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礼儀正しさのはなし

自転車をおしながら近所のドラッグストアに入店してしまいました。コロナ疲れでしょうか。それともシンプルに脳みそが足りていないのでしょうか。Harukaです。いかがお過ごしですか。


さて自宅にいる日々にもはやストレスを感じなくなり、これが日常と受け入れ始め、この新しい日常の中でどれだけ成果を出せるかが求められるようになってきました。(私だけですか?)


「最近のコミュニケーションのはなし」では、結局対面ていいよねという結論に至ったわけですが、どんな形のコミュニケーションであっても「礼儀正しさ」は重要です。


今回は礼儀正しくいることの効果を考えてみます。


仕事の任せ方


私の経験談はそのほとんどがボーイスカウト(野外活動を主とする世界最大の青少年教育団体)でして、今回もやはりボーイスカウトでの経験です。


私は結構ボーイスカウトをバリバリやっている方で、経験年数もいつの間にかそれなりになってきたので(気がついたら16年目)、何かを代表する立場を任されることが増えてきました。


何かしらのチームを立ち上げ、メンバーを募集すると、はじめましてのメンバーが集まることもあります。


チームで決断を重ねていくとき、決断の方法で悩むことがよくあります。

多数決で決めようとすると、人間という生き物は自分が楽な方を選ぶ傾向にあるので、なんとも言えない微妙な進み方になることもままあります。それに多数決で決めるならリーダーの存在って必要ないですよね。


最近よく悩むのは丸投げか面倒見よくチェックしながら進めさせるのか、ということです。


初めて一緒に動く人にいきなり仕事を任せるのは結構リスクがありますよね。その人が実際のところどのくらい出来る人なのか、判断のしようがありません。

さらに厄介なことに、私のやっているボーイスカウトの活動は年齢の枠が決められていて、代謝の良い組織なのです。のんびり相手の能力を見極めていられません。そんなことをしていたら何も成し遂げられないまま任期が終わってしまうのです。


任された側にも気遣いは必要で、「あれ、どうなってる?」と聞かれる前に進捗の報告や今後の計画に関する相談をするべきで、任せた側のストレスを軽減し、自分のミスの可能性を潰しておくことでチーム全体の最適化を図ってほしいものです。


だがしかし、

丸投げする場合、最終的なゴールと任せたタスクの目的を明確にして意識合わせをしておけば理論上失敗しないはずなんです。

任せた側は期限にはモノが上がってくると信じているから他のタスクに集中できるし、

任された側は周りの声を気にせずタスクに集中して期限までに仕上げる。


スタートの時点で向かうべき方向をミリ単位で調整しているから、ゴールの位置がズレるはずもない。あぁもう完璧じゃん。



だがしかし、(短いスパンでの2回目)

このような丸投げが成立するのはかなりレベルの高い環境出ないといけないようです。


丸投げに対応してもらえるほどスカウト活動を真剣にやっている人は意外と少ない。ということに最近やっとちゃんと気付きました。(16年目の真実)

丸投げに適応してない人材に丸投げすると、あっという間にキャパを超え音信不通になりどこかへ消え去ります。(そういう人は懇切丁寧にサポートしても意味不明なタイミングでいなくなります。)


非営利団体において仕事を任せる際は、相手の性格や能力をしっかり見極める必要があるという何の役にも立たないような結論です。これは相手をまっすぐ向き合いコミュニケーションをとる礼儀正しさが求められる瞬間でもあります。



キャパオーバーになる若者たち


これはほぼ私の愚痴ですが、ボーイスカウトをやっていると一定の割合で音信不通になる人間が出てきます。


「今ちょっと大学が忙しくて・・・」「今いろいろあって手一杯でして・・・」とほんの少しの状況報告があれば、メンバー間で調整をしたり、なんなら私が代わりにやるのに、何故かそれができない。


週に一回はメンバーと個別に連絡をとり、お互いの近況報告や雑談をして相談しやすい環境を作るなど、工夫をしてもあまり通用しないのです。



気遣いの方法が圧倒的に間違っている。

辛くても言わない、忙しくても言わないことが気遣いだと思っていて、相手にはそんな自分の状況を察して先回りしてサポートしてほしかった。


そんな感じの言い訳を音信不通になった人が他の人に私の悪口を言いつつ漏らしていたと聞いたこともありました。





、、、、え?まじで言ってる?

