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ルッキズム(外見主義)と子育て

ママさんのなかには、娘にピンクの服とかを買うときに、
「女の子を押し付けているんじゃないか」と考えるかた、それなりにいるようです。

最近知ってびっくりしたのですが、
上智大学がミスコン(ソフィアコンテスト)をやめたという事実。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f0fc6bdc5b619afc3fcf99b
女性を商品化し、外見で人を判断したり差別したりする「ルッキズム」を助長しているという批判があったとか、、、

子どもと一緒にメイクを楽しんだりするのは、「ルッキズム」の押し付け、なのか…?
見た目の問題についてどう向き合うよう子どもに教えていけばいいのか…??

……

個人的には、うちの職場をはじめとするバリキャリの世界は
「頭脳(偏重)主義」だとおもいます。

学歴が大事、作る文書が大事、判断が大事、ハイパフォーマンスな頭脳を使い続けられることが大事。
これらの重要性は全く否定しないのですが、
あまりに頭脳以外の部分が仕事に寄与することが無視されているような。。
わたしだけでしょうか。

怪しい感じの人が来たら怪しんで話を聞くし、
見た目がパッと明るくスキッとした雰囲気の人が来たら好意的に受け取る。

肥満で顔色の悪い営業が健康食品を売っても説得力に欠けると感じる。

「ノンバーバルコミュニケーションはが大事」という言葉はよく聞きますが、
デスクワーカーの世界では非頭脳的部分の重要性は認識されているようで、あまり認識されていないのでは?とおもいます。

仕事は頭脳も、非頭脳も、全部ひっくるめた全人格でやるんだとおもいます。


見た目の美しさも非頭脳的部分の一つであり、それを強化することは生きる上でプラスになることでは?

もちろん、世の中や特定の誰かの評価に振り回されて、見た目をあっちゃこっちゃ変えるのは、とても苦しいと思います。


商品化されたくない人の美しさを商品化したり、見た目だけで人を判断するのも謙抑的であるべきだと思います。

でも、
見せたい自分を見せたり、
自分が好きな自分でいたりするために、
美しくありたいと思うこと、そのために努力することは、
人格における非頭脳的部分を強化することでもあるのでは?

うちでは、娘がわたしが持っている化粧品で興味が湧くものあったら使わせてあげるようにしています。
一方で、男の子っぽいジュラシックパークの Tシャツが欲しいと言ったら買ってあげる。

本人が何らかの理由で、それを身につけた自分が好きで、
それを身につけた自分を誰かに見せたいと思うなら、
それは彼女の非言語的部分を成長させるために必要なことだから。

女の子的でありたいと思うのも、男の子的でありたいと思うのも、
本人次第でどちらでもいいのではないかと思います。

今後、娘が成長したら、
娘が見た目について人からの評価で心が揺れることもあるかとおもいます。
そんな時には
「あなた自身が好きな外見であっていい。人の評価が気になるなら、あなたにとって大事な人はだれで、その人にとって自分はどうありたいとおもうのか。それ以外のあなたの人生のモブたちの評価は無視していい。」
と伝えようと思います。

個人的には、ミスコンは一定のリテラシーのもとに開催されるなら
それはそれでいいのではないかな、、、と思います。少なくとも存在が全否定されるものでもないのかなと。

上智大学はミスコンに変えて、外見の個性は否定しない形での評価を模索した「ソフィアズコンテスト」に開催形態を変更したそうです。

ミス東大も昔から反対議論がありますが、いつか消えちゃったりするのかしら。

東大の女の子たちにも、外見が持つノンバーバルパワーを味方につけて人生を切り開いてほしい(必ずしもみんな美人として評価されることを目指せと言いたいわけではない)から、ある側面に偏った外見否定の言説が強まらないことを祈ります。

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