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退職と新潟・中越を離れた理由その2

前回の記事の続きです。

会社のフェーズと立ち位置の変化

私の前職の会社は中越地震の復興支援をする目的で立ち上がった団体なので、事業費の多くは中越地震の復興基金が財源でした。にいがたイナカレッジも復興基金が主な財源だったのですが、その実績や成果を認めていただいて新潟県や県内の市町村などから仕事も頂けるようになり、今では県内の「移住支援・インターンのフロントランナー」として信頼される存在になっています。また、組織全体としても復興基金の事業が一段落し、成長期から安定期に変わる段階を迎えていたように思います。

「創業・成長期」と「安定期」の仕事は求められるものが違います。簡単にいうと、仕事の多くが「自社→相手」だったものが「自社←相手」に変わり、「事業モデルの横展開」が多くなります。(※あくまで個人の主観です。)今までは、こちらが提案したことをやらせてもらっていた多くの仕事が、「相手の要望・ニーズに答える仕事」になります。そして、時にその要望は「結果までたどり着くプロセス」も指定されることもあるのです。「あの地域と同じようにやってくれ」、「あそこを使ってくれ」など。

私達の仕事は「人」が中心の仕事で、「人」が違えば仕事もプロセスも変わります。違う地域で同じ事、同じ結果は出せないのです。なので事業モデルの横展開も基本的に出来ないと思います。

しかし、信頼され続けるには結果を出さなければならないし、地域にいる以上、地元の信頼や関係性がなくなれば組織は持続できません。さらに「メインフィールドを持たない中間支援」「公益法人」という組織の性質上、その関係性の継続は非常に重要なポイントになってきます。

このような立ち位置の仕事は、自分にはできないと思ったのです。私は「自社←相手」の仕事よりもメインフィールドで新しい事をやりたいと思っていますし、なにより「中間支援」だけでなく自分も仕掛ける・受ける側になりたかったのです。ちなみに、もし自分の会社が同じフェーズ・状況になった時にどういう判断をするのかはわかりません。そこまでいくといいのですが。

組織内のポジションとできる仕事の範囲

前職は若い(若かった?)会社で30〜40代が中心で、仕事もすごくに自由にやらせてもらえる環境でした。新しいことをやりたいといえば「いいんじゃない」と言ってくれるところです。なので、考えたことを自分のポジションのやれる範囲内でどんどんやれていました。

その反面、若い会社なのでポジションはなかなか変わりません。「上に立ちたい」とか「出世したい」といった気持ちは特にないのですが、(役職があがったところでたぶん社内の関係はかわらない)ポジションによってやれる範囲、見えるもの、関わる人は変わると思います。

自分のやれる範囲を広げたい、違うものをみたい、関わる人を増やしたいと思ったのです。これも自分が雇用する側になったらどうするのが正解かわからないですね。気持ちよく送りだすのがいいのか、会社にとどまってもらうのがいいのか。

まぁ、こんなところが退職と新潟・中越を離れた理由です。もう一度も言いますが、会社や仕事に不満があって辞めた訳でありません。いい組織、いい地域ですので、興味がある方はぜひ見て、話を聞いてみてください。

次からは会社の事業のことや五木村のことを書いていこうと思います。


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