と思ったところで、自分から音信不通になった人ともう一度対話ができるということは殆どなく、お互いモヤモヤしたまま死んでいくのでしょう。



共通の夢を持つ

相手のキャパに気を配りつつ、なるべく自分が動く姿を見せる、、、とかそういう話は置いておいて、


そもそもそこまでやる気がない人を「仲間」に格上げする方法は、共通の夢を持つことが正攻法ではないでしょうか。


経験から、ボーイスカウトにおいては、スカウト運動の目的や理論をいくら説いても相手は動きません。他の非営利団体も団体そのものの目的や理論は個人の中に落とし込むには相手のレベルがある程度高いことが求められます。(要は理解できないんですよね。IQが追いつかない。)


ボーイスカウト運動を通して、自分がどうなれるか、どれだけ自分に利益があるのか、他の趣味や仕事と比べてどこに優位性があるのか、それを相手の価値観と照らし合わせながら一つずつ紐解いていかないと、相手との共感できるポイントは生まれない、もしくは生まれたとしても簡単なことで相手は目の前から消えて無くなります。



夢と礼儀


さて、いづれにしても礼儀正しさは重要です。それを科学的に証明している人はたくさんいますので、数字で理解したい方は本読んでください。

(この本を叩きつけて一語一句頭の中にぶち込んでやりたい奴が、6人いる。)


つか私がごちゃごちゃ書くより本読んだ方が早いよな・・・


本に書いていないことを書きます。

そう、私の実体験です。



人によって態度を変えない方が良いというのが一般的な定説ではありますが、ついていきたい人や自分の夢を叶えてくれるかもしれない人と、自分の足を引っ張る人への態度や付き合い方が同じである必要はありません。


高校生の頃、学校でいうところの担任の先生的ポジションの大人の人についていこうと決めました。

その人からの指示への返事は常に「はい分かりました」一択。

たまに理不尽なこと言ってきたり、無茶なこと言ってきたりもしましたが、それでも食らいついてボーイスカウトに熱中しました。


高校生だった私は一人では前に進むことができないことを理解していて、ついていきたいその人が態度の悪い奴が大嫌いなことを理解していて、その人なしではボーイスカウトで成し遂げたい目標に到達することができないことを理解していました。


レスをとにかく早く
課題はなるべく早く提出
指摘は真摯に受け止めて感謝する
失敗しそうでも素直にまっすぐ取り組む
大人ぶらないで身の丈にあった態度をとる

新卒1年目向けのビジネス書に書いてありそうなことに、
高校生の頃すでに気づくことができていました。


しかし「組織改革に失敗したはなし」で書いたように、私は幼いころからお世話になっていた団をやめました。

それは、自分の成長に有益ではないどころか、自分のことを蔑ろにする人が多いと冷静に判断したからです。(むしろ蔑ろにする人しかいなかった。きっつ。)
高校生の頃に「最後までこの人についていく」と覚悟を決めてやりぬいた経験があったからこそ、そうではない判断をするという選択肢を持つことができたのだと思います。

そして、最後は礼儀正しく今までの感謝を伝えてやめることができたので、あとぐされなく、内定の報告といったことも素直に連絡することができました。

なので今の私は新しい場所でまた新たに前に進むことができていますし、その仲間の中には前の団で一緒に活動していた後輩もいます。


礼儀正しさに拘って、その場で頑張るもしくは場所を変える判断をすると、いづれの判断をした場合でも自分の夢を追いかけ続けることができるのではないかと、今の私は思うわけです。



逆に考えてみてくださいよ。突然音信不通になった場合、お世話になった人に迷惑をかけ、味方をしてくれた人に恥をかかせ、自分の帰る場所を失うことになるわけです。何かメリットありますか?(と言いたい奴が3人いる)



というわけで、今回は礼儀正しさというテーマから気遣いや思いやりといった主観的な観点から分析してみたり、タスクや仕事の処理という客観的評価の可能な観点から分析してみて、最後に突然の自分語りをしてみました。


次はどの記事公開しようかな〜

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