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スターバックスで陰鬱な自分にさよならを

留年をきっかけに、ダウナー系大学生は誕生した。
留年が確定したのは、大学3年生の終わり。3年時に履修しなければいけない必修科目の単位を落としたからだ。冬になるとうつがひどくなることに、その当時は気づいていなかった。
絶望的な気持ちになり、外との繋がりを全て遮断したいと思った。大学にはグループで仲の良い友達がいたが、留年したことも伝えなかった。ただ同じゼミに所属している友達がいたから、顔を出さなくなったことで何となく勘づいていたと思うが。
本当は友達との連絡を絶つだけでなく、友達との縁を切ろうとしていた。もうだれからも何の話も聞きたくなかった。だが、当時付き合っていた彼氏に諭され、連絡をとらないに留まった。
思えばわたしに関係リセット癖みたいなものがないのは、この時のお陰かもしれない。もしも、この時に友達と縁を切っていたら、悪癖として残っていたような気がする。実際のところはわからないけれど。

暗闇の中でもがいていた。大学にちゃんと行けない現実の自分と、大学にちゃんと行きたいと思っている自分が闘っていた。苦しみながらも大学は何がなんでもつづけようと思っていた。
陰鬱な自分はこのままでいいのだろうか。今からでも明るい大学生を目指してもいいのではないか。何とか現状を打破しようと考えた。時として物事は、形から入ることも大事だ。物真似をしようと思った。

そんなわけで当時から、「意識高い系」「キラキラ系」でお馴染みだったスターバックスでアルバイトをすることにした。キラキラ系大学生のそばにいれば、キラキラを摂取して自分もキラキラ系大学生になれるのではないかと思ったからだ。

そう思ったらすぐさま応募。面接はすぐ決まった。スタバの面接は、アルバイトの面接とは思えないほどしっかりしたものだった。スタバに対する具体的なイメージや思い、どのように働きたいかについて根掘り葉掘り聞かれた。
わたしはスタバには高校生の時からよく行っていて、その当時は週3くらい通っていた。スタバに対する思いはかなりあったので、熱い思いを語ることで無事、採用。

ここで一抹の不安がよぎる。朝シフトに入る話は聞いていたが、思っていたよりも頻繁に入らなければいけないらしい。当時のわたしは朝がとにかく苦手だった。それでも以前のバイトで朝シフトに入っていたこともあったし、何とかなるだろうと思ったのだが……。

初日は店舗のバックヤードで座学研修があるとのことだった。その日は夕方の時間帯だったため、スタッフの大学生数人と会うことができた。
わたしが思い描いた通りのキラキラ系大学生だった。自己紹介するだけの短い時間にもかかわらず、夢を語っていた。みんな、仲がよさそうだった。名前を聞かれ、「あだ名、何にするか考えておくね!」と言われたのが今でも忘れられない。職場であだ名をつけるやりとりをしたのは、後にも先にもこれが最後だ。
無邪気に仲良さそうな彼らを見て、自分とは違う生き物のように思えた。キラキラ系大学生って本当に存在したんだ。生きている恐竜を見たような気持ちだった。顔も性格も成績も良さそうに見えた。そのキラキラ加減はあまりにも眩しくて、フラペチーノと同じくらい胸焼けを覚えた。でもわたしは、フラペチーノが大好きだから大丈夫。

だが、わたしの不安は見事に的中する。朝シフトと聞いていたが、思っていた以上に朝が早い。アルバイト先のスタバは家から1時間ほどの距離があった(大学からはそこそこ近い)。朝のシフトに出勤するには、家を5時すぎに出なければ間に合わない。朝が苦手なのにそんな過酷なことが可能なのだろうか……。
初日は緊張感で何とか出勤したが、ここから先は何も言わなくてもわかるだろう。出勤2日目にして、わたしの心は折れた。わたしは何も習得できぬまま、短いスタバでのアルバイトを終了させた。

むろん、こんな短いアルバイト期間では、キラキラ成分も摂取できなかった。ダウナー系大学生のわたしは暗いまま、何も変わることはなかった。むしろ朝が苦手なのに朝シフトに挑戦する無謀さに我ながら呆れて、そういう計画性のなさから留年という結果を招いたのだと内省した。わたしはわたしらしく、アルバイトをすることを心に誓った。


今でもあの時のキラキラ系大学生たちのことを考える時がある。わたしのあだ名なんだったんだろう?ーーそれを考えてもわたしには何も浮かばない。ただ、暗い自分が、明るいあの大学生たちのようになりたいと思って手を伸ばした気持ちだけは、これからも絶対に忘れないのだと思う。


おわり


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