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潮騒の少年

気付いたら海だった。

家から徒歩5分、部屋の窓からいつも見ている海。

日は沈みかけていて、周りに人はいない。

ただ波の音だけが響いている、少し寂しい場所。一番落ち着くことのできる場所だ。


生まれてこの方、僕はこの街で生きてきた。何の変哲もない、大きくも小さくもない街。

ごくつまらない街。

同じ形をした家が並ぶ。同じ色の、同じ四角い家。住民たちはみんな同じ髪形をして、同じ服を着ている。同じ方向を向いて働いて、同じ方向を向いて授業を受ける。周りと同じであることが美徳とされる世界。灰色の世界。

「秩序」、えらい人たちはこの街をこう定義するらしい。


生まれてこの方、僕はこの街に馴染めていない。

友だちはいる。優しい家族もいる。

けれど、幸せの実感はない。

嘘をついて生きてきたからだろうと思う。

生まれつき青い髪、青い目。外に出るときはかつらを被り、コンタクトをして本当の色を隠す。

周りと同じようにしていないと、後ろ指をさされる。そんな世界。


「人と違うことは良くない」。そう言われ続けてきた。

言葉で、時に、視線で。

あるがままの自分で生きることを許されない。そのことに違和感を感じながらも、それに反抗したことはなかった。

人と違うことをして傷つくのが怖かったのかもしれない。


海。

海はいい。ありのままの僕を肯定も否定もせず、ただそこにあり続けてくれる。大きな存在。

だから僕はここに来る。自分が自分ではいられなくなってしまったとき、ここに来るんだ。

一人、波の音に耳を任せて、流れる砂を眺めながら、何も考えず、何もしない。

自分の呼吸の音だけが響いている。そんな感覚を覚えた。


と、浜辺に星が浮いている。

鏡だった。月の光を反射して波の上で揺れる。

両手で抱えるほどの鏡。綺麗な鏡だった。少し大きい。楕円形をしていて、周りには細かな花の装飾がされている。いつの時代のものだろうか。ずいぶん古いに違いない。


あたりには波の音が響いている。心地のいい音。

「このまま持って帰ってしまおうか」。そう思った。

特に理由なんかない。日の沈んだ浜辺はまだうっすらと青くて、紫色だった。その景色をそのまま鏡に閉じ込めて持って帰りたい。そうしたら、ずっとこの景色と、この波の音と一緒にいられる。そんなことを思った。

そうして、鏡と一緒に部屋に帰った。

棚の真ん中、丁度日が差し込むあたりに鏡を置いて、なんとなく眺める。

そこに移るのは、何の変哲もない僕。青い髪と青い目。人と違う自分だ。

嫌いな自分。


ふと、どこからか波の音がした。

「気のせいか」

布団に入る。

今度は人の声。ここの言葉ではないようだった。

「鏡だ」

その音は、鏡の中からしていた。

そしてそれに気づいた途端、鏡の中の世界が、揺れだした。

海のように、波のように鏡面が揺れている。

波の音はぐんぐん近くなってくる。

鏡の中にはもはや僕の部屋は写っていない。そこは海の中だった。

瞬きする間に鏡から水があふれ出してくる。しぶきを上げ、大きな音を立てながら、物凄い勢いで水は部屋を満たした。

そうして僕は、鏡の中からあふれ出した海に飲み込まれた。



どのくらい経っただろう。

「おーい。おーい!」

遠くで僕を呼ぶ声がする。

「おーい!そろそろ目を覚ましてくれよ」

声は僕の上から聞こえてるみたいだ。

目を開けると、そこには大きな犬がいた。

咄嗟に僕は、こいつに食われるんだ、と思った。

「食べやしないよ。僕は草食なんだ」

犬がしゃべっている。にも関わらず、僕はそれほど驚いてはいなかった。

自分を殺して生きるあまり、心が死んでしまったのだろうか。

勝手に一人、悲しくなってしまった。

「すーぐ自分の事否定するんだから。」心の中を読み取るように犬が言う。

夢だ、僕は夢の世界にいるんだ。そうに違いなかった。

「夢だと思っているんだろう?まあ、夢だってなんだっていいじゃないか。とりあえずさ、立って着いてきなよ。この場所を案内してあげるから。」

もうどうにでもなれ。

僕はとりあえずその犬に着いていくことにした。


20分くらい歩いただろうか。疲れはおろか、恐れも感じていなかった。不思議だった。

気付いたら、僕たちは大きな門の前に立っていた。

奇妙な門。ものすごくカラフルで、すごく変な形をしている。とにかく、今までに見たことがないような形。

心がぞわぞわしている。

「さあ着いたよ、ここが僕たちの、君の街だよ。」

「僕の?」

門が開く。


音が洪水のようにあふれ出してくる。

瞬間、流星群の中に立っている。そんな感覚を覚えた。

まばゆい光に包まれて、身がすくむような気がした。

「さあ、じっとしてないで着いておいで!」

すくむ足を無理やり動かした。

心が揺れるのを感じていた。


そこには色も形もみんな違う建物が並んでいた。高さも、大きさも違う。まん丸のお月様みたいな家。クロワッサンみたいな形の時計台。

何もかも、何もかもが違っていた。何一つ同じものがない世界。


周りを見渡すと、通りを歩いている人たちの服も、まるっきり違っていた。いろんな色がちりばめられていて、形も様々。

髪の色、目の色、肌の色だって、何もかもみんな違っている。

何もかも違う。

何もかも違うのに、みんなの顔が輝いているように見えた。

ここには「秩序」がないんだ。そう思った。

僕は戸惑うばかりだった。けれど不思議と、不安や恐怖は感じなかった。

心が、踊っていた。

僕はそこで、自由を感じた。

みんな好きに生きている。ヘンテコなのに、こんなにもステキ。


「ここではね、みんな好きなように生きているんだ。人と違うことが当たり前だって、みんな分かっているからだよ。人と違う自分が素敵だって、みんながそう思っているんだ。

この世界にはね、星の数ほどの人間が暮らしている。それなのにみんな同じように生きろなんて、無理な話だよ。分かるだろ?

人と違うことは、素敵なことなんだよ。」


「人と違うことは良くないこと」

僕の体に刻み込まれたその呪いが、すうっと消えていくような気がした。


「さあ、そろそろ時間だ。君は元の世界に帰らなければいけない。

ここは君の理想が作り上げた世界だからね。

分かるかい?

君はこんなにもヘンテコでステキな想像力を持っているんだ。人と違うからおかしいなんて、誰が決めたんだ。人と違うからこそ、君は輝いているんだよ。

君はもう起きなきゃいけない。

大丈夫、君はもう自分を愛せるよ。周りと違う君はステキなんだから。

さあ、新しい一日を始めておいで。」


ふっと、 目の前が暗くなった。

もう何も聞こえない。何も見えない。



鳥の声が聞こえる。

いつものベッドの上。暖かい日差しが入り込んでくる部屋。

日が当たる場所に、鏡はなかった。

朝の陽光が部屋に台形を切り取るばかり。

「全部夢だったんだろうか」



いつも通り準備を始める。今日は学校の日。

いつもと同じ服、いつもと同じ朝食を食べる。

いつもと同じように家を出た。

同じ景色、同じ格好をした人たち。

違うのは、自分だけだった。

日に当たってきらきらと反射する青い髪。深い海の色をした青い目。

違うのは、自分だけ。

もう僕は僕を隠さない。傷つけない。

ヘンテコなことは、ステキなことなんだ。


遠くから、波の音がした。

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