どんなになっても、家族。
家族って複雑だな〜。
と考えたことのある人の割合は、意外と多いのでは。
日常生活をただ単に送るだけでは見えてこないけど、誰かの note を覗くと悩みの種がゴロゴロ転がっていて。友人や会社の人に深い話ってあまりしないじゃない、ましてや家族についてなんてちょっとディープ過ぎて深入りしにくい。話し始めるこっちが気ぃ使うわい。
当たり前かもしれないけど、家族は家族で、他の誰にも何にも替え難い。
恋人も友人も馬が合わなければ付き合いをやめればいいし、言い方は悪いけど、選択権は自分にある。でも、血縁のある父や母、兄弟は産まれた時から決まっていて、彼らの存在自体が ”特別な人" と認知して育つからさ、そこに替えのきかない、強い思い入れみたいなものが生じるのよね。
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わたしの家族について何度か note では綴っているから、もしかしたら覚えていてくれている人もいるかもしれないけど、両親はわたしが中学生ぐらいの頃から不仲で、大学を卒業すると同時期に離婚した。唯一、双子の弟がいるけれど、弟が実家を出てからもう 3,4年は会っていないし、どこにいて何をしているのかも、連絡先も知らないし、この先会えるのかも分からないような状態だ。さみしー。けど、仕方ない。仕方がないって逃げてきた結果がこれなのかも。
大学4年生から社会人2年目の終わり頃、つい最近まで家族のことでものすごく病んでいた。今思うと、なが。3年間も。辛かったのよ〜、色々あってね。事細かく話さないけど。誰にも言えなくてねぇ。まだ笑い話にはできないけど、もう大丈夫さ!と胸張って言えるぐらいには、自分らしくいられるようになった。
父と母と、電話で長話ができる関係性が羨ましかった。家族だけのLINEグループがあることに驚いた。ある時は、夕食中、夕食後、家族団欒の時間があることに物珍しさを感じた。いいな〜の連続。そして直後にくる、どれも私にはないな、の空虚感。
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でもね、もう、過去に囚われるのはやめましたので!ないもんはない!
「失った物ばかり数えるな」って聞こえてきそう。アニメは名言の宝庫。
それに、決して辛かったことばかりじゃないじゃない。今でも鮮明に思い出せるような、温かい思い出が心の片隅にはあって、それは私が一生手放したくないものだとおもう。
小学生の頃かな、中学生かな、いつものよ〜に明け方ぐうたらと自分の部屋で寝ていたのね。私の部屋は玄関から近かったから、誰かが出かける時の物音がよく聞こえたの。ある日、朝早くに家を出る父の物音で目が覚めて、それで寝ぼけまなこでいると、自室の部屋のドアが少し開いているのに気づいた。その隙間から、父が微笑んでいたのが見えた。あの頃はよく分からなかったけど、きっと、あほヅラで眠るわたしのことを見守ってくれていたんだね。愛おしくさえ思ってくれていたのかな。あったけ〜、思い出。
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カネコアヤノの『家族について』という歌がすき。
つい家族には、今までごめんね。って言いたくなる。
何か変えられたのかなって、過去の自分を攻めたくなる。
家族の悩みも気持ちも、分かってあげられなかった。知るのが怖かった。
だけどね、今自分が過去のことで嘆いたって、何が変わる?
それなら、父と母には育ててくれてありがとうって何度でも言いたいし、
双子の弟にはカードゲームで遊んでくれたり、ぬいぐるみ遊びにつきあってもらったり、登下校の時間まっててくれたり、そんな昔のことに対してでもありがとうって伝えたい。って思えるようになった。
真面目で多才で少し不器用な父の性格と、どこかミステリアスでお茶目で感傷的な母の性格と、その双方を受け継ぐわたし。結局、どこまでいっても家族は家族で、バラバラになったって、切り離せない繋がりがそこにはある。
無理して忘れなくていいからね。
大切な思い出だけは、しっかり握りしめていようね。
Thank you for taking your time to read this :)
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