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「がんばったね。」


「がんばったね。」

 心にすんなり入ってくる言葉です。「頑張れ」よりも「がんばったね」と言われる方が、私は嬉しく感じます。「頑張れ」と言われると「もっと頑張らなきゃ!」と思うし、限界が近いときに言われると「もう頑張ってるのに…。」と感じてしまうので、「頑張れ」はあまり好きではないのです。「頑張れ」が嬉しいときも、もちろんありますが。言うのも実はあまり好きではありません。他にいい言葉が見つからなくてつい使ってしまうことがあるので、気をつけています。
 「がんばったね」とよく言ってくれる人がいました。彼女は、私の話をたくさん聴いてくれた人。私を穏やかに、まぁるくしてくれた人のひとりです。採用試験、がんばったね。ひとりで初診に行って、がんばったね。色々なものを抱えた状態で卒業論文を書き上げて、がんばったね。他にもたくさん、「がんばったね」をもらいました。
 最初にこの言葉を聞いたとき、何だか不思議な感じがしました。私って頑張ったのかな。本当にそうなのかな。もっと頑張れたんじゃないかな。最初は素直に受け止められませんでしたが、何度も「がんばったね」と言ってもらううちに受け入れられるようになりました。
 結果に関係なく、私が「がんばった」という過程を認めてくれる感じがして。この言葉をかけてもらえるのが嬉しかったです。結果を求められることが多かった私にとって、新鮮な言葉でした。過程の先に結果があるのだと、ようやく気づきました。がんばったから結果がついてくる。でも、がんばったのに結果が伴わないときもあります。そんなとき、自分が満足できる過程を踏んでいたのならそれを認める。認めることは自分を大切にすることだと学びました。「がんばったね」は、生きていくうえで大切にしたい言葉のひとつです。
 「いち香の60点は多くの人にとっての100点だよ。」とよく言われます。「自分で認めないとつらいよ。」と言われたこともあります。でも、その60点が難しい。自分に厳しすぎるときがあるようですが、あまり自覚がない。全力なのは長所でも短所でもあります。つい肩に力が入りすぎて疲れてしまうのは、結構深刻な悩み。でも、すぐに変わるのは難しそうです。そこで、60点を目指すのではなく「がんばったね」と自分で自分を認めることから始めてみました。これならできそう。練習のおかげで最近は慣れてきて、自分に「がんばったね」と言えることが増えてきました。肩の力が抜けて、我ながらいい感じです。
 ちなみにひらがなで「がんばったね」と書いているのは、漢字だと堅苦しく感じるからです。頑なに張ったときが終わった状態を指すのだから、緩くいきたい。頑なに張った状態が続いてるなら、ほっと一息ついたときに聞きたい言葉。だから私の中では、「頑張ったね」より「がんばったね」です。
 みんなも、私も。今日もがんばったね。


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