーチンが熱にうなされながら突如馬を盗んだ犯人が脳裏に浮かんできたと言うのです。
その事を村の大人に伝えた所、ラスプーチンの透視で言い当てた犯人だったと。
この能力は所謂透視能力と言うもので、およそ小学生頃には既に透視が出来た様ですね。

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また生前ラスプーチンは娘のマリアに『誰が遠くで盗みを働き、盗んだ物を隠していたとしても、わしには、いつもその盗品を目にする事が出来る』と言っていたそうです。
次第にラスプーチンは自身の能力を神聖視する様になり、『聖人』とか『殉教者』に憧れを持つ様になります。

そうした幼少期を経て、彼が16歳頃になると父親と二人で御者(ぎょしゃ)として働く様になり、その旅中である僧院に居た老隠者と出会います。
その老隠者は催眠術を扱えたとし、ラスプーチンはその人から催眠術を学ぶため数ヶ月間僧院で修行を積みました。

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その後催眠術を身につけたラスプーチンは、村に戻ると、なんかオーラを纏っていたのでしょうね。村の人から『あいつ…か、神の力を持ってるんじゃ…』と噂になるほど見違えていたそう。

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元々ラスプーチンは心理的洞察力に優れていました。心を掴むのが上手いのです。
その上、透視能力や催眠術を扱えるものですからイエスの再来と慕われる様になって行きます。

この頃のラスプーチンは20歳頃で結婚・子供を儲けるのですが、畑仕事そっちのけで自身の透視能力と催眠術を強化するため家の中庭に礼拝堂を建て毎日お祈りをして過ごしていたそうです。

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その後もラスプーチンは修行僧として、禁酒や肉食を控えたり、様々な修道院を巡礼する等僧侶としてのたち振る舞いを身に付けて行きました。
既に村の中でカリスマ的ポジションを手に入れたラスプーチンはより人々を救済するべく村を出る事にします。
そして教会建設のためあちこち飛び回り寄付を募るなど熱心に活動していた様です。
先程も言った通りラスプーチンは学校に行ってなかったので、読み書きが充分でないのですがそれでも頑張って聖書を独自に解釈しようと頑張っていました。
そう言った姿は周囲の人から好感が持てたし、やがてラスプーチンの神秘的な能力は権力者の間でも噂される様になって行ったのです。

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個人的には読み書きが不十分にも関わらず聖書を頑張って解釈しようと試みていたのは好感しかもてません。
また何故ラスプーチンの祈祷が権力者にまで知られる様になったのかと言うと、透視能力・催眠術・心理学を組み込ませた祈祷術だったからでしょう。
透視能力はさておき、祈祷において催眠術と心理学を扱えるのは強かったと思います。

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          【神の人】
所で、ラスプーチンの祈祷治療とは一体どの様に行われていたのでしょうか?
20世紀初頭の医療技術と言うのは血液型に種類があるだとか、ビタミンって言う栄養素があるんだと言う段階なので、原因不明とされる病はお祈りで治していました。
そのためラスプーチンは原因不明の病を催眠術ないし十分な休息や水分を摂るようにと助言し治療に当たっていた様です。

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催眠術の信憑性については、実際数十年前にアレックス・レンケイさんと言う催眠術者が自信の手の手術を行う際、麻酔なしでも痛覚を感じないと言う催眠術を自分にかけて本当に麻酔をせず手術を行った実例があるくらいなんですよね。
恐るべし催眠術…ですよね。この催眠術と人の心を動かせるラスプーチンは次々と信者がつくようになります。

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1903年、ラスプーチンは協会設立の一環としてロシアの港湾都市サンクトペテルブルクに滞在していた時にある司教の男性と出逢います。
この司教はラスプーチンの心理的洞察力に感銘を受けたとし、なんとラスプーチンに宿舎を貸してあげたのです。
見事サンクトペテルブルクを拠点に出来たラスプーチンはここで一気に信者と知名度を獲得する事に成功します。
と言うのもサンクトペテルブルクではロシア貴族が集中しており、彼ら貴族は神秘主義と言うスピリチュアルな思想を持つ事を美徳としていたのです。そのため人々の病を祈祷治療していたラスプーチンの存在はここで一気に上流階級層に知られる様になり『神の人』と呼ばれる様になります。

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やがてその噂はロシア皇族であるミリツァ太公妃とアナスタシア大公妃の姉妹の耳にも入ります。彼女たちも例によって神秘主義者だったのです。

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そしてこの頃未だ世継ぎの男児が産まれない事に苦しんでいたロシア皇帝のニコライ2世とその妻、アレクサンドラ皇后にもラスプーチンの噂が届きました。
この時ラスプーチンは『皇帝夫妻には1年とかからず、ロシア後継者がご誕生なされるだろう』と予言を残すのです。
その予言通り1904年8月12日に皇太子アレクセイが誕生したのでした。

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