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「家におるだけが『休む』じゃない。」


「家におるだけが『休む』じゃない。」

 告知後初めて泣いた日、元気のない私に友人がかけてくれた言葉です。「休む」のを難しいと感じる私の考え方が変わるきっかけになりました。休むなら、家にいなければいけない。誰かに言われたわけではないけれど、何となくそう思っていました。大学の授業は、熱が出た1回しか休んだことがない。体調はほとんど崩さない。真面目さと身体の丈夫さゆえに「休む」という経験が少ない私は、休むことへの罪悪感が他の人より強いのかもしれません。私をよく知る人から「休むことが上手じゃない。」と言われるくらい、休むのが下手なのです。
 この言葉の後に「図書館とか、落ち着く場所に出かけてもいいんだよ。」と彼女は続けました。「休む」には「身体を休める」の他に、「心を休める」という意味もあるのだと気づきました。今考えれば当たり前なのですが、当時の私はそれに気づけない状態でした。異変に気づいてから告知を受けるまでに疲れ果てて、自分の殻に閉じこもっていました。心の声を聴いて休むことが今の私には必要なのだと、彼女は伝えたかったのかもしれません。
 実際、家にいても休めないことがありました。ひとりになると病気のことをぐるぐる考えて、不安になる。身体は休めているのかもしれないけれど、心は休めない。むしろ、疲れてしまう。もともとは家にいるのが大好きなのに、家にいることがつらくなっていました。
 「家におるだけが、休むじゃない。」と言われてからは、以前より抵抗なく外に出られるようになりました。家を出ることで、病気について考えてしまう時間を減らしました。友人と出かけることもあれば、ひとりでご飯を食べに出かけることもありました。家で少しでも快適に暮らせるように、普段は買わないちょっといいお菓子を買って帰る日もありました。
 気持ちがしんどいときは、「自分が好きなこと」を思い出すのが難しくなります。普段は無意識に行っているような小さなことであれば、余計に思い出すのが難しい。少なくとも私はそうです。しんどくなったらどうするかを元気なときに書いておくと早い段階で回復できて、しんどい時期を乗り越えやすくなるのだなと気づきました。まだ完全に元気になっていないので、いつリストを作れるのか分からないけれど。未来の自分のために、やりたいことのひとつです。


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