八幡の街と遺産について思うこと

  • 「大谷会館の思い出」- 「八幡の歴史ある建物たち」- 「八幡製鉄所とその周辺地域」- 「八幡の街の変遷」- 「「貴重な遺産」という言葉の意味とは」

大谷会館の解体が始まったらしい。
3月くらいに営業をやめてしまっていたのはどこかで偶然知ったけど、今回のニュースもまたツイッターでフォローしている知り合いのリツイートで知った。
ちょっと悲しくなった。悲しくなったけど、そのツイートにぶら下がってた「貴重な遺産が解体されるのは惜しい!」みたいな意見にはなんかモヤッとした。

自分の実家は福岡県の北九州市の八幡というところにある。
今はどうか知らないけど、だいたいの人は社会の授業とか歴史の授業で八幡製鉄所の事を習ったと思うので、自分と同い年か年上の人に対して実家の場所を説明するときは「八幡製鉄所の近所です」と言うと伝わることが多い。

今回解体されている大谷会館は何となくぼんやり「大谷」と呼んでいるエリアにあって、実家からは車で5分程度、昔から製鉄所の福利厚生施設が集中していたエリアらしく、自分の中では体育館とか球場があるところというイメージ。
大谷会館はその一角にある建物だった。
実際のところ入ったことがないので何なのかよく知らない。
年に一度「起業祭」という街(というより元々製鉄所?)のお祭りのメインエリアがこの大谷なのでその時に前を通って「古い建物があるな~」と思ってた程度なので、特別な思い入れも無い。
なので、今回の解体のニュースも冒頭で述べた「悲しい」と同時に「またか」という思いで見ていた。

自分が生まれたのは平成のはじめで、小さいころにはまだ街に路面電車もあったし家の近所にはお店がいっぱい連なった屋根付きの商店街もあったし、家から見える皿倉山にはケーブルカーもあるし線路の裏にはスペースワールドもあった。
まだギリギリ都会だったと思う。映画館は成人向けしか無かったけど。
家から歩いて行ける範囲に割と何でもあった。お医者さんも大病院から小さな医院までかなりの数あった。

物心がついてだんだん大きくなっていくにつれて、それがだんだん無くなった。
まず製鉄のアパートがどんどん無くなった。
アパートに住んでいた友達がどんどん転校していった。
悲しいけどまあそういうもんかみたいな気持ちだった。
それから大谷の体育館が無くなった。
剣道の試合でたまに行っていたけど、今考えたらめちゃくちゃデカい体育館だった。
無くなったというか近くに移転新築になったんだけど、あまりにもサイズが縮小されたのでそれから数年は本気で「いつまで別館だけなんだろう、本館はいつ着工なんだろう」と思ってた。
隣にあったボロい武道場とプールもその頃に無くなった。
博物館の別館が入ってた駅ビルも無くなった。
その後に同じくらいの大きさの建物ができたけど、よく見たら2階から上は全部立体駐車場の実質平屋みたいな駅舎になった。
そんな感じで街からいろんなものが無くなっていく中、21世紀の初めくらいに隣町の黒崎に引っ越した。
八幡には祖父母が残ったので年に一度正月に行くくらい。
そこから8年経って大学進学を期に今度は北九州を離れた。
帰省するたびにいろんなものが無くなった。
いろいろ無くなりすぎて挙げていくとキリがないけど、ショックがデカかった二つを挙げるとスペースワールドが閉園したことと実家の近くの商店街の屋根が無くなったこと。
そういう感じなので、大小いろんなものが無くなっていくのを「またか~」という思いで見るのに慣れた。

でも、ここからは大学に進学して家から遠く離れた後に初めて気付いたことだけど、いろいろ新しいものも出来た。
スペースワールドの隣のもともと製鉄所の敷地だったところに街ができてイオンとか博物館とかができた。
どんどん無くなっていった製鉄のアパートの跡地は道路がキレイに敷きなおされて高級住宅街になった。
一軒一軒がデカいし車はだいたい二台ずつあるしだいたい片方外車。本当にすごい。
屋根のなくなった近所の商店街、オシャレなレストランとかコーヒーショップがポツポツ出来始めた。
おいしいパン屋さんもできた。ちょっと高いけど。
リンガーハットの居抜きで八幡で有名なちゃんぽん屋が入った。

都市部の再開発事業みたいに一旦土地をまっさらにして新しく作り直しました!とか、古い街がそのまま残って衰退していくばっかり!とかはいろんなところで見てきた気がするけど、パッチワーク的に街がだんだん入れ替わっていってまた盛り返してくるみたいなケースは初めて見た気がする。
最近は帰省が楽しみになってきた。

7年前くらいに明治日本の産業革命遺産という形でいろんな街の産業遺産が世界遺産になったときに八幡もそのうちのエリアの一つになったんだけど、その前後くらいから八幡といえばそういう街みたいな感じで注目されることが増えたように思う。
大谷会館もその頃に地域外からの注目度がグッと上がったのかもしれない。
それで地元の人の惜別の声とはまた別に歴史建築好きな人たちの「貴重な遺産が!」という声も結構集まったんだと思う。
でも、今も八幡の街で暮らしてる人も居るんだから何でもかんでも遺せと言われたらそれは困るんだよなという思いもあってモヤッとした。
使い道が決まらないまま廃墟になってしまったらそれはそれで悲しいし、街にとってもよくない。
新しい用途で土地を使いたがってる人も居るとなると、解体もやむなしみたいな判断になる建物が出てくることは仕方がない事なんじゃないかなと思う。

いま世界遺産になってる製鉄所の本事務所は初代だけど、2代目は枝光の丘の上に製鉄所を見下ろすような形で建っていて、本当にヨーロッパの宮殿みたいな豪華な建物だったみたい。
それも自分が生まれる前に取り壊されて普通のシティホテルになったまま今に至る。
親に聞いても「あれは何で取り壊したんだろうねぇ」というくらい本当に立派な建物だったけど無くなった。
大谷の体育館だって今はもう記憶の中にしかないけど多分代々木体育館くらいのデカさはあった。形も派手だった。でももう無い。
スペワも無くなった。
無くなったけど記録と記憶の中には残ってて、跡地では新しい暮らしが営まれてる。
それでいいんじゃないかと思う。もちろん全部が全部そうではないけど。
そうやって八幡の街は今までやってきたんだと思う。これからもそうしていくと思う。

八幡のことはすごく好きなので、注目を集めるのは嬉しい。
これからもいろんなものが出来たり無くなったりすると思うけど、そのたびにいろんな人たちに注目されてほしいなと思う。
「貴重な遺産が無くなる!惜しい!」という声も、葬式鉄とかメモリアルハンター的な瞬間的なエモーションではなくて、その建物とそこでの出来事をずっと胸の中に思い出としてしまっておきたいという気持ちから発せられているものであれば嬉しく思う。

今は壁だけになってしまった八幡の図書館も昔は本当によく行ったよ。狭かったな~。

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